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Gotthard線の歴史と新トンネル

ゴッタルド線の旅・その5



(Goschenen駅で発車を待つ開業式の記念列車)「The Swiss Railway Saga」より

このページは、「2002年の旅」の中にあった
「ゲシェネンとゴタルド・トンネル」を元に再構築しました。
(2010年10月、ベーストンネル貫通で、一部追加しました。)

★トンネルの歴史

 ゴッタルドトンネルを含む「ゴッタルド鉄道(Gotthardbahn)」が営業を始めたのは1882年の6月1 日。実に120年以上も昔の話で、当時の日本の鉄道といえば、新橋-横浜間、大津-神戸間、敦賀港-長浜間(柳瀬トンネルを除く)、手宮-札幌-幌内間が あっただけです。
 そんな時期に、全長15kmものトンネルが開通し、SLが引く国際列車が走り始めたのです。それだけにルツェルンの交通博物館で買った「スイスの鉄道」 というパンフレット(英語版が売り切れで、フランス語版しかなかった)に は、「ゴタルド鉄道の建設は世紀の事業であり、トンネルはスイスの土木事業の一時代を画した」というような文章から始まっています。(ルツェルンもこの ルートの起点の一つといえ、博物館にはゴタルドトンネル工事現場の雰囲気が味わえるシミュレーターがあるなど、力が入っています。)

 もう少し詳しく歴史をたどってみましょう。今、「ゴッタルド鉄道」と書きましたが、当時は私鉄でした。

 会社がルツェルンで設立されたのは1871年11月1日。会長はアルフレッド・エッシャーでした。資金難と難工事を 乗り越えてゴッタルド鉄道を開通させた功績をたたえ、チューリッヒ中央駅の正面には彼の銅像が建っています。
 また彼が工事の資金調達のために設立した銀行が、現在スイス三大銀行のひとつといわれるCredit Suisse(クレディ・スイス)です。
 トンネルの工事は72年に南北両側から始まりました。作業を担当したのは、フランスやスイス西部のGradvauxトンネルで実績をあげていたルイ・ ファーブルです。2500人以上のイタリア人坑夫が工事に参加しました。


 ファーブルは地質調査を慎重に行いながら工事を進めましたが、スピードアップを求める政府(会社?)の要求が強く、劣悪な労働環境も相まって、1882 年までに146人もの作業員が命を落としたそうです。1875年にはストライキで工事がストップする事態も起き、環境改善の手段が考えられました。新鮮な 空気を送り込む装置のほか、圧縮空気を使った削岩機が開発され、工事は大幅に進展するようになりました。
 ファーブルは8年間で工事を完成させる契約でしたが、工期の遅れは確実でした。そして長年のストレスと激しい仕事は彼の健康を害していました。1879 年7月18日、北側のトンネルを視察中、ファーブルは心臓発作を起こし、53歳で亡くなりました。

 翌年、ようやくトンネルが貫通します。1880年2月28日の午後7時前、南側のトンネルを掘り進んでいた削岩機が、突然、空間を掘り当てました。北側 のトンネルに出会ったのです。大歓声をあげる坑夫たちの中で、技術者のFranz Lusserが、この日のために用意していたブリキの箱を、壁に開いた穴から北側の人たちに手渡しました。箱の中にはファーブルの肖像写真が入っていまし た。Lusserらは、最初にトンネルを通り抜ける名誉を、彼らの「ボス」に与えたのでした。

 【2008年7月26日・追記】トンネルが貫通したのは上に書いたように 2月28日の午後7時前ですが、この時は壁に穴が開いた状態だったようです。翌日、2月29日の午前11時10分、最後の壁が爆破され、この時が正式な貫 通の日となっているようです。ルツェルンのスイス交通博物館にある開通記念メダルにも、「1880年2月29日」と刻まれています。(このページ参照)

 トンネルの長さは14,892m(現在では15,002.64m)。南北両側から掘り進んだのに、左右のズレは数十センチ、高さのズレはわずか数センチ だったそうです。
 貫通後も、内部を広げたり、補強したりする工事が続き、トンネルの完成は1882年1月1日でした。トンネル前後の区間の開通を待たず、トンネル区間だ け、1月から定期列車が走り出しています。【訂正】この段落で、トンネルの完成が 「1982年」となっておりました。もちろん1882年の間違いです。おわびして訂正します。

 一方、トンネルの前後の区間も難関でした。左の地図の最上部にあるErstfeld(エルストフェルト)と、トンネ ルの北側入り口になるGoschenen(ゲシェネン)との間は、18kmの距離で633mもの標高差があります。(公式時刻表によるとErstfeld の標高が472m、Goschenenが1,106m)

 また下の地図で、トンネルの南側入り口になるAirolo(アイロロ、標高1,142m)と地図の一番下のBiasca(ビアスカ、標高293m)の間 は、46kmで849mもの標高差があります。849mと言えば、比叡山の標高を1m上回るほどです。

 計画段階からこのルートは国際的な幹線となることが予想されていたため、当初からラックレールやスイッチバックによって高度を稼ぐことは考えられておら ず、線路の傾斜は30パーミル以下に抑えることが最優先の課題でした。
 このためWassen(ヴァッセン)付近では2か所のヘリカルループ(閉じていないΩカーブ)と1つのスパイラル(完全なループ)を使って高度を稼ぎ、 傾斜を23パーミルに抑えたということです。(現在の資料を見ると、ヴァッセン付近の傾斜は26パーミルです)

 なお、Wassen付近の詳細図は、前ページ「ゲシェネンからルツェルンへ」の中の地図 とともに、murakさんのページ「the railway photgraph web」の中の「3 Wassen」をご覧下 さい。よくわかります。

 トンネルの南側でいちばんの見どころは、「ベリンツォーナか らアイロロへ」のページで紹介した「ジョルニコの三段ループ」。左の地図ではちょっと見にくいですが、真ん中より少し下にループトンネルが並んで いる所です。

 さて、トンネル前後の区間については、74年12月6日のBiasca - Bellinzona(ベリンツォーナ)間と、Lugano(ルガノ)- Chiaso(キアッソ=イタリアとの国境駅)間を皮切りに、次々と開通。トンネル完成から半年後の82年6月1日までには、トンネル南側のAirolo - Biasca間と、北側のImmensee(イメンスゼー)- Goschenen間が完成し、ゴタルド鉄道の全線が完成しました。見やすく書き直してみましょう。

 Arth-Goldau
  ↓  1882年6月1日
 Goschenen
  ↓  1882年1月1日
 Airolo
  ↓  1882年6月1日
 Biasca
  ↓  1874年12月6日
 Bellinzona
  ↓  1874年12月20日
 Giubiasco → Locarno
  ↓  1882年4月10日
 Lugano
  ↓  1874年12月6日
 Chiasso

 定期列車は6月1日から走り始めましたが、それに先立って5月22日から25日にオープニングセレモニーが行われました。このページのトップに掲げた写 真は、5月23日に運行されたLuzern-Milano間の開業記念列車です。
 ドイツ、イタリア、そしてスイスのお歴々が招かれ、記念列車は各駅ごとに大歓声に迎えられたそうです。しかし、エッシャーは体調を崩しておりセレモニー は欠席。そのまま一度もトンネルを通ることなく半年後の12月6日に永眠したそうです。

 左の写真は、トンネルのゲシェネン側出口の中央に誇らしげに掲げられているローマ数字です。 「MDCCCLXXXII」はトンネルが開通した年である「1882」を示しています。

 ところでゴッタルドは、各国語で綴りと読みが少し違います。また正確には前にSaintが付くようです。ドイツ語ではSankt-Gotthardでザ ンクト・ゴッタルド(またはザンクト・ゴタルド)、フランス語ではSaint-Gotardでサン・ゴタール、イタリア語はSan-Gottardoでサ ン・ゴッタルド。英語読みではゴットハードと読んだりします。スイス国鉄のページなどを見ていると、ドイツ語ではSaintの部分は省略されていることが 多いので、辻本もそれに従うことにします。
 1906年にシンプロントンネル(19,803m)が開通するまでは、このトンネルが世界最長の鉄道トンネルでした。ちなみにシンプロントンネルは 1982年に上越新幹線の大清水トンネル(22,221m)が出来るまでの長い間、世界最長を保持していました。(1921年には19,823mと少し長 いシンプロン第2トンネルが平行して完成していますが。)
2005年8月20日・追加】これまで、第1トンネルの長さを 19,823m、第 2トンネルを20,036mと書いていましたが、変更しました。ネットを見ていると、これらの数字を含めて諸説あるようですが、「Bahnprofil Schweiz '05」や、「Bahnatlas Schweiz」に従って訂正しておきます。
 またシンプロントンネルについては、2005年の旅の
ページもご覧下さい。

★AlpTransitプロジェクト

 かつては独創的な電気機関車「クロコダイル」が活躍したこのルート、現在では、クロコダイルより小型で強力な機関 車がトンネルを通過しています。しかし、やはり1151mという標高の高さは輸送上のネックになっており、もっと下に全長57kmにもおよぶ「ゴッタル ド・ベーストンネル(ベーシストンネル)」を掘る工事が進んでいます。

 上の地図はその計画図。中央がゴッタルド・ベーストンネルですが、その前後、チューリッヒ近郊の小さな丘と、南側のCeneri ベーストンネルを合わせた大プロジェクトです。
 ゴッタルド・ベーストンネルの出入り口になるAltdorfとBiasca間で新旧の路線を比べると、次のようになります。


在来線
新線

区間距離

96km

65km

トンネル全長

15km

57km

最高地点

1,151m

550m

最大勾配

26パーミル

12/17パーミル

(パーミルとは千分率。26パーミルとは、水平距離1000mで26m上下します)


 新トンネルの完成予定は2011年です。完成すれば53.85kmの青函トンネルを抜き、陸上、海底を問わず世界最長のトンネルになります。そして現 在、新鋭列車のチザルピーノで3時間40分かかっているチューリッヒとミラノが、2時間40分で結ばれるそうです。また貨物輸送への恩恵も大きく、現在の 1日140本、年間輸送量2000万トンが、220本、4200万トンになると見られています。
 プロジェクトについては、スイス国鉄のプロジェクト専用ページに詳 しく掲載されており、力のいれ具合がうかがえます。

 というように2002年の旅の後で書いたのですが、その後、AlpTransitのページを見ると、完成予定は2012年に変わっていました。
 さらに2006年2月、このページを見たスイス在住の女性からメールをいただきました。この方はトンネル建設会社の広報担当者とも電話で話されたそうで す。この方の情報は以下の通りです。

 現在イタリア語圏に建設予定のチェネリ・トンネルの予算が1億7400万フラン追加で掛かることと、TBM堀 削機がほんの一部しか使えないため建設が2年遅れる。またゴッタルド・トンネルの手前のErstfeld区間の建設の入札が裁判沙汰になり、オーストリア の会社からスイスのMartiという会社に建設工事担当が変更されたため、工事が遅延する。賠償金も現在、額は不明。
 なにせ膨大な計画です。ゴッタルド・トンネルの区間が計画通り2015年12月に開通しても、従来のフラット路線の意味が、チェネリ無しでは解決しない ため、チューリヒとミラノ間2時間40分で走るのは、早くとも2018年の事。現在、政府の担当委員会とアルプ・トランジット会社が経費削減で交渉中で す。ゴタルド・トンネルの真中に駅をつくり、800mエレベーターで地上に昇るポルタ・アルピーナ計画も、先週末の地元のグラウビュンデン州の住民投票で 予算が承認されました。しかし国鉄が難色を示しているので、どうなります事か。

 ということで、この時点でも完成は2015年になっているようです。まだまだ開通への道のりは遠そうです。

★ゴッタルド・ベーストンネル貫通

2010年10月18日・追記】 2010 年5月15日、 ゴッタルド・ベーストンネルが貫通しました。青函トンネルを上回る世界一の長さということで、一般紙でも報道されました。
 AlpTransit のページによると、この日貫通したのは平行して2本掘られているトンネルのうち東側(南行き)のほうで、貫通地点は北側から30km、南側から 27kmの地点。5つの工区のうち南から2番目のFaido工区のボーリングマシンが、北側のSedrun工区に向けて最後の壁を掘り進み、14時30分 に貫通したようです。誤差はわずかで、水平に8cm、垂直は1cmだったということです。現在のゴッタルド・トンネルの時の誤差は、上に書いたように「水 平に数十cm、垂直に数cm」でしたから、130年たって精度が一桁上がりました。
 トンネルは2本が40mの間隔を空けて平行して掘られており、西側トンネル(北行き)のほうの貫通は2011年4月と見られています。

 また開通については、このページでは「the end of 2017」に運行が始まると書かれています。ただし、直前にはAlptransit計画に含まれる南側のチェネリ・ベーストンネルの話が書かれており、こ の2017年というのはチェネリ・ベーストンネルの開通も含んだ日取りかもしれません。「チューリッヒからミラノまで、現在の3時間40分が2時間50分 になる」というのは、あくまでチェネリ・ベーストンネルが開通した上での数字でしょうから。
 ゴッタルド・ベーストンネルだけで考えると、西側トンネルが来春に貫通したとして、それから開通まで6年もかかるのはちょっと長すぎる気がします。チェ ネリ・ベーストンネルの完成を待たずに、ゴッタルド・ベーストンネルだけで先に開通するような気がします。

 


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