わらの旅

(2007/11/30)
稲荷山(長野県千曲市)
長野市の南で千曲川が流れる千曲市の大字。元は善光寺西街道の稲荷山宿とよばれ
呉服問屋などが並ぶ結構栄えた宿場町であり、今も白壁の家並が美しい蔵が残って
いる。近くには姥捨の棚田なんかもあり信州の風情がある地区である。しかしながら
これらの蔵のほとんどが1847年の善光寺地震に伴う大火以降に立てられたもの。
JR東日本篠ノ井線の「稲荷山駅」はこの地名から取られたものだが、なぜか駅は
2キロほど離れた長野市の塩崎地区にある。理由は元々は駅建設をこの稲荷山周辺に
予定していたが、当時の風評の問題で反対運動が起こり、名前を残したまま別な場所に
予定変更された。こういう話を聞くと駅が出来たところのほうが栄えたなんて話が
よくあるが、こっちのほうは両方廃れてしまった。(正しくは駅が出来たところは
廃れたまんま)ある意味珍しいパターンである。
(2007/11/30)
稲尾駅(長野県大町市)
長野県白馬地方の木崎湖のほとりにあるJR東日本の無人駅。明治の初めに平村(現在の地名)に
合併して消えた村名を駅名にしている。また、駅の北側を通り木崎湖に流れ込む川の名前が稲尾沢川
ということから沢の名前だったのかもしれないという推測が出来るが、実際のところはよくわからない
白馬周辺で木崎湖のほとりということで若干の観光宿泊施設が散在する。木崎湖は糸魚川静岡構造線
上にある構造湖でヤマメとアマゴの雑種である木崎マスやわかさぎが釣れる。このあたりは日本海から
塩を運ぶ「塩の道」の沿線にあり、周辺にはその関係の史跡もあるようだ。
(2007/11/27)
稲荷山(埼玉県狭山市)
埼玉県狭山市の航空自衛隊入間基地と旧アメリカ軍のジョンソン基地跡地の住所。
ジョンソン基地の跡地は現在「稲荷山公園」となっている。地図上は狭山ジョンソン
基地跡地公園となっているが最近、市営から県営の公園になったときに変わったのか?
公園自体はアメリカ軍基地だった頃からあったみたいで、当時はハイド・パークと
呼ばれていた。この公園では「ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル」と
いうイベントが2005年、2006年に行われた。公園の前には西武鉄道池袋選の
「稲荷山公園駅」がある。そういや公園内には博物館があるが、なぜか稲荷山の歴史は
アメリカに接収されてからの歴史のみ。埼玉県には稲荷山古墳というのもあるが
こちらは行田市のさきたま古墳群内にある古墳であり、ここの山とは無関係。
(2007/11/26)
稲荷町(東京都台東区東上野)
東京メトロ銀座線の駅名。今は残っていない古い町名からつけられた駅名。稲荷はいわずと知れた
神社の祭神のお稲荷様・お稲荷さんと呼ばれ親しまれてきた穀物の神の総称。この地の下谷神社が
かつて下谷稲荷社と呼ばれていた事から稲荷町という町名が出来たとされる。下谷神社は18世紀
の終わりごろに初めて寄席が行われ、寄席発祥の地ともされている。場所的には上野駅からアメ横
方面、上野公園の反対側に位置する。周りには寺がやたら多いのが地図からみてわかる。葛飾北斎
の墓なんかもある。しかし都会のほうが情報不足で書く事が無くなった・・・・
(2007/11/21)
稲村ヶ崎(神奈川県鎌倉市稲村ガ崎)
言わずと知れた湘南の稲村ガ崎である。江ノ電の稲村ヶ崎駅はの江ノ島から東へしばらく海沿いに
走っていた線路が海から離れ始めたあたりにある。稲村ガ「崎」自体は駅よりちょっと東側にある。
稲村ヶ崎といえば「稲村ジェーン」ではなくて新田義貞の伝説である。このあたりは幕府のあった
鎌倉の4つの境のうちのひとつで、鎌倉幕府を滅ぼそうと進軍してきた新田義貞軍がこの稲村ヶ崎で
苦戦したが、新田義貞が海に黄金の太刀を投げたら潮が引き、それを見た軍勢の戦意が一気に鼓舞し
稲村ヶ崎の南側(つまり海側)を通って一気に鎌倉まで進んだという伝説である。ようは山育ちで
海に満潮干潮があるのを知らなかった新田軍の兵士達が勝手に奇跡が起きたと信じただけみたいだが
そのおかげで北条氏の支配する鎌倉幕府が滅んでしまったのである。稲村ヶ崎恐るべしである。
地名の由来は岬の山の形が稲の穂を積み上げた「稲叢」に似ているからというのが定説である。
そういや、今までの流れを見ると「稲」地名は何故か鎌倉幕府にゆかりがあるのである。
(2007/11/19)
稲戸井(茨城県取手市米ノ井)
再び茨城県、以外にこの「稲」の旅は偏っている気がする。稲戸井駅は取手駅を基点とする
関東鉄道の常総線の駅で取手から4つ目の駅。駅名は旧村名で稲戸井村は明治の大合併の際に
稲、戸頭、野々井、米の井が合併して出来た村で「稲戸井」は合成名。稲戸井村は昭和30年の
昭和の大合併で取手市に編入され今に至る。駅付近にある国の重要文化財である龍禅寺三仏堂は
924年に創建され、現在残っている建築は室町時代のものとされる。平将門が生まれた場所
だとか、左甚五郎が一夜で作ったとかという話が残っている。平将門が仁王門と鐘楼を寄進
したり、源頼朝が鎌倉幕府を開いたときに千葉氏に修繕させたとかの記録も残る由緒正しい寺
である。「三仏堂」とは、弥陀、釈迦、彌勒の1木3体の像を安置するところから来ている。
(2007/11/18)
稲梓(静岡県下田市落合)
ひさしぶりに何にも無い地図である。伊豆・下田というから観光地を期待してしまうが実際にもまわりに
観光施設や名所は無く、農村地帯だけであるらしい。場所は下田市外の北側で河津町との中間にある。
稲梓川と峰山薬師の中間の山の中腹に伊豆急行の駅があるが普通列車しか停まらず、バス停までも徒歩で
10分もかかる寂しい駅である。稲とつく地名だけに周辺には田んぼが広がるが山の中腹であるために
多くは千枚田と呼ぶほどではないらしいが棚田である。流れる稲梓川はその先で稲生沢川に合流する
ところを見ると、そのつながりで名前に「稲」がついた感じもする。しかし稲梓という地名は735年に
伊豆国賀茂郡稲梓郷稲梓里の占部石麻呂が調の麁堅魚を貢納したとする木管が平安京から出土するなど
かなり昔から存在していた。長く稲梓村として存在してきたが昭和30年に下田市に吸収され今に至る。
(2007/11/16)
稲田堤(川崎市多摩区)
稲城市の稲城長沼駅と同じJR東日本南武線の駅名。京王相模原線の京王稲田堤駅も近くにある。
駅は昭和2年に南武鉄道線登戸〜大丸間の開通時に、稲田堤停留場としてスタートし、翌年に
駅に昇格、戦時中に国鉄に組み込まれ現在に至る。昭和30年の春までは貨物駅でもあった。
稲田堤は多摩川の堤防の名前で昔は稲田村という行政区だったため稲田村の堤防ということで
この名前になった。堤防には明治31年に日清戦争の勝利を祈念して250本のソメイヨシノが
植えられて戦前には桜の名所として絵葉書ができるほど有名だった。しかしながら戦時中の燃料
不足や道路改修、そして大気汚染などで桜は減ってゆき、今となっては面影は全く無い。
稲田村は菅、中野島、登戸、宿河原、堰の五ヶ所が明治22年に合併して出来た。稲田村の
名前の由来は稲毛氏の所領で、このあたりが良質の米が取れたことからつけられた。村自体は
かなり広域であったが「稲田」の名前が残ったのは稲田堤だけである。そのい棚包みも少し前
までは「菅」という地名だったが、分割によって「稲田」の名前が復活した形となった。
このあたりも古くから人が住み、平安時代初期のお堂の跡が見つかったりもしている。
(2007/11/13)
稲田(茨城県笠間市)
陶器で有名な笠間にある町名。JR東日本の水戸線の駅名でもある。地図を見ると「稲里正宗醸造所」
「稲本楼旅館」など「稲田」以外で「稲」を使った企業・施設が目に付く。かつては人力鉄道があった
活気ある御影石の採石場だった。その名残で砕石販売や石材の会社が多くある。名所といえば親鸞聖人が
開き、東北地方への布教の拠点として留まった西念寺がある。西念寺は「稲田御坊」と呼ばれている。
この地で親鸞の教えを受けた笠間氏配下の豪族の名前が「稲田九郎頼重」このへんから「稲田」が
きているようである。稲田九郎頼重の情報はいろいろ調べてみたが不明。
(2007/11/11)
稲毛区(千葉県千葉市 )
いわずと知れた千葉県稲毛区、区内には「稲」がつく町名が稲丘、稲毛、稲毛台
稲毛町、稲毛東など5つある。さながら「稲天国」である。稲毛の名の由来は
いろいろ調べてみたが、古代日本の行政単位であった「稲置(いなぎ)」があった
からではないかなんて事が区のホームページにあるだけでよくはわからない。
稲毛といえば平安時代から鎌倉時代にかけて源頼朝に仕え川崎市北部から南多摩を
支配していた稲毛氏の存在があるが、この稲毛一帯は稲毛氏より早く源頼朝の味方に
なり千葉県の県名にもなった千葉県の豪族千葉氏の本拠地である。昭和のはじめくらい
までは稲毛区を走る国道14号線のあたりまでは海であり、海水浴なんかで有名な
海岸だったが、今は埋め立てられ市街地になっている。千葉大学、千葉経済大学を
中心とした大学などの教育機関が集中している場所でもある。
(2007/11/8)
稲城市(東京都 )
前回の「稲穂」という名称にになったかもしれない東京都の市。明治22年に
東長沼・矢野口・大丸・百村・坂浜・平尾の6村が合併する事になったときに
つけられたもの。当時の制度では吸収合併の場合は大町村名を、対等合併の
場合は旧村名称から「参互折中」して命名するように命じられていたが、この
六か村には中核となる大きな村が無かったために新しく名前をつけることとし
いくつかの候補が挙げられ、その結果「稲城」となった。何故稲城になったかは
良い稲が採れたとか、砦があったとか、元豪族名からとって「稲毛」にしようと
したが却下され似た名前にしたとか、諸説あるがよくわからない。この地域は
古くから人が住んでいたが、宅地化が進んだ今も緑が多い地域で人口8万人
西側は多摩ニュータウンの東端、南部は川崎市の新百合ヶ丘のあたりと接する。
また読売ランドとも接しておりサッカーの東京ベルディの本拠地、北側には米軍の
レクリエーション施設なんかがある、俳優の仲村トオルの出身地でもある。
(2007/11/7)
稲穂駅(北海道札幌市手稲区稲穂 )
昨日の稲積公園駅から函館本線をさらに小樽寄りに進んだところにある、これまた
JR北海道の駅名、町名にも「稲穂」があり稲穂一条から五条まである。駅は昭和
61年に臨時停車場として設置され、翌年に駅に昇格している。ちなみに札幌運転
免許試験場へいくにはこの駅である。札幌の人が免停喰らって講習を受けに行くには
この駅を利用する。この稲穂という地名は元から稲穂という名前ではなく1942年
までは「下手稲字星置」だった。この年に「稲の穂がたわわに実るように」と名づけ
られたと郷土史に記録がある。新しくつけられるだなんて「藁」には無かった展開だ。
ちなみに東京の稲城市の名を考えたときは候補としてこの「稲穂」が挙がったらしい。
(2007/11/6)
稲積公園駅(北海道札幌市手稲区富丘1条 )
次もJR北海道の駅名、今度は十勝平野の僻地ではなく、札幌市内の駅。地図を見ても
駅前には住宅が広がり、コンビニもある。駅名の由来は目の前に同盟の公園がある事だが
「稲積」の名は明治時代に稲積豊次郎という人が農場を開いたことに由来する。場所は
川の中州の低湿地で、大規模な土地改良を行って酪農を中心とした農場を開いたとの事。
その後さまざまな工場の進出などで地下水位が下がり酪農を続けられなくなったために
土地区画整理事業が昭和48年に認可され、駅名になっている公園や学校が作られて
今の形になった。公園は中心に「ていねプール」という造波プール、流水プールそして
ウォータースライダーを備えたプール施設を中心とし、20面のテニスコート、野球場
を備えた大運動公園である。駅は函館本線を札幌から小樽方面に行ったところにある。
(2007/11/5)
稲士別駅(北海道中川郡幕別町千住)
開始早々、さみしい地図である。駅といっても周囲にはなんにもない。よく目を凝らして
見てみれば神社のマークと、工場のマークが200〜300メートルくらいむこうにある
だけである。ウィキペディアに写真が載っていたが、見た目は「ヨド物置」みたいである。
たぶん100人乗ったら潰れる。いちおうJR北海道根室本線の正式な駅だが、かつては
仮乗降場で「幻の駅」と呼ばれていたらしい。今でも普通列車に飛ばされてしまうらしい。
鉄道ファン的に言えば「秘境駅」のひとつ。1日6人くらいしか乗り降りしないらしい。
JR北海道のHPを見てみると駅名の由来は「地域の地名」であると説明されているが、
「稲士別」という地名は地図上に無いのである。現在の地名は「千住」というらしい。
「藁」だけでなく「稲」地名もまた消え行く運命なのであろうか・・・寂しい限りだ
(2007/11/5)
藁→稲
藁のネタが尽きてはや1年半、「藁」ではシリーズが続かないので「稲」にする。
「稲」の場合は沢山あるかと思えば、意外と少ない。稲も藁も日本の大事な百姓の
文化である。・・・・というわけで、これからは「稲」を探す旅にします。
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