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■逆上!湯煙の里

其の十:「樅の木は残った」不忘閣(青根温泉・宮城県)
たまには格式高い文学の宿をさらりと紹介しよう(最近の「逆上」は長くてたまらんし、話は縁もゆかりもない横道へ逸れる一方、との苦情続出のため、たまには息抜き。今回は余計なネタには走らずに純粋に温泉と宿の話にまとめよう、と思う)。
宮城県南、山形との県境・蔵王の麓、そこに遠刈田温泉、青根温泉、峩々温泉が控える。遠刈田はこけしの里として名を知られ、またスポーツ・レジャーでも賑わい、旅館や温泉ホテルの他、リゾートホテルやペンションも建ち並ぶ、かなり広範囲の温泉郷である。一方、峩々温泉は蔵王連峰の中腹にある一軒宿。実に極端である。遠刈田より蔵王方面へ向かう道すがらの山間、あたりは鬱蒼とした原生林に囲まれ、秘境と呼んでも差し支えないほどの景観である。遠刈田と峩々温泉の中間の山々の中にいくつかの温泉宿が点在する。そこ位置するのが青根温泉である。そもそも青根温泉は享禄元年(1528年)に発見され、それ以来伊達家の御殿湯として栄えてきた温泉場である。その宿こそが「湯元不忘閣」である。深い山間にあるにもかかわらず、開湯以来500年にも及ばんとする温泉であるのだ。
この「不忘閣」は作家・山本周五郎が「樅の木は残った」の取材のために訪れたことでも有名である。「樅の木は残った」は伊達家のお家騒動(「先代萩」)を描いた歴史小説であり、それまでお家騒動の悪役として描かれてきた原田甲斐を一人の人間として焦点をあてた異色作であった。家督相続の騒動に巻き込まれながらも、武士として国のことを思い、苦悩し、不条理と知りながら武士としての使命を全うしようと虚しく散っていく男の物語である。物語の中にも実はこの青根温泉が登場する。甲斐が傷を癒すために湯治に訪れる「不老閣」がこの「不忘閣」のモデルである。それもそのはず、この「不忘閣」はかつては伊達藩主たちがしばしば訪れた定宿なのである。「青根御殿」と呼ばれる藩主専用の三層の建物が今でもある(現物は明治期に焼失し、現在ある御殿は昭和になって再建されたもの)。まさに森の中に楼閣然と聳える。この階上「正宗の間」には伊達家ゆかりの品々が展示され、秘境にありながら伊達家の歴史をうかがい知ることが出来る。この楼閣からは晴れた日には、遙か仙台や松島まで見渡せるという。こんな風格のある宿、わずかな小銭とタオル一本で敷居をまたぐなど畏れ多く、見苦しい格好は御法度である。歴史ある、格式高い温泉宿だ。それなりの覚悟としっかりとした懐具合が必要である。しかしながら、身銭を切って、歴史の刻まれた石畳の大風呂に浸かり、ほろ酔い気分で土地の食材を生かした御膳を頂く頃には、すっかり古のお殿様気分になれるというものだ。うむむ、苦しゅうないぞ、とつぶやきたくなることこの上なし。
また、この「不忘閣」、芥川龍之介も滞在したこともあり、離れの土蔵作りの棟で執筆に励んだということだ。山間にありながら、文人・墨客が多く逗留した温泉場なのである。確かに山々から望む眺望は眼下に広がる平野と山々、そして雲海。文人・墨客でなくとも何か難しい顔をして物思いに耽るような真似をしたくなるというものだ。
さて、同じく山本周五郎のお家騒動を描いた物語で思い出されるのが、山本の短編を下敷きに映画化された、おなじみ黒澤明の「椿三十郎」であろう(とはいっても映画は原作の骨子のみを踏襲したものであって、言ってしまえば全くの別物である)。こちらはうってかわってユーモアに満ちた痛快時代劇であったが、最後はこちらに登場願おう。斬り死にしていく甲斐の「樅の木は残った」のままで終わるのでは少々荷が重い。
「椿三十郎」ラストシーン。
街道はずれの峠。お家騒動解決で城下を去る三十郎。三十郎(三船敏郎)を追いかけて来る若侍たち。待ち受ける敵役・室戸(仲代達也)と三十郎との電光石火、一瞬の対決。一撃の勝負は瞬く間に終わっていた。そして、三十郎は若侍たちに背を向け、肩を揺すりながらニヒルに去っていく。
「あばよ」
やはりラストシーンはこうでなくちゃ。颯爽として、さらりと去っていくのが理想である。小説であろうが、エッセイであろうが、すべての文章もそうであるべきだ。さらりと締めくくるのがいいのである。そういう真似はなかなか出来るものでないが・・・。
もっとも三十郎は山本の原作には登場しない。前作「用心棒」のヒットで東宝からの「三十郎ものの続編を」という要請で、黒澤組はすでに完成していた、山本原作の「日日平安」のシナリオを急遽再編し直し、三十郎を登場させ、作り上げたのが「椿三十郎」であるのだ。しかし、映画の中では、素性のしれない豪傑浪人・三十郎の活躍でお家騒動は円満解決する。嵐を巻き起こし、そして、その後には何も残らないくらいに、風のように去っていった三十郎。散り際、去り際。まさに美学である。無念にも無惨に斬り殺さていった原田甲斐、褒美も恩賞にも目もくれず去っていった三十郎。ハードボイルドと言ってしまうとあまりにも陳腐だが、どちらにしても意地の張り合い、やせ我慢、固い殻に包まれた弱さの裏返しでもある。
そして、去っていくときは「さらば」でも、「さよなら」でもなく、やはり「あばよ」である。しかし、こういう別れの言葉を口にするほど難しいものはない。試しにひとりつぶやいてみればいい。どうしたって、柳沢真吾になってしまう。なかなか難しいのである。
「あばよー」(OZ)
青根温泉
泉質:弱アルカリ性単純泉
効能:神経痛・リウマチ・腰痛・頭がよくなる(!)
*「あばよ」と書いて締めくくったが、残念ながら「逆上」はまだまだ続く。あえて言えば、長かった宮城県編は終了し、次回より新天地へと上陸するのである。乞うご期待。温泉の旅はまだまだ長い。
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