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AiroloからGoschenenへ
(アイロロからゲシェネンへ)
ゴッタルド線の旅・その3(2005/07/12)



(Airoloに到着したIR2182列車。行く手には3000m級の山並みが立ちふさがる)

★峠越えの交通路が集中

 ゴッタルド峠の南側に位置するAirolo(アイロロ、またはアイローロ)は、峠越えの拠点として知られており、 鉄道のほか、高速道路や国道が集中しています。

 地図で集落の南側に位置するのが駅。1141mの標高が記されています。その数字の左から線路は緩く右にカーブし て、道路の下からゴッタルドトンネルに入ります。
 駅の南にはインターチェンジがあり、高速道路もすぐに長いトンネルに入ります。高速道路から分かれた国道は大きなカーブで峠へと登っていきます。

 ホームの西寄り(トンネル側)から駅舎を見たところ。駅舎は水色をしています。
 幹線の駅とあって、ホームはゆったりと長く、待避線もあります。駅舎とホームの間は地下道で結ばれています。
 駅前にはホテルやレストランもあり、それなりの町並が広がっています。

 アイロロで下車したのは、ここにゴッタルドトンネルの工事の犠牲者を悼む慰霊碑があるためです。駅舎を出て左手、駐車場と道路の境に、上のような大きな 慰霊碑が建っていました。表は線路側で、そちらには下の写真のように倒れた仲間を運ぶ労働者たちのレリーフがはめ込まれています。
 裏面にはイタリア語?でこう刻まれています。
 NEL CINQUANTESIMO ANNIVERSARIO DELLA GRANDE UMANA VITTORIA
 CHE DISCHIUSE FRA GENTI E GENTI LA VIA DEL SAN GOTTARDO
 QUESTA PIETRA OVE L'ARTE SEGNA E CONSACRA
 L'OSCURA EROICA FATICA
 DEL LAVORATORE IGNOTO
 MDCCCLXXXII - MCMXXXII

 イタリア語はわからないのですが、最初に「50周年」らしき言葉があり、最後はトンネルが完成した1882年と1932年なので、50周年を記念して建 てられたようです。
 Webの翻訳ページを使ってみたところ、ほぼ次のよう な内容です。
 「偉大な人類の勝利であるサン・ゴッタルド道路の開通から50周年にあたり、ここに碑を建てて、神に捧げられた名も無き労働者の英雄的な仕事を記録す る」

 レリーフの下には「TRAFORO DEL GOTTARDO」の文字と、1872-1882という年号が刻まれています。反対側とは違い、トンネルだけの工事期間ですね。「Traforo」は良く わからないけれど、「貫通」かな。
 鉄道沿線の情報が詳しいガイドブック「Switzerland Rail・Road・Lake」によると、このレリーフは19世紀の彫刻家Vincento Vela(ヴィンチェンツォ・ヴェーラ、1820-91)によるブロンズ製で、工事で亡くなった177人のためのモニュメントとされています。

 10月3日追記。レリーフの側の年号が、反対側と違っていたことに気付き、訂正しました。)
 ちなみにヴェーラの名前の付いた道路がLugano(ルガノ)にあります。またイタリアのComo(コモ)のヴィットリア広場にも、ヴェーラが制作した ガリバルディの像があるそうです。この地方の人なのでしょうか。
 ところで、Eyewitness Travel Guideでもこの碑の説明で、工事の犠牲者は177人と書かれています。しかし、「ゴッタルド線の歴史」のページでも触れているように、スイスの鉄道に 関する本では決定版といえる「The Swiss Railway Saga」によると、トンネル工事では146人が亡くなったとされています。とすると上の177人というのは、トンネルだけではなく、その前後も含めた 「ゴッタルド線」全体の犠牲者が177人だったということでしょうか。

★主役は貨物列車

 駅に戻ると、南行きのホームに貨物列車を牽引する重連の電気機関車が停まっていました。前の銀色の方は2002年に 導入されたドイツSiemens社製のES64U2 型です。交流1万5000ボルトと2万5000ボルトの2電圧対応で、最高速度230km/hの高性能機です。後ろは同社のES64F4型でしょう。こちら は直流2電圧、交流2電圧の4電圧対応タイプです。

 続いてゴッタルドトンネルを抜けて駅に進入して来たのは、やはりES64U2型が引く貨物列車。
 複数の電化方式に対応したこれらの機関車は、ドイツからスイスへ、スイスからイタリアへなどというように直通運転が可能です。異なった電化方式に対応す るためES64F4では屋根にパンタグラフが4つも付いています。

 なお、「ES64U2」などは製造会社であるSiemensでの呼び名であり、鉄道会社は別の型式名を付けています。スイス国鉄では「ES64F4」は 「Re474」というスイス式の名前になっています。「U2」のほうもスイス式の名前があるのかもしれませんが、ちょっと不明です。ドイツ国鉄(DB)で は「182系」のようですが……。

 さて次ぎにイタリア方向からやってきたのはスイス製の機関車Re620型の重連が引くコンテナ列車です。
 Re620型は最近までRe6/6型と呼ばれていた貨物用のパワフルな機関車です。6/6とは6軸の車輪のすべてが動輪という意味で、日本で言えば EF65みたいな存在です。(もっと強力ですが)

 続いて南から来て、ゴッタルドトンネルへ向かっていくのは、やはりRe620型。引っ張っている黄色いコンテナは、 その色と少しだけ見える赤いマークから、郵便コンテナのようです。
 このほかRe460型が引く貨物列車も通るなど、ゴッタルド線では旅客列車より貨物列車が目立っています。

 さて14時53分にアイロロに着いてから1時間、次ぎに乗り込むIR2286 列車の姿が見えました。
 駅のイタリア側は上の写真のようにすぐに坂が始まっています。その坂をRe460型が引く急行列車がぐいぐいと登ってきました。
 スイスではホームの両端付近には、線路と直角に駅名標が建っているので、こういう雰囲気のある写真を撮ることができます。

★念願のゴッタルドトンネル通過

 ホームの端からゴッタルドトンネル方向を見るとこんな感じ。残念ながらトンネルの入り口は駅からは見えません。Brig(ブリーク)駅とシンプロントン ネルの関係のようです。

 15時54分、チューリッヒ行きのIR2286列車は定刻に発車し、すぐにゴッタルドトンネルに進入しました。入り 口は写真のように、あまり風情がありません。これは地図にあるように、本来の入り口の手前に道路がかぶさっているためでしょう。
 アイロロへ来るときに乗った列車での反省を生かし、今回は窓の開く最後尾に近い2等車に乗りました。
 単線トンネルが2本並ぶシンプロントンネルと違い、ゴッタルドトンネルはずっと複線です。

 2002年の旅から3年間、ずっと通ることを夢見ていたゴッタルドトンネルですが、中に入ってみると景色は見えないので、写真も撮れないし、することは ありません。工事に10年かかったトンネルを、たった10分で通過してしまうのはもったいないけれど、しかたありません。

 トンネル内は、中間あたりまでは2パーミルの上り勾配、その後は6パーミルの下り勾配になります。アイロロ側入り口 の標高は1141.5m、中間の最高地点が1151.3m、Goschenen(ゲシェネン)側入り口が1105.9mです。
 ゲシェネン側では2002 年の旅でも書いたように、いつの間にか待避線が寄り添い、複線トンネルが2本になっています。

 ゲシェネン駅には16時5分に到着。ホームからは、トンネルの入り口がはっきりと見えます。構内は何本も待避線があって広々としています。

 またトンネルを出てすぐに進行左手を見ると、シェーレネン渓谷に沿ってアンデルマットへと登っていくマッターホル ン・ゴッタルド鉄道(MGB、旧フルカ・オーバーアルプ鉄道)の支線が見えます。2002 年の旅のページに載せた写真を反対側から見ていることになります。

 駅舎は進行方向の左手、西側にあります。昔の映像を見ると旅行者で賑わっていた駅ですが、今では特急列車は停まら ず、ひっそりとしています。写真の階段の所から外へ出ると、シェーレネン支線の乗り場があります。
 アイロロと違い、駅前もひっそりとしています。


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