来し方
1958年11月、北海道小樽市にて、石油小売商(ひらたくいうとガソリンスタンドのおやっさん)の長男として生まれる。
物心がつくまえに、親の商売が左前になり、神戸に引っ越す。以来、就職するまで神戸にて暮らす。
小学校六年のとき、おりからのサッカー・ブームにあおられ、地元のサッカー少年団(現在のヴィッセル神戸ユースの前身)に入団。センター・フォワードだったのに、背の高さを買われてゴール・キーパーにコンバートさせられたのがいやで一年で辞める。
中学校のサッカー部では、一年でレギュラーをはるも、キーパー。地元のマイナーな大会に優勝。二年新学期一週間後に転校し、新設のサッカー部入部。初公式戦でキーパーをやらされそうになり、試合直前にぜったいにいやだとごね、めでたくセンター・フォワードに。PKをはずして負ける。夏休み直後の公式戦敗退後、発作的に退部。三年の夏、どうしてもサッカーがやりたくて、関係者に頭を下げて復帰。高校入学と同時に、中1のときのサッカー部の先輩に勧誘され、キーパーをやらされそうだったので拒絶。現役のサッカー選手生命を終える。
高一の夏にSFマガジン189号(1974年9月号)の<てれぽーと>欄に載った投書が元で、地元のファングループ「サイコハウス」に参加。神戸大学SF研究会の四天王(水鏡子、
大野万紀、米村秀雄、
岡本俊弥)と出会い、いたく感化される。
一浪ののち、大阪外国語大学デンマーク語科に入学。1979年初頭、ひとつ上の学年の桂田久美子(現・大野万紀夫人)とともに(第二次)外大SF研を創設。翻訳主体の会誌一冊を出してぽしゃる。この一号雑誌「ミオシャム」に感動し、しばらくわしと文通を続けた新潟の高校生は、のちに山岸真というとっても立派な人になる。なお、このSF研からは、人気ファンタジー・シリーズ〈ヴァルデマール年代記〉(東京創元社)で有名な翻訳家、山口緑も出ている。
留年もせずに四年で卒業し、某メーカーに入社。七年半後に退社するまで、ずっとおなじ職場にいたのは、無能の印か。入社と同時に大阪に引っ越し、以降大阪府内で暮らす。
1986年8月、大阪で開かれた第25回日本SF大会「DAICON5」にて、旧知の
大森望とひさびさに出会い、「翻訳の仕事、してみる?」「うん、する」という会話がかわされ、道を踏み外す。
たまたま、東京創元社があたらしい翻訳シリーズをはじめようとしており、新人翻訳家を起用しようとしていたのだが、社外編集スタッフであった大森望とこのとき出会わなければ、いまのあたしはなかったわけで、大森センセには足を向けて眠られないかも。
初の単独訳書『ハスターの後継者』上下(マリオン・ジマー・ブラッドリー)は、87年9月刊。
89年7月7日七夕、勤め先を退社。まだ単独訳書は二冊しか出ていなかった。なんと無謀な。
2000年4月時点で、単独訳書は27冊。この14年でそれだけしか訳していないのだから、なんという仕事の遅さか……。
2005年末時点で、単独訳書は38冊。おいおい、この6年弱で、11冊しか増えていないよ。よく生きていられるよなあ。ほかに変わったことと言えば、2005年3月末に永年の借家住まいから持ちマンション住まいに移ったことと、猫以外の伴侶ができたことくらいか。