暴論



第七百七十七論:自分が裁かれる前に

イラクのアブグレイブ刑務所で起きた看守のアメリカ兵士達による虐待事件は世界中に
波紋を広げた。次々に発表された受刑者(とはいっても裁判で有罪判決をうけたわけでは
ないので容疑者と呼んだほうが適当か・・)からの証言などで組織的な犯行が見えてきた
本人達は問題になるまで犯行と言う意識は無かった様だが・・・・


虐待の容疑をかけられた女性兵士がこう言ったらしい。「私は上司に命令されたから
忠実にやっただけで私は悪くない」 凶悪で非道な戦争犯罪者として非難を受け
このまま裁判で犯罪者とされてしまうであろうこの女性兵士の本音であろう
そいいえば、この言葉と同じようなセリフを何処かで聞いた事がある。
このサイトの扉に写真が飾られているアドルフ・アイヒマンも同じことを言った。
虐殺のスペシャリスト、アドルフ・アイヒマンはイスラエル人達の手で処刑された。
残念ながら「命令に従った」というその言葉だけでは許してはもらえないだろう


今回の事件の背景としてこんな事が語られている。「長引く戦争状態で兵士達には緊張状態が
強いられている。極限の状況が兵士達の精神を追いつめた結果、このような事件を起こした。
これと同じ背景の戦争犯罪と言えば南京事件。南京を目指す際に民間人に扮した激しい戦闘で
兵士達は大きな恐怖や不安を感じ、それが彼らを凶行に追い詰めていったとも言われる。
イラクではフセイン政府の軍隊が壊滅した後もゲリラ戦が続き、多くのアメリカ兵が死んでいる
今回の事件の容疑者には多くの予備役が含まれている。戦争に対する心構えや覚悟が充分に
出来ていない彼らの精神が追いつめられるのはさほど難しいことではないであろう




戦争犯罪では、その事件を起こしたり実行した当事者だけが責められる。
しかし裁かれるその人達は戦争が起きるまでは単なる木っ端役人やくいっぱぐれなどの
いわば「普通の人達」である。配属され命令された仕事が運悪くたまたま「それ」だった。
単にそれだけの事で取り返しのつかない犯罪に手を染め、犯罪者として裁かれてしまう。
そういえば爆撃で殺されたイラク人達だって、単に仕事が役人とか軍人だっただけの
「普通の人」である。凶悪で残虐なサダム・フェダーインなんて言うが、構成員は普通の人。
靖国神社問題で話題になるA級戦犯の人たちだって、残虐な悪人だったわけでは無い。
戦争と言うものは、それが産むたくさんの死よりも、今回の事件のような「罪人」を
作ってしまう事のほうが悲劇的である。その事に対して「たまたまそうならなかった」
者達が真剣にこう言うことを起こさない様に未来の自分たちの行いを考えなければならない。
それだけがこういう事件を起こさない唯一の方法であろう。






個人に全ての罪を着せ、責めたところでなんにもならない。
それでは簡単に歴史は繰り返されてしまう。
アイヒマンを嬲り殺しにしたイスラエルが今何をやっているか
見てみればその結果は明らかとしか言い様が無いであろう。


先の戦争の責任をたった十数人の人間に全て押しつけてしまった
我々日本人もこの事件について良く考えるべきである





自分が犯罪者として裁かれ、後世に犯罪者呼ばわりされるる前に・・・

(2004/5/16)