甘酒 Contents
甘酒は麹で作る。日本酒(ここではどぶろくを念頭においている)も麹で作る。甘酒も日本酒もコウジカビによってでんぷんが糖化されるということだ。それでは甘酒と日本酒の違いは何だろうか。甘酒をアルコール飲料だと思っている人も多いが、甘酒はアルコールを含まない。どぶろくは酒だが、甘酒は酒ではない、という違いがある。
 糖がアルコールと二酸化炭素になることが醗酵であるが、それをつかさどるのは酵母である。麹の中には酵母は含まれていない。したがって酒を作る時はコウジカビの他に酵母を導入しなければならない。簡単にいえば酵母を導入するとどぶろくになり導入しないと甘酒になる。酵母は大気中にあって自然と糖分があれば醗酵が始まるものである。アルコール飲料にしないためには大気中の酵母が甘酒に触れないようにする必要がある。ぬかりなく酒にするためには酵母が必ず含まれるようにしなければならない。
 なお、お酒の作り方の総論についてはこちら。

甘酒の作り方の例として「甘酒の老舗、天野屋さん」の場合は次のとおり。

 前日から水に浸しておいたウルチ米を朝、蒸気で蒸しあげ、三七〜三八度Cに冷めたところで種麹(コウジカビの胞子)をまぶして地下の麹室におとす。
(中略)
 翌朝になると米粒の全面にコウジカビがついてまっ白になっている。これを浅い木箱の麹蓋に広げて地下室の棚にずらりと並べる。加熱を防ぎ、酸素を十分に供給するためだ。
 こうして熟成した麹と、水に浸けてふかしあげた飯(生ゴメで麹とほぼ同量)をあわせて湯を加え、約六〇度Cの保温庫で一一〜一五時間、糖化すると甘酒となるが、風味を良くするためには、さらに常温で一〇日間ほど保存するとのことだ。(吉田豊『食卓の博物誌』pp41-42, 丸善ライブラリー,1995)
酵母が使われていない。これなら完全なノン・アルコールドリンクだ。どうして甘酒がアルコール飲料だと思われるようになったのか。単に字面からの連想だろうか。酒粕を使って甘酒をつくれば確かに醗酵するかもしれないが・・・。

甘酒の歴史は結構古そうだ。まず、中国でどのように登場したかについてみてみる。

 甘酒には酒の文字が使われているがアルコール分を含まない甘味飲料である。文献の上では西暦紀元前後の前漢の歴史を記した『漢書』(班固編)に醴酒の名で登場するのがそれらしい。(吉田豊『食卓の博物誌』P39, 丸善ライブラリー,1995)
このような記述があったため、甘酒は「醴酒」が起源だと思っていたが、今日読んだ本に次のように書いてあった。
当時(引用者注:『周礼』が記述している年代)の酒には「斉(セイ)」という神を祭るための酒と、人が飲用するための「酒(シュ)」の二種の酒があって、斉には泛(ヘン)、醴(レイ)、オウ(引用者注:字が出ない。「央」と「皿」の字を縦に並べた字)、テイ(引用者注:字が出ない。糸偏に「是」)、沈(チン)の五種、酒には事(ジ)、昔(セキ)、清(セイ)の三種があったが、これらの酒については住江金之博士が『酒の浪曼』で次のように解説している。
「斉」(古代の製法によるもので神を祭るのに用いる)
泛斉酒の表面に米粒の浮いている濁酒(にごりざけ)
醴斉甘酒のようにあまい一夜酒
オウ斉濁酒を放置して、その上澄みを更に濾したもの
テイ斉赤紅色の酒
沈斉透明な上澄酒
「酒」(人が飲用する酒)
事酒濁酒で事あるごとに飲む一般的な酒
昔酒濁酒をしばらく放置して熟成させたあと、薄く濁った上澄みをすくって集めた酒
清酒昔酒より長く濁酒を放置して、完全に透明となった上澄酒
(小泉武夫『酒の話』p17, 講談社現代新書, 1982)
 これを読むと醴はそもそも「酒」ではなかったことになる。周の時代には「斉」と「酒」は区別されていたが、後の漢の時代にもなると両者の区別はなくなり、アルコール飲料を酒と呼ぶようになったと考えられる。それでは、醴を含む「斉」とは一体何なのか。とりあえず、「醴」を漢和辞典で調べると次のように出ている。
1 あまざけ。2 あまい。「醴泉」3 すんだ酒。
[醴漿](レイショウ)醴酒。あま酒。
(『新漢和辞典』大修館)
 「酒」を引くと、それこそ、「さけ」だと書いてあるが、「斉」を引いても酒にまつわるものは出てこない。しいていえば、斉の字が「穀物の穂が出そろう形にかたどり、そろいととのう意を表す」というのがつながりを感じさせるぐらいだ。おそらく、斉は神事に使ったとのことだから昔ながらの製法にしたがったお酒だろう。それに対して、「酒」のほうはなんらかの意味で新しく、それを神事に使うのは軽薄だと考えられたのだろう。
 「斉」のほうはどんなものなのか良く分からないが、「酒」のほうは現在の日本酒に通ずるものがありそうだ。事酒はどぶろくだし、昔酒はどぶろくの上澄み、清酒は清酒だ。日本の「清酒」の語源がこんなところにあったとは驚きだ。事酒の説明にはあまいとは書いてない。糖分を醗酵させていたということなのだろう。
 「赤紅色の酒」とはなんだろうか。赤いカビをつかって糖化させたために赤くなったのだろうか。

日本に甘酒が導入されたのも結構古いらしい。

 甘酒作りの技術はわが国にも飴作りと同様、早くから伝わっていたらしい。『日本書紀』には応神天皇が吉野に行幸した折、国栖(くず、古代大和の先住民)が「醴酒(こざけ)」を献じたというのが文献にみる最初である。(吉田豊『食卓の博物誌』P40, 丸善ライブラリー,1995)
この「こざけ」が醗酵したものかどうかは良く分からない。しかし、「醴酒」の字をあてていることからするとノン・アルコールドリンクだったのではないかと思われる。

結局、甘酒が醴斉から連綿と続く飲料なのかどうかは良く分からない。ただ、コウジカビを培養させることは昔の人には難しかったのではないかと思う。だから、漢の時代に醴酒と呼ばれていたものと、醴斉は違うのではないかと感じる。つまり、醴酒はコウジカビを使っているかもしれないが、醴斉はそうでないかもしれない。同じ「醴」の字をあてているのは、単に甘い点とアルコールが含まれない点が共通しているからなのではなかろうか。

加筆99.03.07
 用事があって神田明神のそばに行ってきた。お茶の水駅からあんなに近いとは思わなかった。神田川を渡ったらほんの1分ほどだ。天野屋もあった。酒蔵のような堂々とした店構えを予想していたのだが、外から見た様子は、どこの行楽地にある茶屋である。土産物屋と茶屋からなっている。茶屋の方で甘酒400円を頼んだ。塩辛い豆の煮物がついてきた。「甘酒(実践編)」で得られた甘酒と比べるとあっさりした味だった。私の作った甘酒はうま味が強すぎ、飲み物というよりは発酵食品と感じられたのに対し、天野屋の甘酒は飲み物であった。甘味は強い。のどが焼けるほど甘かった。
 隣の売店でも甘酒を売っていた。希釈して飲むタイプで、7〜10人用とのこと。700円。