骨がささった。ちくちく痛い。油断した、アジの南蛮漬けは要注意だと充分わかっていたはずだ。特に今日のアジは、南蛮漬けにはちょっとでかいやつだった。それをいつものように、頭からかぶりとやったのが、まずかった。なんてまぬけなへまをやらかしたんだ、まったく。まだしっかり酢につかってなくて、固いだろうことは、とっさに気づいたはずじゃないか。近年最大の醜態だ。
舌を、のどのおくのほうにやると、わずかにちくりとした感触がある。といって、指でとることは難しそうだ。お茶を飲んでも、ご飯をかまずに飲んでも、うまくとれない。のどの筋肉がうごめいて、徐々に徐々に骨を飲み込んでいっているかのようだ。ふと、「ブラックジャック」で、注射針が折れてアセチレンランプの血管のなかに流れていってしまう話を思い出した。さすがのBJも、体中の血管を駆け巡る注射針を、手術で取り出すことができず、痛恨の黒星となった、とても恐い一編だ。あの話で、注射針は、動脈から静脈までの長い旅を経て、血管の同じ場所から出てきた。この骨もまた、飲み込まれた後は、気も遠くなるような道のりを経て、戻ってくるのだろうか。
あほな空想をしているあいだ、ちっとも事態はよくならない。ひょっとして、一生このままなのかもしれない。そのうち、骨と劇的な和解の日を迎えることができるのだろうか。そうしたら毎日、話しかけたりするようになるのかもしれない。今日の調子はどうだい、なんかいつもより俺ののどに与える痛みがひ弱いじゃないか。あんまり心配かけさせるなよ、兄弟、、、、、。
思えば骨は、魚にはつきもののリスクなのだ。ひとつ間違えば大怪我にもなり兼ねない、このリスクを巧みに避けながら、肉を食べた後の、骨だけの美しさを競い合うことができるのは、焼き魚や煮魚だけだ。縄文の昔より、日本人はこのリスクに挑みながら、美味を味わい、作法を育んできたのだ。百人一首と同じく、日本伝統の競技として、もっと熱の入った取り組みが行われて然るべきかもしれない。ポイントは、尾鰭の付け根と縁側の小骨の処理であろう。このスリリングな競技を、毎年正月、晴れ着姿の女性がしなやかな箸使いで、鯛の尾かしらつきを相手に競ってみせる。きっと、新たな国民的アイドル(例えばPちゃんとか)が誕生することだろう。
森と石清水にすむ縄文人が、のどにささった魚の骨を、指でうまくつまみとり、高々と空にかざしたかと思うと、その腕を振り下ろし、次の瞬間、骨を思いきった動作で、中空に放り投げる。骨は高く高く、いつまでも上昇を続け、ついには大気圏を通り越し、漆黒の宇宙空間に達すると、巨大な大仏の唇の形をした宇宙船に姿を変える。その宇宙船は、ヤマトタケルという名の万能コンピューターが全ての動きを支配している、、、、、。
(K.T)

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