「地球にやさし」という言葉には、一見人間だけでなく地球環境や生態系を考慮して、という意図が見られる。自分のことだけでなく、他者のことも考
えているように思われる。それに対し科学文明による解決は、人間性が無く自然や生き物のことを考慮していないようで、あまりにも人間の独りよがりに思われ
がちである。
機能性を追求してきた文明を捨てることなどできないのだから、必然的に科学文明による解決しか選択の余地が無いにもかかわらず「地球にやさしい」という
言葉がもてはやされる訳はここにある。
社会的通念として利他的行動をとることは良いこととされているために、一見「他人のため」という意味が見い出せる言葉は無条件に受け入れやすい。
地球環境に関する問題はすべて同様である。いくら自然の生態系や未来の地球環境について論じても、人間を除いては語られていない。あくまでも人間にとっ
て、近視眼的には自分にとって住みやすい、という論点から語られている。
地球環境論や「地球にやさしい」というスローガンのどこに「自分にとって」「利己的」という言葉が隠されているかと思われる向きもおられようが、 それは人間を中心とした思考をしていたのでは分からない。もっと巨視的に、地球的,宇宙的規模から自分や人間を省みるとき顕在化されてくる。
図1を見ていただきたい。これは宇宙開闢(ビッグバン)から地球消滅までを描いた年表である。時間軸はビッグバンから現在までの160億年を
100mmとして正確に縮尺されている。(図2〜5まで同様に縮尺)宇宙年齢(100)に対し地球年齢は(28.8)にすぎなく、かつあとその倍で地球は
消滅してしまう。こうして見ると地球の一生もはかない。
図2はこのはかない地球の部分の時間軸を(100)としたものである。地球に生命が誕生してからけっこう永い期間があるように見えるが、この80%は隠
生代という、生命が目に見えないような小さい時代である。逆に言えば生命が生まれてから目に見えるような大きさになるまで20億年という途方もない時間を
必要とした。
図3は生命が目に見える大きさまで進化してから現在までの顕生代を(100)としたものである。BC4億年に植物生命が海中から陸上へ活動範囲を広げて
から、その進化は飛躍的に進み、動物への進化、そして巨大生物の全盛期へと進む。先にも述べたが、恐竜はすぐ絶滅したように思われがちだが、図3における
恐竜の生存期間は(28.1)であるが、この時間軸スケールでは人間の生存期間は線で表わすことができないほど短い。恐竜の生存期間2億年以上、人間は
400万年。人間はまだ恐竜の1/50しか生きていない。
図4は哺乳類が活躍する新生代を(100)とした年表である。このスケールにして初めて猿人という人類の御先祖様の誕生が見られる。しかし猿人はようや
く猿が2本足で立ち上がった状態。この後猿人は、原人、旧人、新人と進化していくが、現代人と同じ新人の登場はこのスケールでは表わせない。
図5は新生代第4紀を(100)としたものである。このスケールの(−2.1)のところでようやく新人が登場する。そして(−0.6)の位置BC10万
年が日本の縄文時代の始まりである。ここから先は教科書に記載されている通りである。
これだけ拡大しないと人類の歴史は見えてこない。時間軸の縮尺を正確に行うと、人類の生きている期間などとるに足りないものであることが分かる。 地球的規模、宇宙的規模から見れば人類など無いに等しいのである。
立場を替えて地球側から見たらどうなるか。
人間が考えているようなことなど、地球はしてほしくないだろう。ましてや蛆虫のごとく地べたを這いずり回り、そこら中を荒し回った人間に何を期待するだ
ろうか。地球が何十億年もかけて築き上げた自然を、ヒトというたった一つの種が数千年で破壊しようとしている。地球にしてみれば、道を歩いている時にいき
なり汚物をかけられたようなものである。そのヒトがハンカチを出して「ウンコを拭いてあげましょう」と言っても地球が拒否するのは当然である。
人間は文明という名のもとに、あまりにも無謀にして取り替えしのつかないことを地球にしてきた。そしてそれを止めることはできない。ならばこのま
ま人間の原動力である科学文明を信じることである。今までそうしてきたように自分だけを信じて、「地球にやさしい」などと偽善的なことを言わずに、さらに
機能的な科学文明を進めることである。そして文明という汚物を垂れ流しにし、その汚物の中で死に絶えるのが人類の選択なのである。
それが本来の「地球にやさしい」ということなのである。