GARRY WINOGRAND "Peace Demonstration" 1969
DIANE ARBUS "Boy with a straw hat waiting to march in a pro-war parade, N.Y.C." 1967
特別寄稿
■アメリカにことよせて
K.T.
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いつもは、投稿するにしても、A4一枚くらいに収めるようにしていますが、今回は大分長く書くつもりです。題名からも察しがつくとおり、アメリカそのものについて、何か論を張るわけではありません。それはアメリカ人とろくに話したこともない私には、そもそも限界のあることです。ここでは、私達日本人のアメリカ観について、主にその錯綜ぶりについて、見たところ、感じたことを書きたいと思います。本当に言いたいことは、その先にあります。それにたどり着くのに、とりあえずアメリカ観を問題にするのが、都合がよいように思うわけです。 日本人のアメリカ観は、極端に分裂しています。といっても大概の人は、アメリカ文化の雰囲気が好きなように見受けられます。ディズニーランドとか、ファーストフードとか、アメリカ的な世界には、掛け値なしの自由や開放感が味わえるようです。私は学生の頃少女マンガに溺れていましたが、ご承知のとおりあの分野には、素朴なアメリカびいきが多い。吉田秋生もある程度そうでしょうし、渡辺多恵子の「ファミリー」なんかまさにそうです。 一方、アメリカを歴史のない、金儲けや戦争好きの国だとして、はなから軽蔑したり、敵視したりする人たちも多い。特に日本の場合、アメリカには、ペリーによってむりやり開国させられたり、戦争で酷い目にあわされた上、憲法や教育基本法を押し付けられたりした過去が積み重なっているものですから、批判やうらみがあるのは当然です。そうした感情の動きを深層心理学的に、出産時外傷であるとか、エディプスコンプレックスであるとか説明する議論も尽きませんし、戦後の経済成長も、アメリカに対する無意識的な復讐であるという、穿った説さえもあります。 以上複雑で、なかなか手に負えそうにありません。ここで、私自身がどうであるかというと、現実問題として、初めてアメリカを強く意識したのは、80年代後半の日米構造協議の時で、アメリカの高慢ちきな要求に腹を立てていましたから、専ら批判的だった。といっても、先に書いたとおり、アメリカかぶれの少女マンガにかぶれていたのですから、大した覚悟のあるものじゃない、むしろ、怒るのを通り越してあっけにとられていた、というのが正直のところです。お互い対等なはずの経済問題の協議で、自分の商売のやり方以外正当なやり方はなく、系列とか談合など日本のやり方はルール違反であると、なんのてらいもなく言ってのける、あの自己正義視、ずうずうしさは一体何なのだろうとあっけにとられたわけです。 福田恆存に「歴史教育について」というエッセイがあって、そこにフィラデルフィアのあるクェーカー教徒の家の主人と、家の庭にある立派な楡の大木について言葉を交わした経験が述べられています。「かういふ立派な木を見ると、私達人間の方が遥かにみじめに見えてきますね。」と言ったところ、家の主人が「さういふ考え方は間違つてゐますよ。どんなにみじめな人間でも、どんな立派な木よりも尊いのです。神がさうお造りになつたのだから。」と返したそうです。それについて次のように書かれてあるのが面白い。「開いた口がふさがらないといふのはこの事だ。私はこの瞬間、アメリカ人といふもののある一面をはつきり見てとることが出来たと思つた。人がよくて誠実で、ヒューマニズムでもデモクラシーでも、何でも彼でも教へられると思つてをり、教へねばならぬと思つてゐる。それもどんな些事であらうと、さうせねばならぬと思ひこんでゐる。といふより、真実の前には、事の大小、場合の適不適はないと信じてゐるのであらう。」 私は、これを読んだ時、頭では随分納得した気持ちでしたが、その後、アメリカ版の「ゴジラ」を見て、ずっと腹に落ちた気がしました。日本のゴジラが好きな人にとって、あのゴジラはあんまりひどい、「ジュラシックパーク」の恐竜に毛が生えた程度で、つまらない以上にがっくりするものです。アメリカ人のヒューマニズムには、楡の大木の人間を超えた自然の力が想像できない、それと同じく、ゴジラのような、人間の世界のスケールをはるかに超えた、神秘的な超自然の怪獣を受け入れられないようです。そういえば、アメリカの空想娯楽物に出てくるのは等身大のヒーローばかりです。「バットマン」なんか悪役も含めて魅力的ですけれど、やっぱり等身大の人間にすぎません。それに対して、日本は「仮面ライダー」もあるけれど、「ウルトラマン」など超巨大なヒーローや怪獣が、当たり前のように量産され喜ばれている。どうも人間観とか自然観の根本がどこか違っているように思われてなりません。 何故、こんな他愛のないアメリカ観の話をくどくどとするのか、それは、アメリカが日本にとって、政治的、経済的、文化的に、ますますのっぴきならない国になっているように思うからです。テレビの評論家がいうとおり、日本はアメリカ、中国という二つの「帝国」にはさまれ、引っぱられています。帝国同士が対立を深めかねないなかで、基本的にどちらにつくのか、中立が保てるのか、それとも国内が二分されてしまうのか、何がどうなるのか分かりませんが、硬直したアメリカ観、中国観を避けるようにした方がいいと思うからです。とりあえずアメリカについて言うと、日本人は戦前、戦後を通じて、どうも単純に軽んじてつまづいているようなところがある。戦前の錚々たる知識人の対談「近代の超克」でも、アメリカはただの非文明国とあしらわれていたようですし、最近石原都知事がどこかの対談で言っていましたが、日本の政治家のなかでアメリカとのパイプを一生懸命作ろうとしている人があまりいないそうです、これはこれで危険なことだと思いました。
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