いい人の観念を初期化して再構築しよう(なぜにタイトルがコンピュータ用語)      身留苦


人が非常にしばしば犯しやすい間違いがあります。
あまりにも沢山、悲しいほどに見過ぎてきました。

ありあまる時間はないのでたらたら能書きは書かず、
簡潔に要点を述べます。

あなたによくしてくれる友達、あなたに甘言を注いでくれる友達がいます。
その友達が他人に非道な行いをしている時、または他人と喧嘩をした時、
闇雲に、ただ自分にとってその友達がいい人だから、よくしてくれるから。。。
ただそれだけの理由で、その友達はいい人と決め付けてしまい、
真実を見る目にふたをして、強引きわまる単純な論法「この人はいい人だ。自分は知っている。」で、
友達をかばってしまったことはありませんか。
そのように心の中で思ってしまったことはありませんか。
たとえば非道をしているという噂を聞いて
「・・・はいい奴なんだから、あなたの批難は間違っている」
とよく調べもせずにかばったり、逆に友達に苦言を呈する相手を責め立てたりするのは、
本当に愚かしいことです。

友達、という言葉を家族におきかえることもできます。
同僚、同級生、そして宗教集団の名前でもよいでしょう、色々とおきかえてみて下さい。
つまり自分にとっていい人イコール他人にとっていい人とはかぎらない、ということです。
文章にすればこんなにも単純明快なことを理解しない人が多いのは、
みずからの目をみずからで塞いでしまっているのです。
こういったことを非常に多く見るわけですが、
意識して、つまり、以上の理屈がわかっていながらやっている悪質な人はまれでしょう。
多くはこの世に生きる人間の心の弱さの発露だと思われます。
原始生物は、心地よい刺激のある方へと進みます。
人間もまた原初的な本能によって心地よい刺激に傾きがちです
この世は自分を中心に回っているものですが、他人から見た自分はどうなのかを考える時、
人を思いやる心が生まれます。
本能を超えた理性を備えてこそ人間は人間らしくなるのです。
大きな話ですが、それは人類愛にもつながり戦争の抑止にも欠くべからざる考え方です。
自分が見た同じ物事が他人にはどのように見えるのか、
角度を変えた見方ができてこそ柔軟な頭の持ち主と言えますし、真の思いやりを体現する人格者になりうるのです。