暴論



第壱千六百六拾八論:自分らしくが敵

1665論の続き

若者が簡単に離職してしまう理由として「自分のイメージと違う」というのが挙げられる。
これはこれで否定しようの無い事なので、ここから更に掘り下げてみる。自分の抱いた
イメージが違うという事は、自分のイメージが悪いか、イメージに合わない仕事が悪いか
ということになる。しかしながら、この自由主義経済の中で仕事そのものの内容については
たとえ経営者であっても変えられないものであるから、ここをせめてもしょうがない。
そうすると「自分のイメージ」が悪い事になる。これを自分とイメージに分解して考えて
みて、政府としては「イメージ」の精度が悪いから実際の仕事と会わないのだと考えて
みるが、1665論で述べたように年々このイメージが性格になっているのに、ギャップは
ぜんぜん埋まらないという現実がある。そう考えると本当の原因は「自分」側にあるものと
考えるのが当然である。つまり、若者が離職している理由は「自分」の問題なのである。

「自分」に原因があるといわれても、聞いた人はさっぱりわからないだろうから、もう少し
砕いてみると「自分像のイメージ」が明確でないもしくは間違っている事である。自分が
判ってないから合っている仕事なのか、そうでないのかが判らない、または合っているかも
しれない仕事を、間違った自分像と比べ「自分のイメージと違う」と思ってしまうのである。



ここ最近の若者に関するキーワードとして「自分らしく」という言葉がある。30年前ならば
自分らしくもへったくれも無く、勉強が出来るか運動が出来るかで進路は決まってしまっていた。
高校や大学にいけなければ集団就職なんかで適性もへったくれも無く社会の中に放り込まれて
行ったのである。しかしながら最近では「自分らしく」「ぞの子らしく」「個性を重視」などと
言って自分の進路についても「自分に合った」ものを選ぶようになってきている。当然ながら
就職先を探すときも「自分らしい」ものを積極的に選ぼうとするのが現代の風潮である。




しかしながら20年かそこら生きた人間に「自分」がわかるわけが無い。たかだか学校に行った位の
人生経験で自分というのがわかるはずも無いのである。自分らしいかそうでないかなんて、せいぜい
自分が人生を全うして死ぬ間際になってはっきりとわかるものなのである。また、自分の思う自分
というのは著しく客観性に欠けている。誰もが自分の欠点を直視したくないし、嫌な事については
「自分には合っていない」と思いたいものである。自分の事は時分が一番わかっていないのである。
「自分」なんてものは、たとえ哲学者になっても理解できないものであり、若者達に自分を理解し
目の前の仕事とどれがあっているかを考えさせようというのが、根本的に無謀なのである。



所詮仕事なんてものは、目の前にテキトーに並べたもの、たまたま出会ったものから選べばいいの
である。とにかく自分の力で喰わなくてはいけないんだから「自分らしく」なんていうつまらん事に
こだわっている暇は無いのである。仕事なんて合う合わないは何年のやってみて初めて判るもんで
ある。そもそも仕事の良し悪しなんて会う合わないというセンスよりも、やるやらないの態度の
問題のほうが大きいのである。世界一を目指すなら別だが、そこそこのレベルになるならないは
適性よりも努力のほうが大きいのである。だいたい各界で名を上げた人達だってよく話を聞けば
「たまたま仕事に就いた」という人が多いのである。そういう人たちはその仕事との縁を大事に
したのである。その仕事に出会ったのも、何かの縁と覚悟を決めて働けば道は開かれる筈だ。


というわけで「自分らしく」はもう捨てない?

それが一番悪いと思うんだけど・・・・



2007/7/2