「ちびまる子ちゃん」は現代文明の否定である

1.「ちびまる子ちゃん」の限定的解釈

 現在テレビで放映されている「ちびまる子ちゃん」は、少年少女からじいさんばあさんまでファンは多く、その熱狂ぶりは「ちびまる子現象」「ちびま る子症候群」といってもおかしくない状況である。
 何故これほど人気があるのだろうか。
 ちびまる子の第一の特徴は、行動および言動は普通の少女なのに言葉使いが老婆じみていることであろう。これは自分のやりたいことしかやりたくないという 一般成人の思いを、(幼児+老人)/2=成人 という図式に当てはめ、少女にいわしめているがためのカモフラージュである。そこには現代社会人の「やりた くてもやれない」「言いたくてもいえない」ことを全て具現化させている。そこに共感を覚えさせるのである。
 そして小学校で起きる、あるいは家庭で起きる事柄に対しても、面白そうなものは受け入れるが、詰まらないことに対しては否定反応または開き直りを示す。 しかしそれは母親,姉,先生等から非難され、彼等に迎合せざるをえない。確かに彼等の意見はもっともであり、筋道が通っているがために迎合せざるを得ず、 かといって彼女にとって不条理であることに変わりはない。そのちびまる子の立場に涙すら覚えるのである。
 しかし大人となってしまった人にとっては、ちびまる子に感情移入するのは世代が違いすぎて難しい。ちびまる子に自分を見い出せない人は、そのもどかしさ ゆえに、すなわち自分があまりにも常識人となってしまったがために、劇中に挿入される男性の一般常識人的発言に共感を覚える。それは、あまりにも常識人と なってしまった、詰まらない大人になってしまった自分に対しての自虐的な笑いとなって跳ね返る。
 このように「ちびまる子ちゃん」は少女漫画でありながら、小学校を一般社会に当てはラッパめ、ちびまる子を成人と看 做しているために、劇中に自分と他人を見い出し笑うことができるのである。

2.「ちびまる子ちゃん」の普遍的解釈

 「ちびまる子ちゃん」のエンディング主題歌「おどるポンポコリン」の歌詞をここに示す。

    なんでもかんでもみんな おどりをおどっているよ
   おなべの中からポワッと インチキおじさん登場
   いつだって わすれない エジソンはえらい人
   そんなの常識 タッタタラリラ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ おへそがちらり
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ おどるぽんポコリン
   ピーヒャラピーヒャラ お腹がへったよー

 これは今巷でもっとも流行っている歌で、かつまたカラオケでも大流行だそうである。実はこの歌詞の中にこそ「ちびまる子ちゃん」の真実が隠されて いる。
 この歌詞の翻訳は次のようになる。

   人といわず物といわず 現代文明の中にある全ての事象は
         物質文明にいいようにあしらわれ 踊らされている
   そのような文明社会は 擬人化され カリスマ性をも与えられた
   その擬人化された物質文明(すなわちエジソン)は 我々の生活を支ている
   それなくして生活できないことは 常識となっている
   コンチキショウ オタンコナス それは全てを与えてくれるが
   コンチキショウ オタンコナス 我々の欲望の全てを満たしてはくれるが
   コンチキショウ オタンコナス 我々は肉体的には満腹であるが                   精神的には餓死寸前である

 ちびまる子は小学校や家庭の中にいて、その体制に対し反対はするが、自分の意思は通ることがない。母親および姉からの意識操作に反発し、丸尾君の 唯物論的断定から逃れ、花輪君の物質優位主義にも溶け込めず、かといって浜崎君のアナキズムにもなじめない。絶え間ない迎合しか彼女には残されていない。 しかしまる子にも味方はいる。それはおじいさんとおばあさんである。一見人畜無害に見えるが、実は老人こそがまる子の考えを理解し受け入れようとしている のである。
 それは何を意味しているのか、老人しかまる子を受け入れないのは何故なのか。それを解き明かしてくれるのは「おどるポンポコリン」の2番目の歌詞であ る。

    あの子もこの子も みんないそいで歩いているよ
   でんしんばしらのかげから お笑い芸人登場
   いつだって迷わない キヨスクは駅の中
   そんなの有名  タッタタラリラ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ ニンジンいらない
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
   ピーヒャラピーヒャラ おどるポンポコリン
   ピーヒャラピーヒャラ ブタのブータロー

   あの人もこの人も現代という時間の中で
       時計の動きを速くするかのように 急いで働き動き回っている
   そんな現代人の棲むビルの陰から 提言者(メシア)が現われる
   その人の提言はこうだ
     「なんら迷う必要はない 当り前のことを当り前に行えば良いのだ
       こんなことは 今さら言うこともないがね」
   コンチキショウ オタンコナス もう馬の前にニンジンをぶらさげて
                        いるような生活は止めだ
   コンチキショウ オタンコナス もう飽食の文明には飽き飽きした
   コンチキショウ オタンコナス ゆとりのない文明社会には飽き飽きした

 現代社会の不毛な一面が明確にされ、それは否定される。さらに現われるであろう精神活動をも否定する。そしてその餓死しそうな精神は、老人にデ フォルメされた提言者によって受け入れられ、浄化される。急ぎすぎたためにあまりにも多くのものを失った人々に、作者は次のように提言しているのである。
 「現代人よ 自然に回帰せよ」


第8号
配信日: 1990.6.23


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