訳者あとがき

 いまアメリカでもっとも人気の高いミステリー作家、マイクル・コナリーの話題作『夜より暗き闇』A Darkness More Than Night (2001)をお届けする。
 当代一のハードボイルド小説の書き手の立場にコナリーをおしあげた代表作、ロス市警ハリウッド署殺人捜査担当刑事ボッシュ・シリーズの主人公ハリー・ボッシュと、昨年クリント・イーストウッド監督・主演で映画化されたベストセラー『わが心臓の痛み』の主人公テリー・マッケイレブ(元FBI心理分析官)、コナリー初の単発作品『ザ・ポエット』の主人公ジャック・マカヴォイ(気鋭のルポライター)というコナリー作品三大スターがそろい踏みしたボーナス・トラック的趣向の本書、その内容については、五條瑛氏の解説にお任せするとして、ここでは主にコナリーに関する書誌情報を紹介させていただく。
 なお、本書は、ボッシュ・シリーズの一巻ではあるが、単独作品としても読める外伝的構成を取っているため、シリーズ未読の読者にも楽しめる内容になっている。いや、コナリーの小説は、どれをとってもそれ自体完成した作品であることは、この作家の諸作に親しんでこられた読者には周知の事実ではあるが、今回はじめてコナリー作品に触れられるみなさん向けに、あえて贅言{ぜいげん}する次第。

「クライム・フィクション史上、かかる短期間にかくも多くの賞を受賞した作家は、ほかにいない。受賞にいたらない場合も、ほぼすべての作品が賞の候補にのぼっているのだ」
 評論家マイク・アシュリーが編んだ大著『モダン・クライム・フィクション大全』The Mammoth Encyclopedia of Modern Crime Fiction (2003・未訳)のコナリーの項目はこのようにはじまっているが、まさにその受賞歴・候補歴は、圧巻としか言いようがない。
 その実態を著作リストを利用してお目にかけよう――
 【著作リスト】
1 "The Black Echo"(92)『ナイトホークス』(上下)★☆
  MWA賞最優秀処女長篇賞受賞、三八口径賞受賞(フランス)、D
2 "The Black Ice"(93)『ブラック・アイス』★☆
  ファルコン賞受賞(マルタの鷹協会日本支部主催)
3 "The Concrete Blonde"(94)『ブラック・ハート』(上下)★☆
  三八口径賞受賞、D
4 "The Last Coyote"(95)『ラスト・コヨーテ』(上下)★☆
  ディリス・ウィン賞受賞、H
5 "The Poet"(96)『ザ・ポエット』(上下)☆ 
  アンソニー賞受賞、ディリス・ウィン賞受賞、ネロ・ウルフ賞受賞、マーロー賞受賞(ドイツ)、ミステリ批評家賞受賞(フランス)、H
6 "Trunk Music"(97)『トランク・ミュージック』(上下)★☆
  バリー賞受賞、H・M
7 "Blood Work"(97)『わが心臓の痛み』(上下)☆ 
  アンソニー賞受賞、マカヴィティ賞受賞、推理小説大賞受賞(フランス)、E・B
8 "Angels Flight"(99)『堕天使は地獄へ飛ぶ』扶桑社 ★
  プレミオ・バンカレッラ賞受賞(イタリア)、C・B
9 "Void Moon"(00)『バッドラック・ムーン』(上下)木村二郎訳(講談社文庫)
10 "A Darkness More Than Night"(01) 本書 ★
  B
11 "City of Bones"(02)『シティ・オブ・ボーンズ』早川書房 ★
 E・C・A・B・M
12 "Chasing the Dime"(02)(早川書房近刊)
13 "Lost Light"(03) ★
 ★はハリー・ボッシュ・シリーズ。☆は扶桑社海外文庫刊。9以外の邦訳は、古沢嘉通訳。
 アルファベットは候補になった賞の略記――E:MWA賞、C:CWA賞、A:アンソニー賞、B:バリー賞、D:ディリス・ウィン賞、H:ハメット賞、M:マカヴィティ賞、N:ネロ・ウルフ賞(いずれも最優秀長篇賞あるいはそれに類する賞)

 ご覧の通り、デビュー以来十年余、一貫して高い評価を受けつづけている。たんに「質が高い」作品を書きつづけるだけでは(それ自体たいしたものだが)、ここまでの支持は得られまい。自己模倣に陥らず、マンネリズムを避け、つねにあらたなダイナミズムを作品に注いでいるからこその評価であろう。
 全十二巻を予定されているという〈ボッシュ・サーガ〉は、まさにそのダイナミズムに動かされており、このシリーズは、つねに変化・成長を遂げている。  第一作の『ナイトホークス』から四作目の『ラスト・コヨーテ』までは、ハリー・ボッシュという主人公の造形を深めていく展開で、ボッシュの原点ともいうべき「母親殺し」事件にひとつのケリがつけられる(その過程で抱えてしまった原罪が、本書『夜より暗き闇』で大きな役割を果たしている)。
 五作目の『トランク・ミュージック』で、ボッシュは、初めて「自分に関係のない」事件を担当し、最愛の女性と再会し、有能な同僚、前任者と異なる理解ある上司に恵まれるなど「幸せなボッシュ」が描かれ、主人公およびシリーズに一時的な救済が与えられた。一種の幕間の役割を果たしている作品。
 六作目の『堕天使は地獄へ飛ぶ』から、シリーズ第二期とでも呼ぶべき進化/深化が見られる。「過去の自分探し」という、退行的と言えなくもない物語にいったん終止符が打たれると、「現在の自分の居場所探し」に物語の焦点が移行するのは必然だったが、己を枉{ま}げることを潔しとしない性格から、ボッシュは、ロス市警という「組織」、ロサンジェルスという「現代都市」、ひいては「現代アメリカ社会」との対峙を余儀なくされる。せっかく築いた愛情関係がまたしても崩壊し、市警上層部や内務監査課との確執が増し、最後には暴動によって炎上するロサンジェルスのなかで、あらたな原罪を主人公は背負ってしまう。
 そして、七作目にあたる本書では、ボッシュは、善意の悪の化身ともいうべき、ヴィジランティズム(自警主義)を体現しているように第三者の目を通じて描かれる。〈ボッシュ・サーガ〉全編の根底を一貫して流れている「深淵を覗く者は、そこに潜む怪物と同化せぬよう気をつけねばならない」という趣旨のニーチェの警句をみごとに物語化した作品と言ってもいいだろう。

 本書出版以降のコナリー作品について簡単に触れておこう。
『夜より暗き闇』の翌年発表された『シティ・オブ・ボーンズ』では、ボッシュの人生にとって大きな転機が訪れ、発売直後からファンのあいだで話題騒然となった。その反響の大きさは、CWA、MWA、アンソニー、マカヴィティ、バリー五賞の最優秀長篇賞の候補にのぼったことが如実に示す。コナリーが受賞していないのは、英米のミステリー関係の賞のなかで最高峰と言われるアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞と英国推理作家協会(CWA)賞の最優秀長篇賞だけと言っても過言ではないが、今回も苦杯を嘗めた。プロが選ぶ賞であるだけに、コナリー作品に対する要求水準の高さが一因ではあるまいか。ファンの投票で決まるアンソニー、マカヴィティ、バリー賞の結果は、ことし十月に開催されるバウチャーコンにて発表される予定。
 単発のナノテクスリラーChasing The Dimeをあいだにはさみ、ことし四月に待望のボッシュ・シリーズ新作Lost Lightが出た。9・11テロを経た影響を色濃く帯びたこの作品は、さまざまな形でシリーズ初の試みがおこなわれ、ある意味では、『シティ・オブ・ボーンズ』に匹敵する驚愕の展開が待っている。私見では、シリーズ中期はこの作品で終わりを迎えた。これ以上いったいどんな展開が可能なのか、凡夫たる訳者の想像も及ばないが、コナリーの天賦のストーリーテリングの才に大いなる期待とほんの少しの不安を抱え、来年発売予定のボッシュ・シリーズ新作を心待ちにしている――と、ここまで書いてから、あらたな情報が入ってきた。このボッシュ・シリーズ新作は、『ザ・ポエット』の続篇にもなるんだそうな! テリー・マッケイレブがここでも登場し、そして、近々ミミ・レダー監督がメガフォンをとって映画化される予定の『バッドラック・ムーン』の主人公キャシー・ブラックも姿を見せるという。コナリーの作品世界は、ボッシュを中心にますます重層化していくようである。

 なお、コナリーの略歴については、本文庫の『バッドラック・ムーン』所収の木村仁良氏の詳細な解説をご参照願いたい。あえて附言すべき事柄があるとするなら、今年、コナリーが、MWAの会長に任じられたことくらいだろうか。すなわち、名実ともにアメリカを代表するミステリー作家の立場に、いまやコナリーは立っているのだ。

 本書は、ロサンジェルス・タイムズが選ぶ二〇〇一年度ベストブックの一冊に選ばれた。

 二〇〇三年六月