影踏み 当時、この村ではほんの一時的にこんな迷信が流行った。 他人に影を踏まれると寿命が縮まる、病気をもらう、よくない事がおこる。 まあ自分の姿かたちを映したものを踏まれるのだから、 確かにあまり気持ちのよいものではない。 しかしそのときは、実にまことしやかにそれが囁きあわれたのである。 そうすると、子供たちは図に乗る。 集まって待ち伏せし、気の弱そうな大人を選んで襲撃するのだ。 折りしもその日は月の綺麗な十三夜であった。 椰央は、いつもつるんでいる友達を引き連れ、寺の前の道で待ち伏せをしていた。 そこに、鍵屋の次男坊が通りかかった。 鍵屋の次男坊・平八が目の前を通り過ぎようとする。その影は、前の方に伸びている。 椰央は、さっと手をあげた。椰央を含め五人の子供たちが、彼の前に踊りでる。   ――影や道陸神、十三夜のぼた餅 さあ踏んでみいしゃいな―― 誰がはじめに歌ったか、誰がそれを伝えたか…、流行り歌を口ずさむ。 平八は驚いて悲鳴をあげる。とっさに後図去ったが、子供たちはしつこく彼の影を踏む。 「引け!」 椰央が言うと、子供たちは四方にわっと散っていく。 「こら!」 "影を踏まれたものは、踏んだ相手の影を踏み返すと、その呪いから解かれる" これはおそらく、この遊びが流行ってから誰かが付け足したものだろう。 しかし、平八はとっさに、追いかけて子供たちの影を踏み返そうとした。 子供たちは笑い声を残してさっと消えてしまった。 それは他愛もない子供の悪戯だった。しかし、平八はその頃からおかしくなった。 突然、訳の分からない独り言をボソボソと呟くのだ。 問い返しても、「死ね」「去ね」と短く返すのみでまったく相手にしない。 それは日増しに激しくなり、まるでおかしな薬でも飲まされたかのようになった。 突然叫びだしたり、訳の分からない言葉を言ったり、笑ったり、泣いたり、脅えたり…。 しかたなく鍵屋の主人は、屋敷に座敷牢を作り、そこに平八を軟禁した。 それはたちまち村の衆の耳に広まった。そして、子供たちの耳にも伝わった。 その日椰央は、あの日いた子供を、いつも溜まり場にしている川原に呼び集めた。 普段は陽気な彼らも、このときばかりは沈痛な面持ちだった。 釈然としない空気。椰央は、悪い夢を見ているときのようで気持ちが悪かった。 「なあ、平八がおかしくなったのは、やっぱ俺たちが影を踏んだからなんじゃないかな?」 一番小柄な隆臣が、切り出す。 「まさか。影を踏んだくらいでおかしくなんてなるもんか。  俺たちだって互いに影を踏みあって遊ぶ事くらいいくらでもあっただろ。」 即座に蛍麻が返す。蛍麻は、呪いだのまじないだのに興味を示さないタチなのだ。 「いやでもあの日は月夜だった。何か出てもおかしくない。」 「隆臣、そういうこと言うなよ。一体何が出るって言うんだよ。」 力持ちで喧嘩の強い泰三は、意外にこういうものに脅える。 「草太に聞いてみるか?草太ならこういう呪いには詳しいんじゃないのか?」 椰央は、旧友である草太の名を挙げた。そこにいた三人は、一斉に顔をしかめた。 「やめとこうぜ椰央。あいつは大人の手先だ。  あいつに言ったら俺たちが平八の影を踏んだってばれちまう。」 集まった三人を代表するように泰三が言った。 平八は、まともに話ができないせいで、子供たちに影を踏まれたとは言っていないのだ。 「なあ、平八に俺たち全員の影踏ませたら、元に戻らないかな?」 隆臣が、遠慮がちに提案する。 「そうだな、駄目で元々だもんな。やってみようぜ。」 泰三がそれに賛同する。蛍麻も一応それで納得する。そして、椰央にも目で問う。 もちろん椰央はそれに賛成だった。 ところで、その時、椰央はさっきから感じていた違和感の正体に気づいた。 「なあ、あの時俺たち五人じゃなかったか?」 椰央、蛍麻、泰三、隆臣…。それぞれが、お互いの顔を見渡す。 そうだ、ここにもう一人、居たはずなのだ…。 その日椰央は、三人に黙って草太の所に行った。草太は、話を聞いて、苦い顔をした。 「誰も覚えてないんだ、最後の一人が誰なのか。いつもの面子で遊んでいた筈なのに。」 それでいて、他の皆も、もう一人居たような気がすると言っている。 「お前らの思い違いでないとすると、妖怪かなんかがまじってたんだろうな…。」 「…どんな?」 「わからないよ。しいて言うなら、"影踏み鬼"…かな。」 「鬼…か。」 その夜草太は、祖父が寝るのを見計らい、家の書庫にある文献を漁った。 机の上に置いた一本の蝋燭が、書庫の扉に怪しく大きな影を作る。 ふと紙面から目を上げ、その影を見つめる。 「…心の闇…か。」 他愛もない迷信は信仰となり、信じる心が物の怪を生む。影は、容易く姿を変える。 不意に、見つめていた書庫の扉が開く。 「草太、こんな遅くに何をしとるんじゃ?」 「爺さん…。」 椰央は、祭主には話さないで欲しいと言っていた。 自分たちのせいだと知れたら必ず怒られる。 人一人狂気になってしまったのだ。叱られるのを脅えている場合ではない。 それに、この祖父なら、何も悪いようにはしない。 そうは思ったが、約束は約束だ。草太は、祖父には何も言わない事にした。 「何かあったのか?」 「いや、なんでもないよ。」 「そうか…。」 祭主は、特に問い詰めては来なかった。しかし、おもむろにこんな事を言った。 「今日、鍵屋の主人から平八の払いを頼まれた。来週様子を見に行く事になっている。  草太、特に予定がないなら一緒に来てみないか?」 心の中を見透かされたようで驚いたが、願ってもない話だった。 「俺が行っていいの?」 「ああ。お前はワシの弟子でもあるからな。いろいろと仕事を見せておきたい。」 平八は、檻に入れられた獣のようだった。 うろうろと座敷を歩き回り、なにやら呟く。かと思えば奇怪な叫び声を挙げる。 話には聞いていたが、空恐ろしくなった。 お払いは、ごく簡単なものだった。祖父は、祭壇を立てて幣を振るった。 草太は、平八の影ばかり見ていた。 平八が動いて影が揺れるのか、影が動くのに平八が操られているのか。 祖父の祝詞が最高潮に達した時、平八の影が、びくりと躍り上がった。 草太は驚いて息を呑んだ。影が平八から離れようとしているように見えたのだ。 祈祷をした祖父も、立ち会った家族も、誰も気づかない。 もしかしたら草太の見間違いだったやもしれない。 「一応簡単な処置はしておいたが、いかんせん原因がつかめない。 また日を改めて来るので、平八が呟く言葉で何か意味をなすようなものがあれば、 どんな些細なものでもよいから書き留めておいてもらいたい。 お役に立てなくて申し訳ない。」 祖父は、鍵屋の主人に頭を下げた。二人は、鍵屋から立ち去った。 次の日、草太は椰央を川原に呼び出した。 それは、先週椰央たちが集まったあのとちょうど同じ場所だった。 草太は椰央に事の次第を話した。 平八が祈祷で治らなかったと聞いて、椰央の表情は暗くなった。 「やっぱり、最後の一人を見つけ出して平八に影を踏ませるしかないと思う。  平八はお前らの影を踏み返そうとしたんだろう?  平八は、影を踏み返せば呪いが解けると信じていた。だから必ず効果はある。」 「俺たちの中に紛れ込んでいた影踏み鬼を探すのか…。  そんなの何処をどうやって探せっていうんだよ…。」 草太は、何も言わずにかぶりを振った。その時。 「おい、お前ら何を話してんだよ?」 いつのまにか、土手のほうに蛍麻と泰三と隆臣が居た。そして、俺たちを見ていた。 「お前ら…なんでここに…」 「隆臣がお前らが連れ立っていくのを見たって言うから、後をつけてきたんだ。」 椰央が困ったような顔をする。 「どうかしたのか、椰央?」 「ごめん草太、先帰っててくれ。」 草太は、素直に帰るつもりだった。 しかし今日が十三夜だという事に気づき、何故か胸騒ぎを覚えた。 その言いようのない不安を椰央に伝えたくて、もと来た道を引き返した。 皆は、まだあの川原で話をしていた。椰央は、三人に囲まれていた。 「椰央、なんで草太に影踏みのことを話したんだよ?」 泰三が椰央を問いただす。 「平八の病気が俺たちのせいだなんて知れたら俺たち村に居られなくなるぜ。  お前は地主の家だから安心かもしれないけどさ。」 「俺は…草太は絶対にチクらないと思ったから…」 三人が顔を見合わせる。 「別に草太に話した事自体はそう対した事じゃないかもしれない。  でもさ、約束を破ったって事は許せないな。」 「つーかお前らってさ、なんかコソコソしてて怪しいよな。何かと言うと二人でつるむし。 なんか隠し事されてるみたいで気分悪い。」 「別にっ…あいつとは…家が仲いいから馴れ合ってるだけさ。」 「気持ちは分からないでもないけど、ほどほどにしろよ。」 そう言って蛍麻が手を伸ばし、椰央の右目をふさぐ。 そして、ちょっと力を入れて手のひらで小突く。 それは、草太の右目の事を示唆するものだった。 その一部始終を草太は見ていた。別に聞くつもりはなかったし、聞きたくもなかった。 しかし、声をかけることはできなかった。 それからしばらくたって椰央は解放された。 うつむき加減に帰路をたどる椰央に、待ち伏せていた草太が、声をかけた。 草太は、隠し事をしているのが嫌で、あの会話を聞いていたと椰央に打ち明けた。 椰央は怒らなかった。 「確かに俺はお前らよりも"大人"に近いんだろうな。  親父が居ない分、俺はその代わりを務めなきゃならないし  お前らとも、遊んでいられなくなったし…」 「草太、」 「…なんだよ?」 「俺は…俺はお前の事一番大事な友達だと思ってる。  大人の手先とか子供の仲間とかそんなんじゃなくて…」 「分かってるよ。」 夕焼けの帰り道、川下の橋のたもと。 二人は川向こうに住む子供たちが5、6人集まって影ふみをしているのを見る。 その子達は、椰央より三つ四つ歳が下で、たまに連れ立って遊んだりもする。 「おいお前ら、早く帰らないともう日が沈むぞ。」 土手の上から椰央が声をかける。 「大丈夫だよ、今日は十三夜だから。夜になっても怖くないよ。」 輪の中の一人が返事を返す。 「あんまり遅くなるなよ。」 椰央はそう言って、彼らに背を向けた。 「今日、十三夜なんだな…。」 「あれからちょうどひと月たったんだな。」 なるほど今日は十三夜だ。天気もいいから今日は綺麗な月が出る。心配はない。 ということはあれから実にひと月が経ったということだ。 「そうだ…今日あいつら、影ふみをするかもしれない。」 今日は、あの日と同じ十三夜。草太には、それが妙に気にかかっていた。 「そっか!そしたら今日は十三夜だし、あいつらの中に"影踏み鬼"も現れるかも…」 椰央が草太の考えを見抜き、早口でまくし立てる。草太は強く頷いた。 二人は急いで元来た道を引き返した。まだあの場所に三人は居るかもしれない。 果たしてそこに、まだ三人はいた。 三人と話し合った末、川向こうの子供たちには事情を話さない事にした。 あの中には、既に"影踏み鬼"が何食わぬ顔で潜んでいるかもしれない。 勿論見知らぬ顔の者などいない。 田舎の常で、そこにいる子供たちの家業や家族も全部知っている。 でもそれは錯覚かもしれない。実際、椰央たちは騙されたのだ。 今、川向こうの子供たちは、橋の袂で互いの影を踏みあって遊んでいる。 もうすっかり日も暮れ、真っ暗な空に月が銀色の光を放っている。 子供たちは、最後に、この橋を通った大人をちょいと脅かして、それで解散する事に決めた。 椰央たちも彼らに見つからないよう、適当な場所に隠れた。 「おい、どうするんだ椰央?このままじゃ誰が鬼だか分からないよ。」 「うん…。草太、分からないのか?」 「悪いが俺も皆知ってるやつにしか見えない。」 「取りあえず全員捕まえようぜ。それで怪しい奴を探そう。」 「全員捕まえるのか…こっちが一人少ないな…。」 「うん…」 「でも、やつらの中に鬼が混じっているって確証はないんだろ?」 蛍麻が言う。そこをつかれると椰央も痛かった。確証なんて何もないのだ。 「…直接身体に触れば、なにか違和感を感じるかもしれない…。」 控え気味に草太が言った。 「頼りないな…」 「しょうがないだろ。まだ見習いなんだから…。」 その時、向こうから古着屋のおばさんが歩いてきた。 なにやら用事を済ませて家へ帰るところらしい。 椰央が息を呑んだ。 「かかれ!」 その言葉を合図に、川向こうの子供たちが木の陰や岩の陰から飛び出した。 「きゃあっ!」 古着屋のおばさんが悲鳴をあげる。   ――影や道陸神、十三夜のぼた餅 さあ踏んでみいしゃいな―― 子供たちが歌いだす。椰央たちは、子供を捕まえようと飛び出した。 泰三は、おばさんの影を踏みに行った子を体当たりで突き飛ばした。 「痛ってぇ…何すんだよ…」 「悪い、ちょっと話が…」 蛍麻がひとまず話し合いにこぎつけようとする。しかしその時、誰かが叫んだ。 「皆、逃げろ!捕まるな!」 「うわあっ」 その声で、はじかれたように、子供たちがちりぢりになって逃げ出す。 後から思えばそれは、紛れ込んでいた鬼が、子供たちをけしかけた言葉だったのだ。 「こら、お前ら逃げんな!」 わらわらと逃げ出す子供たち。ある者は橋の向こうへ、またある者は畑の方へ。 その時、一人の子が、草太の脇を通り抜けて、橋の下へ降りようとした。 草太の視線が、通り過ぎたその子の、足元で止まる。 「皆、そいつ、影がない!」 背を向けて走っていくその子を指差す。 「待て!!」 隆臣がその子供の肩に手をかける。 すると子供の姿は、するりと溶けて、黒い影だけになってしまった。 影が、月の光があたらない場所へ身を隠そうと逃げていく。暗がりに同化しようというのだ。 「その影を踏むんだ!」 草太が叫ぶ。椰央は追いかけて、その影の上に飛び乗った。 すると、影は黒い風呂敷になっていた。 五人は次の日、祭主に連れられ、鍵屋を訪れた。 草太は昨晩、皆の了解をとって、祖父に全ての事情を話しておいた。 祖父は、子供たちを鍵屋の一家の前に並ばせ、事の次第を説明させた。 鍵屋の者たちは、影踏みの呪いと聞いたとき、一様に脅えの表情を見せた。 話を聞くと、この家では、皆、強く弱く影踏みの呪いを信じていたという。 「平八は、影を踏まれることに脅えていた。その心の闇が鬼を生んだのじゃ。」 祖父は皆にそう説明した。 その後、あの時と同じように座敷牢の前に祭壇を造った。 そして、平八の前で祈祷を行い、最後に平八の足を取って、昨日の黒い風呂敷を踏ませた。 すると風呂敷は平八の足に解けるようにして消えていき、 平八の影から、微かに黒い煙が立ち昇った。 平八は、そのまま気を失ってしまったが、程なく意識を取り戻した。 そして、狂気になっていた間の全ての事を忘れていた。