= 砂の城

05-1.その後のワールドトレードセンタービル

 2001年9月11日にあののっぺりした二つの高層タワーが崩壊してから、歴史の歯車は再び物凄いスピードで回りはじめ、しかもとにかくサイアクな最低な方向へと事態が突き進んでいくのを、なぜかこの時期にいまだかつてないほど切れ目なく忙しく働きながら、当然参加すべきデモはおろか「ハラペコ海岸」での切迫した議論にも本当に物理的に加われなかったことを、心のどこかでほっとしながら、忙しすぎて余りにも情報量が限られてしまうために現実から取り残された感じのある製作現場から不思議に薄もやのかかったようなフィルター越しに眺めていた。先日ようやく年季が明けて現実世界の砂漠へめでたく御帰還である。

 2003年2月27日、ニューヨークのワールドトレードセンタービル(以下WTC)再建のための国際デザインコンペの結果が発表された。勝ったのはダニエル・リベスキンドである。いささか遅きに失した感はあるが、この機会にWTCを巡るその後の状況について書いておきたいと思う。

 WTC再建を巡る議論は混迷を極めた。9.11の半年前にWTCのオフィスフロアの99年間のリース権を獲得したというデベロッパー、ラリー・A・シルバーステインが事故の直後にWTCをやや縮小したような提案をしていたことは前に書いた。その後、市民や遺族の反感をとりなすようにジョージ・パタキ州知事とマイケル・ブルームバーグ市長の肝いりで設立されたLMDC(Lower Manhattan Development Company)が2002年7月に6つの計画案を発表したものの、「犠牲者への敬意が感じられない」という遺族らの強い反発にあい、LMDCは素早く撤回、その後世界中から寄せられた406件の応募案から7チーム9案が選ばれ、市民へのヒアリングやWeb上での各案の公開も含め、建築コンペとしては異例なほど徹底的に公開されるなかで選考が行われた。

 こうしたオフィシャルな流れと並行して、多くの建築的提案がなされた。2002年1月にニューヨークのギャラリー、Max Protetchで行われた"New World Trade Center"展には、リベスキンドのほかマイケル・グレイブス、ザハ・ハディド、ハンス・ホライン、コープ・ヒンメルブラウ、FOA、坂茂等の名だたる建築家がドローイングを提出している。同3月には安藤忠雄が最もミニマルなメモリアルの提案を行った。これはWTC跡地に直径650フィート、高さ100フィートの円形の丘―地球のメタファーである―を作るというものだった。「事件の根幹は異文化間の対立にあった。その軋轢から生じた都市の空白を埋めるのは、建築ではない」と安藤は語っている。一方、同じ月に行われた、失われたツインタワーの輪郭をライトで浮かび上がらせるという追悼イベント「光の塔」は、アルベルト・シュペーアによる1934年のナチスのニュルンベルク党大会での「光のカテドラル」との不気味な符合が議論となった。

 そんな混乱のなかで選ばれたのがリベスキンドの案だった。リベスキンドは1946年ポーランドで生まれ、イスラエルに亡命、13歳でニューヨークへ渡り、最初は音楽を後に建築を学んだ。1988年、フィリップ・ジョンソンの仕掛けたMOMAの「デコンストラクティヴィスト・アーキテクチュア」展で、フランク・ゲーリー、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマンらとともに取り上げられる。初期の作品は建築的パーツをぶちまけたようなドローイングや機械のオブジェなど極めて難解な作風で、長い間実作よりも理論に重きを置くアンビルドの建築家と見られていた。ついに実際の建築が立ち上がったのは、デコン派の同期(?)たちよりはるかに遅い1998年(フェリックス・ヌスバウム美術館)であり、ついで完成したベルリンのユダヤ博物館(1999)―稲妻のようなジグザグの平面をもち、壁面には縦横に切り裂かれた傷跡のような窓が穿たれている。内部は方向感覚を喪失させる傾斜した通路、行き止まり、鋭角に曲がる壁面、そしてヴォイドで満ちている―は世紀末の一大スキャンダルとなった。真正のアヴァンギャルドである。

 さて、リベスキンドのWTC再建案を見ると、「グランウンド・ゼロ」を9mほど掘り下げて旧WTCの基礎にあった耐圧擁壁をむき出しにし、ツインタワーのfootprintを刻み込んだ空き地自体をメモリアルとする。さらに毎年9月11日、事件のあった時刻に必ず陽の光が差し込むようになっている「英雄たちの公園」と「光のくさび」という二つの公園を作る、というのが核心である。これらを取り囲んで、60〜70階建ての5本のオフィスおよびホテルタワーが立ち、新しい南マンハッタン駅のかっこいい建物はコンコースで連結されていてハドソン河を渡るパストレイン、地下鉄、ホテル、劇場、オフィス棟、地下のショッピングモール、地上のショップ、レストラン、カフェなどなどがにぎやかで活気あるニューヨークを演出します(リベスキンド)。…北側に位置するタワー1には、世界最高の高さ=1776フィート(インディペンデンスデイからとった)をもつ鋭い尖塔型のアンテナタワーが設けられる。その中には「垂直の庭園」と呼ばれる空中庭園が作られる。そうしてできる新しいスカイラインは、片腕を上げた自由の女神と相似形を描き、船でニューヨークに到着したばかりの移民の少年リベスキンドの脳裏に焼き付いたイメージを再現している。

 追悼施設をメインに据えたリベスキンド案は非常に分かり易く事件の遺族に好評のようである。設計者に10ミリオンスクエアフィートのオフィススペースと90万スクエアフィートのショッピングモールの確保を要求したというシルバースタインもOKを出した。地権者の港湾局が、観光客向けのバスターミナルが必要だと言えば、「グランド・ゼロ」の深さ(もとの案では20mまで掘り下げることになっていた)を変更して対応する。市当局は旧WTCで断ち切られていたグリニッジ通りを復活する内容にご満悦だ。ついでに言えば、そのキャリアからもわかるようにリベスキンドはユダヤ人建築家であって、政治的な意味合いは明白である。

 当局及び一般受けが良いのとは逆に、建築家や批評家の反応は良くない。というかアメリカが国連を無視してイラク相手にいよいよ戦争をおっ始めるかどうかぎりぎりの状況でWTC再建どころじゃねえよ、ということも大きかっただろう。「ユリイカ」2003年3月号のリベスキンド特集で、多木浩二と田中純は(コンペ結果が出る以前ではあるが)、「空虚な資本の意思の働いたタワーが(略)いつでもまっすぐに壊れるんだということをあの事件そのものが証明してしまったのだから、そこに物を建てるということ自体に非常に矛盾があるのではないか」(多木)、「(公園に名付けられた)「英雄」という概念をためらいなく持ち込んでしまう(政治的な)ナイーブさ」を危ぶみ、「WTCの場合は非常にシニカルな土台しかないので、リベスキンドにしてもそこに意味のある介入はできないし、そもそも介入すべきではなかった」(田中)と全面否定に近い。WTC問題を詳細に報じてきたウェブサイト"Architectural Record"の「リベスキンドのプランへのリアクション」というページは、「なんでツインタワーを再建しないんだ」という愛国的批判から「そのギザギザの形の根拠は一体なんなんだ」という建築批評まで、ほぼすべてリベスキンド案への批判で埋め尽くされている。

 前者のように(デザインの良し悪し以前に)そもそも「建てるべきではない」という議論は多い。事件がアメリカの象徴するグローバル資本主義とモダニズム建築への痛烈な批評であるとすれば、すべての犠牲者の遺骨さえ回収されていないその場所に再びアメリカと資本主義をシンボライズする建築を建てること(それこそが当局の要請である)にどれだけ意味があるのか?…これは倫理的な批判である。リベスキンド案を見ると、「英雄たち」「民主主義の耐久力」「スカイラインの復活」といかにもなキーワードに満ちている。リベスキンドは魂までも売り渡したのだろうのか。

 デザインについて、ほかの6組のコンペ案を見ると、メモリアルの提案と同時にWTC以後の高層建築をどうするかが大きなテーマになっている。余談になるが、解決策はどのチームもわりと似通っていて、数本のタワーを何ケ所かでくっ付けて横の移動=避難を可能にするという案外分りやすいパターンである。これが有機的な形になったりメカニックな感じになったりハシゴ状になったり―こうした形態をどのように導くか、というのが現代の建築デザインの主要な関心事なのだ。そうした中でリベスキンドの案だけは頂部分を斜めにカットした60〜70階のビルをぱらぱら並べただけで際立って普通だ。というか、そもそも建物のデザインにほとんど関心を払っていないようにさえ見える。他の空想的な案に比べて「これならなんとかなる」と当局側が考えたかどうか、それはどうでもよろしい。デコンストラクティビストとも呼ばれ歪み切り裂かれたような過激な造形を作ってきたリベスキンドのこの無気味な寡黙さは、何を物語っているのだろうか。

 リベスキンドは2002年7月の第5回ヒロシマ賞受賞講演で「建築は想起を行う。すなわち想起への戦いを遂行する」と発言している。建築はホロコースト(そして9.11)のような破局的な事件が忘却されることに抵抗するメディアでなければならない。リベスキンドの建築は闘う建築なのだ。その根底にあるのは、歴史への限りない絶望に裏打ちされた楽観主義=建築への信頼である。安藤忠雄のようなシニカルなスタンスは、建築家の倫理的立場表明であっても、アンビルドに終わることは分かりきっている。もちろん放っておけば市民に対するいいわけとしての最小限のメモリアルと最も効率的な建築がすぐにでも建てられるだろう。そのいずれでもなく、リベスキンドは今回も闘う道を選んだ。

 想像を絶する困難で孤独な闘いになることは目に見えている。コンペ案ですらいくつもの妥協を重ねていることはすでに見た通りだ。シルバースタインは今後、提携関係にある大手設計事務所SOM(Skidmore, Owings & Merrill)がオフィスタワーのデザインを担当する可能性もあると早くもけん制している。リベスキンドはオフィスタワーの設計については素人だから、というのがその理由だ。リベスキンドの名前が単に遺族らの反発を押さえる道具として使われ、デザインそのものは政治的圧力の前に骨抜きにされてしまう可能性は非常に高い。そうした敗北は大規模開発ではむしろ日常的な光景だ。それだけではない。真の困難は資本主義と表裏一体ともいえる近代建築の原理の強力な呪縛から逃れる言語を、現代の建築がいまだ持ちえていないということだ。今回のコンペを争った現代建築界の最も先鋭的な面々のプランが、様々な誘惑的な形態にも拘らず所詮はWTCのヴァージョン・アップにしか過ぎなかったことがその困難を良く物語っている。ただリベスキンドだけは形態の操作を放棄したかのような意表を突く戦法でかろうじてその罠から逃れている―その意味で今回のコンペの結論は驚くほど正しかった―とはいえ、未だ勝利からは程遠い状況だ。

 リベスキンドは、虎視眈々の政治家も全てを均質な網に捉えようとたくらむアメリカ帝国も善良なるニューヨーク市民さえも子供のように軽快なフットワークで幻惑し、そして近代建築を震撼させる空前絶後の壮大な祈念碑を立ち上げることができるか。安易なヒロイズムこそもっとも唾棄されるべきではあるが、おそらく敗北必至のこの闘いに残りのキャリアの大半を賭して敢然と挑む建築家を私は断じて支持したいと思う。(sh)

●ダニエル・リベスキンド/Daniel Libeskind/2003/http://www.daniel-libeskind.com

LMDC/http://www.renewnyc.com
Max Protetch Gallery/http://www.maxprotetch.com
ベルリン・ユダヤ博物館/http://www.jmberlin.de

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