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『空腹版解読地獄の黙示録』

「イエスはいかにして十字架の上で死んだか?」
<架刑の解剖学的検証>

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責任編集;空腹ライフセーバー
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水曜日, 5月 14, 2003
■映画評



『誰が闇を見る〜「魔界転生」をめぐって』

 光のあるところに闇あり。天草四郎はそう語るが、人が闇を見ることなどほんとうにできるのだろうか。

 島原の乱の巨大モブシーンから映画は開始する。城壁をよじ登る侍たち。限りなく広い地平で無数の人々が阿鼻叫喚の地獄絵を描いている。縦横無尽に疾走するキャメラ。延々と繰り広げられる死闘。ふと軽い既視感に襲われる。この豪胆なシーンはリュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」であろうか。リドリー・スコットなのか。フランケンハイマーなのか。冒頭のモブシーンから始まる映画は巨大な資本が短時間に消費されていくそのさまから、きわめてアメリカ映画的といってよい。
 そこでは、祈りつづける天草四郎の姿が繰り返しインサートされる。信仰の真摯さの記号が明示され、タイトルが始まる直前に見事、天草四郎は絶命する。

 タイトル以降、歴史解説者のようでもあり、大河ドラマのようでもあるナレーションで一気にドメスティックな時代劇に失速する。しかも、俳優たちの演技が物語を進行させることにひたすら奉仕しており、ヴェテランたちの熱演がますます凡庸なものに感じてしまうのは、いったいどうしたことだろう。
 たとえば、「学校の怪談」という映画では、こどもたちが闇の中を手探りで歩き、そのなかで光るオバケに出会ったりすることに胸がときめく。それは闇の中になにが潜んでいるか分からぬためであり、それゆえにいっそう先の展開が楽しみになるのである。こどもは未来になにが起こるか知らない。この時間的にも空間的にも未知の部分。これが闇なのであろう。
 ところが、本作の場合、もはや天草四郎の物語も徳川幕府もわれわれには知るところであり、山田風太郎の小説もすでに読まれている。すると、その既知の部分からいかに逸脱し、予測不可能性の中に映画が運ばれていくのか、そこが本作での「魔界」の見せ所でもあるのだ。
 なぜ宮本武蔵という伝説の侍が、ここで長塚京三なのか。そのようなささやかな疑問には、長塚が「ザ・中学教師」で、平山組だからだと答えておこう。
 それはともあれ、原口智生氏は期待を決して裏切らない鮮烈なビジュアルを見せてくれる。麻生久美子や古田新太の役への入魂も感じられ、とくに麻生はさすが邦画界のエースだけのことはやってくれる。
 江戸城のミニチュアも珠玉の出来だし、柳島キャメラが森やススキ野原を高速で走り、捉えた映像も「バトル・ロワイヤル」のように気分がいい。とくに森というのは、あらゆる無数のアングルを生み出し、きわめて映画的な装置である。
 柳生十兵衛に扮する佐藤浩市。「KT」が代表作であるといってよいこの俳優は、黒谷友香・吹石一恵の必要以上に濃い芝居を受けとめ、かつ窪塚の無抑揚の発話行為を促進させるという八面六臂の活躍をみせる。これは難易度が高い。中原俊の「Lie Lie Lie」あたりから本当に面白い男優である。(そういえば、その原作は中島らも先生だったが、今ごろ電気羊の夢でも見ているかしらん)
 監督からダンテの「神曲」の絵を見せてもらい役を演じたという窪塚洋介。彼は「ホットかクールしかない」二択演技でクール演技を選択。そのため見事なまでに何もしていない、生命力を欠いた最弱の「魔界」の衆、斬新な天草四郎像を演じることに成功している。とりわけ最後の死闘、いわば「鉄鋼溶接所の戦い」はその大きすぎる飛び火も含め、まさに見どころ。どうみても十兵衛に勝てそうもない窪塚君に「天草!空飛べよ!」と思わず応援してしまうこと受け合いだ。(さらに言えば「週刊誌が出るより結婚届を出す方が遅いなんて!それも今度で3回目?」とも)冒頭のモブシーンのエネルギーと予算をラストにもう少し回してほしかったとは決して言うまい。すべて監督の狙いどおりの演出だ。
 あまりにも多くの魅惑的な要素で構成されたこの作品、文字通り人を惹きつけ惑わすあまり、すこし誉めすぎてしまったようだ。
 最高の監督・脚本家・俳優・スタッフが結集して、また新たな東映映画の金字塔が打ち立てられたといってよい。カルトファンの間でも伝説の「北京原人」や「超能力者 未知への旅人」を超えているといった声が上がっている。

 映画とは闇に投じられた光。だが、光が投じられた映画館の中にもはや闇はない。
 あるいは完璧なブラックボックス。しかし、その中に確かに物理的に存在するであろう闇を見ることができる者は、その密室に閉じ込められ死にゆくもの以外には誰もいないのだ。
 人は闇を見ることができない。そう。闇を見ることができるのは、「魔界」に棲むものだけなのである。
 さらに映画的情動とは闇に向かう力なのであって、闇から光に向かっていく運動では決してない。黒沢清は言っている。「人の死ぬ映画は面白い」と。闇に向かう話が映画の運動なのである。(鋭)



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12:57 午後
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日曜日, 5月 11, 2003


11:26 午後
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