7.さらばラオス



 昨晩の宴は0時前まで続いていた。最後の方は親しい人ばかりになったらしく人数も相当減っていた。昼寝をしていたので、自分にとって寝不足感はあまりないのだが。
 お約束通り、今朝は最後に残ったcontinental breakfastにしたのだが、continentalなので卵料理がでず、やはり不満。不満そうな顔つきでもしていたのだろうか、ウェイトレスが卵をすすめてくれたので頂く。これじゃあAmericanと一緒である。恥ずかしい思いをしてしまった。ダイニングルームのBGMは昨日までのクリスマスソングに代わってタイ・ラオスの歌謡曲になっていたが、ツリーは出しっ放しである。“北国の春”が流れたのには驚いた。そいえば、20日に山岳民族の村で日本の歌をお返しで歌おうと言っていた時に、北国の春は東南アジアでも有名だという話が出たのを思い出した。それにしても帰途につく日に“♪あの故郷へ帰ろかな〜”とやられてしまっては苦笑するしかない。

 午前中は荷物のパッキングに追われた。当初11時出発だった空港送迎サービスは13時20分になったので昼間もいつもの店で食べることが出来た。満腹で満足した私を空港まで運んでくれた車はリムジンなんてものでもなく、ただのバンである。
 空港は市内から数キロ離れているだけである。タイと違い、道で車が飛ばさないのはこの国のお国柄なのだろうか。数分車で走り、右手に基地のようなものが見えるとそれがヴィエンチャン・ワッタイ空港なのだった。というより、これではただの飛行場である。観光年に向けて奥に新ターミナルを建設しているが、まだ現在は旧ターミナルを運用しているようで、そこまで車で横付けしてもらった。

 空港の中の雰囲気は暗い、の一言に尽きる。丁度、香港から中国に入った時のような印象である。もっとも、公安のおっちゃんが目を光らせていたりというのはない。周りにはバンコク・ソウル・サンフランシスコ経由で合衆国に再入国する人達で一杯。いわゆる元難民の人達なのだろうか。
 搭乗券は厚紙のもの(勿論コンピュータ発券などではない)にベチベチッとホッチキスでくっつけられている。席は8Dとなっているが禁・喫煙も定かでないし、窓側かもよく分からない。荷物はX線も通さずに持っていかれたが、カウンターの裏すぐが荷物車スペースに通じているのである。シンプルである。
 出国審査はもはや淡々と進めり、という感じ。その後出国税支払いへ。5US$か21000Kと書いてある。21000Kは手書きの紙で張り付けられていて、為替変動により日々その値段が変わるということだろう。タイバーツでは?と聞くと200Bとのことで、こちらで支払う。出国税のチケットが搭乗券にまたもやホッチキスでべチべチっと貼られる。手荷物(機内持込)のX線レーンは私が行くとやっと動き出す有り様で、お馴染み金属探知ゲートと共に本当に見ているのか?という感じである。

 待合室は200人程度収容出来るスペースがあるが、クーラーは無くファンのみで暑い。一応免税店もあり、それなりのものは売っているが、何せタイの酒類の持ち込みが一本のみという厳しさ故、買おうという気にはならない。米焼酎らしきものも売っているのだが、何と1.5US$という安さである。こんな安いものを免税店で見たのは初めてだ。
 外には、ラオアビエーションのオフィスで貰った時刻表に表記されていた「AT7」らしきプロペラ機が停まっている。多分あそこまで歩いていくのだろう。今待合室には20人程度の外国人(ほとんど欧米系)しかいない。一体どうなるのだろう…。心配しながら雑記を書いていると案内があり、歩いて同機へと向かった。
 席は幸い窓側。というのも4列しかないのでDは窓という訳である。飛行機は予定より数分早くフライトした。窓の外が霞んでいるが、離陸して数分で大きな一筋の輝きが確認出来た。メコンだ。メコンとしばしの別れを交わす瞬間であった。

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last updated 16th Jun. 1999
sorry,Japanese only.
written by Makoto OHBA (dachang@xd5.so-net.ne.jp)