「地球にやさしい」は「地球さん ウンコを拭いてあげましょう」と同義語である

 地球温暖化、オゾン層破壊、ゴミ問題、森林の破壊と地球環境に関する問題が最近もてはやされている。対策としてフロンガスの使用制限、資源の再利用、環 境税の導入など様々な方法がとられているがどれも皆現代文明に逆行する方向である。人間の文明がこれだけ自然を破壊してきたのだから、その文明を逆行させ れば環境破壊を少なくすることはできるであろう。
 しかし果たしてそれが効果的な方法なのか。数千年に渡って進んできた文明を、ここで無しにすることはできない。ならば環境破壊をある程度抑えることはで きても、無くすことはできないのではないか。
 人間の文明はこれから益々機能性を追求して自然に破壊的ダメージを与えるような方向に進んで行くだろう。人間文明のあまりにも速い進み方を止めることは できない。ゆえに、結果的に行われるのは、科学文明による人間に適した自然環境の再生である。科学技術により、自然が生み出してきた大地、空気、水といっ たものを再生するようになるであろう。近代科学文明が生み出した環境破壊は、科学文明によって解決するしかない。
 それにもかかわらず「地球にやさしい」などというスローガンを掲げて地球環境を守ろうとしている。文明は自然に逆行するよう進んできたにもかかわらず、 あたかも自然を守るようなことをしようとする人間の意図は、いったいどこにあるのか。

 「地球にやさし」という言葉には、一見人間だけでなく地球環境や生態系を考慮して、という意図が見られる。自分のことだけでなく、他者のことも考 えているように思われる。それに対し科学文明による解決は、人間性が無く自然や生き物のことを考慮していないようで、あまりにも人間の独りよがりに思われ がちである。
 機能性を追求してきた文明を捨てることなどできないのだから、必然的に科学文明による解決しか選択の余地が無いにもかかわらず「地球にやさしい」という 言葉がもてはやされる訳はここにある。
 社会的通念として利他的行動をとることは良いこととされているために、一見「他人のため」という意味が見い出せる言葉は無条件に受け入れやすい。
 地球環境に関する問題はすべて同様である。いくら自然の生態系や未来の地球環境について論じても、人間を除いては語られていない。あくまでも人間にとっ て、近視眼的には自分にとって住みやすい、という論点から語られている。

 地球環境論や「地球にやさしい」というスローガンのどこに「自分にとって」「利己的」という言葉が隠されているかと思われる向きもおられようが、 それは人間を中心とした思考をしていたのでは分からない。もっと巨視的に、地球的,宇宙的規模から自分や人間を省みるとき顕在化されてくる。

 歴史年表を見ていて、いまいち時間の流れが把握できないのは縮尺がでたらめであるからだろう。一般的な年表は年代と出来事がただ羅列されているだけで、 時間間隔は正確に縮尺されていない。縄文時代のちょっと前ぐらいに人類は生まれ、その少し前に恐竜が生きていた、ぐらいにしか把握できない。
 現在普通に使われている年表はあくまでも人間のための年表であるからやむをえないのであるが、地球規模、宇宙規模で人類が生きてきた期間を把握できない のは問題である。人間のことしか考えないのであるならそれでかまわないが、人間以外の動物や自然環境といったものを論ずる上で人間のことを主としている現 在の思考方法には問題がある。

 図1を見ていただきたい。これは宇宙開闢(ビッグバン)から地球消滅までを描いた年表である。時間軸はビッグバンから現在までの160億年を 100mmとして正確に縮尺されている。(図2〜5まで同様に縮尺)宇宙年齢(100)に対し地球年齢は(28.8)にすぎなく、かつあとその倍で地球は 消滅してしまう。こうして見ると地球の一生もはかない。
 図2はこのはかない地球の部分の時間軸を(100)としたものである。地球に生命が誕生してからけっこう永い期間があるように見えるが、この80%は隠 生代という、生命が目に見えないような小さい時代である。逆に言えば生命が生まれてから目に見えるような大きさになるまで20億年という途方もない時間を 必要とした。
 図3は生命が目に見える大きさまで進化してから現在までの顕生代を(100)としたものである。BC4億年に植物生命が海中から陸上へ活動範囲を広げて から、その進化は飛躍的に進み、動物への進化、そして巨大生物の全盛期へと進む。先にも述べたが、恐竜はすぐ絶滅したように思われがちだが、図3における 恐竜の生存期間は(28.1)であるが、この時間軸スケールでは人間の生存期間は線で表わすことができないほど短い。恐竜の生存期間2億年以上、人間は 400万年。人間はまだ恐竜の1/50しか生きていない。
 図4は哺乳類が活躍する新生代を(100)とした年表である。このスケールにして初めて猿人という人類の御先祖様の誕生が見られる。しかし猿人はようや く猿が2本足で立ち上がった状態。この後猿人は、原人、旧人、新人と進化していくが、現代人と同じ新人の登場はこのスケールでは表わせない。
 図5は新生代第4紀を(100)としたものである。このスケールの(−2.1)のところでようやく新人が登場する。そして(−0.6)の位置BC10万 年が日本の縄文時代の始まりである。ここから先は教科書に記載されている通りである。

 これだけ拡大しないと人類の歴史は見えてこない。時間軸の縮尺を正確に行うと、人類の生きている期間などとるに足りないものであることが分かる。 地球的規模、宇宙的規模から見れば人類など無いに等しいのである。

 こうして見ると「地球にやさしい」という言葉がいかに陳腐かが分かってくる。人間がいかに思い上がった言い方をしているか。
 「地球にやさしい」という言葉は「自分が生きている地球にとってやさしい」ということである。翻訳すれば、「私が生活している地球の日本の千葉県松戸市 のとある町のアパートの前のいつも汚いゴミ集荷場がきれいになってほしい」となる。汚きゃ自分で掃除しろ!と誰しも思うであろうが、それを人任せにしてお きながら、「地球にやさしい」と唱えていれば自分はなにもせずとも救われると思っている。それが人間の姿なのである。
 ゴミの袋が半透明になるだけであれだけ大騒ぎしておきながら、その舌の根も乾かぬうちに地球環境を論じる人間というものに、矛盾を感じないだろうか。あ まりにも自分中心過ぎないか。

 立場を替えて地球側から見たらどうなるか。
 人間が考えているようなことなど、地球はしてほしくないだろう。ましてや蛆虫のごとく地べたを這いずり回り、そこら中を荒し回った人間に何を期待するだ ろうか。地球が何十億年もかけて築き上げた自然を、ヒトというたった一つの種が数千年で破壊しようとしている。地球にしてみれば、道を歩いている時にいき なり汚物をかけられたようなものである。そのヒトがハンカチを出して「ウンコを拭いてあげましょう」と言っても地球が拒否するのは当然である。

 人間は文明という名のもとに、あまりにも無謀にして取り替えしのつかないことを地球にしてきた。そしてそれを止めることはできない。ならばこのま ま人間の原動力である科学文明を信じることである。今までそうしてきたように自分だけを信じて、「地球にやさしい」などと偽善的なことを言わずに、さらに 機能的な科学文明を進めることである。そして文明という汚物を垂れ流しにし、その汚物の中で死に絶えるのが人類の選択なのである。
 それが本来の「地球にやさしい」ということなのである。

年表


だな通信 <不定期刊 第17号>
配信日: 1994.1.13


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