まちぼうけ 「おい、兄ちゃん。もう祭りは始まってるぞ。早く来い。」 村の子供たちが通りかかり、ガキ大将らしき少年が声をかけてくる。 青年は、なにやら大きな黒い機械を構えたまま動かない。 それは、カメラという写真をとる機械だったのだが、子供らにそれはわからない。 子供たちは、顔を見合わせて去っていった。 夜になり、祭りはいよいよ怪しさを増す。 人々は狐の面をかぶり、声高らかに踊り狂う。 そして、月が沈むとともにそれぞれの寝床へと帰っていく。 あの時通りかかった子供たちも、親に手を引かれて帰っていく。 だが青年は、まだあの湖でカメラを構えていた。 湖のほとりで小さな赤い火が燃えている。 家への帰り道、蛍麻はその火に気づき、青年に話し掛けた。 「兄ちゃん、そろそろ帰ったほうがいいよ。このあたりは色々な妖怪が住んでいる。 祭りの夜に面もかぶらないで外に居たら、キツネにつれて行かれちゃうよ。」 青年は「いいんだ」と一言言っただけだった。 あとはじっと湖を見つめたまま。てんで取り合ってもらえない。 「しょうがないな。じゃあこれ羽織っておきな。面も俺のあげるから、ちゃんとかぶるんだよ。 夜は冷え込むから気をつけな。」 青年の肩に暖かい毛皮が掛けられる。そのとき青年は初めて蛍麻の顔をみた。 狐の面をかぶった少年が焚き火の明かりに照らされて立っている。 「これ・・・」 蛍麻が自分の面をとって青年につける。 「帰るときにそこに置いておいてくれればいいよ。それじゃ、僕はもう帰るね。」 去り際、青年は蛍麻の背中に向けて一言、「ありがとな」と言った。 何故だかとても嬉しくなって蛍麻は大きく手を振った。 そして、逃げるように家まで走って帰った。 次の日、祭りの二日目。日が沈み、蛍麻が祭りに行く途中。 青年はまだ湖にいて、あの機械を構えていた。 「兄ちゃん!」 嬉しくて思わず呼びかけてしまったが、邪魔をしては悪かったかと思い直す。しかし青年は、蛍麻の声に笑って応えてくれた。 「お前また来たのか。これ、ありがとな。暖かいよ。」 まるで自分が誉められたようで、とてもウキウキした気分になる。 「兄ちゃん、祭りには行かないの?」 「いいんだ、俺は。」 そう言って、青年の目は再び湖に戻ってしまう。 「お前、この湖に竜が住んでいるって伝説を知っているか?」 蛍麻がうなずく。 「この機械は写真機なんだけどな、俺はその竜の写真をとりに来たんだ。あ、触るなよ。高い機械なんだから。」 青年が写真機を小脇に庇うようにしたので、蛍麻は反対側の隣に座った。 「そんな高価なものよく買えたな。兄ちゃん、ボンボン?」 聞くと、青年は少し躊躇いながらぶっきらぼうに言った。 「俺の名は物部彰人。この山の向こうに鉱山があるだろ。あの鉱山の経営者の息子だよ。 ここの竜のことは、うちで働いている鉱夫から聞いたんだ。」 「へえ・・、金持ちなんか。」 「金はあってもろくな家じゃない。人を散々こき使ってぼろ布のようにした挙句 使えなくなったらポイと捨てる。鬼のようなやつらだよ。 でも、俺もそうなんだ。そうやって人を犠牲にして生きてきたんだ。 だから俺は家をでたんだ。俺は鬼の仲間にはなりたくない。」 そうして、すっかり暗くなった湖を見ていた。 「こんなに暗くちゃ竜なんて出てきてもみえないよ。」 「あのあたりまでなら見えるだろ。俺にはこの三日間しか時間はないんだ。 一分一秒だって無駄にできるもんか。」 青年は祭りが始まったその日からここに張り付き、 ずっと湖を見張っている。 「たった三日間見ていたところで都合よく竜が出てきたりするもんか。 俺はここにもう何年もすんでいるが、一度だって竜を見たことはない。」 「わかっているさそんな事。それでも俺は見たいんだ。来年だって再来年だってまた来るさ。 「ならいっそ村に住んでしまえばいい。」 「それはできない。俺はあの家の長男で跡取息子なんだ。 どんなに家業が嫌いだって帰らなきゃならない。」 「お前、祭りに行くんじゃなかったのか?」 「いい。気が変わった。俺もここで竜を待つよ。俺も竜が見てみたくなった。」 「物好きなやつだな。」 「物好きなのはそっちだ。」 蛍麻のふてくされた顔を見て、青年は腹を抱えて笑った。 そうして二人は色々なことを話し合った。 鉱山の事、竜のこと、村のこと・・・。 「山の仕事は大変だよ。水も出るしガスもでる。光は射さないし 天井が低いからまっすぐ立つこともできない。 一番つらいのは、山を直接掘る一番奥のところさ。 そんなところは誰もやる人がいないから、 町から囚人を連れて来て働かせているんだ。 逃げ出す人も沢山いる。死んでしまう人だっている。 囚人が死んだときは、脱走したことにされるんだ。 いくら囚人と言っても、山で働かされて殺されるなんて噂がたったら大変だから。 死体は、前は掘り起こした土の中に埋めてたけど、 最近じゃこの湖に投げ込んでるよ。 ここは死体があがらないから絶対にばれない。」 「彰人さんは、本当は家を継ぎたくないんだね。」 彰人がうなずく。 「最近は外国からやすい鉱石が沢山輸入されだしているから 国産の鉱石が売れなくなってきているんだ。 会社が潰れないように働いている人の賃金を削ると、鉱夫たちは反発する。 でも、うちの山がダメになったら鉱夫たちは生活できなくなる。」 「そうだね・・・。でも僕は、できれば山を削ってほしくない。 いまでこそあの山は鉱山だけど、鉱脈が見つかるまでは、あの山は神の山で誰も入ることを許されなかった。 いつか怖いことが起こりそうで、そんな話を聞いてるといまから怖いよ。」 青年の表情が曇る。実はもう怖いことは起こっているのだ。 この間、掘り進んでいた場所から毒性のガスが出て辺りにいた鉱夫が死んだ。 ガスはしばらくして出なくなったが、今でもガス用のマスクが手放せない状態が続いている。 「お前、そろそろ祭りが終わる時間だぞ。帰らなくていいのか?」 「うん・・・でも彰人さんは、まだここで竜を待つんでしょ? だったら俺も・・・」 「ダメだ。親が待ってるんだろ。子供は早く家に帰れ。」 「彰人さんだって親が家で待ってるじゃないか。」 「祭りが終わった朝にはちゃんと家に帰る。 だからお前も今日は家に帰れ。」 蛍麻はわかったようなわからないような気分だった。 しかし、これ以上言ったらきっと彰人は怒ると思い、おとなしく帰ることにした。 次の日、蛍麻は日が沈むとすぐにあの池まで走っていった。 彰人は相変わらずただぼうっと池を眺めていた。 そして、蛍麻がきたのに気づくと、軽く手を上げて挨拶をした。 「こんばんは。」 「よう。」 「どう?あれから竜はでてきた?」 「いや、そんな気配まるでないよ。」 だが、そう言っている彼の顔は言葉ほど気を落としてはいない。 魚釣りをする人のように、 なにもない時間を楽しんでいるかのようだった。 遠くから、笛や太鼓の騒がしい音が、夜風に乗って聞こえてくる。 心地がよくて、ついうとうととしてしまう。 そういえば、この村に来てからの三日間、まともな睡眠を取っていない。 深夜に数時間、仮眠をとっているだけだ。 元より三日間しか居られないのだからと、ずっと起きているつもりでここに来た。 しかし、今日はもう駄目だった。 隣に人が居ると言う安心感も伴って、ついうとうとと眠りこけてしまった。 まあいい。きっと何かあったら蛍麻が起こしてくれるに違いない。 妙にふわふわとした頭に蛍麻の声が聞こえてくる。 「彰人兄ちゃん、起きて。ほら、あれ!」 はっとなって彰人が飛び起きる。湖をみると、巨大な黒い影がこちらに近づいてくるところだった。 彰人は急いでカメラを構えた。 レンズの向こうで黒い影が近づくのが見える。 黒い塊から伸びる手足のひれ。長い首。 そいつは彰人の目の前まで来て、水面を破って跳ね上がった。 美しい巨体が水を跳ね上げて空を飛ぶ。淡い月光がその姿態を照らす。 彰人は夢中でシャッターを切った。 一度跳ねて深く潜った後、竜は再び湖上に戻り、彰人を見下ろした。 「竜だ・・・」 「よかったね。彰人兄ちゃんの為に来てくれたんだ。」 彰人は信じられない思いで竜をまじまじと見つめた。 「綺麗だな・・・」 何故だか真剣にそう思った。 「それじゃ、僕はもう行かなきゃ。」 「え?」 横を見ると、蛍麻はいつのまにかいなくなっていた。 代わりに蛍麻の声で喋っていたのは ちょうどあの竜の半分ほどの大きさの、そっくりの仔竜。 「お前・・・」 「彰人兄ちゃん、元気でね。」 蛍麻がヒレをばたつかせて池へと入っていく。 そして湖上の竜を「お母さん」と呼んで近づいていった。 二人が寄り添って池の底へ帰っていく。 彰人は呆気にとられたまま遠ざかる二人の影を目で追うだけだった。 「蛍麻・・・」 「蛍麻!」 思い切り叫んだような気がして体を震わす。 最初に飛び込んできたのは薄青色の空。 呆然としたまま半身を起こす。体に掛けられた毛皮がずり落ちる。すぐ隣に蛍麻がいた。 「あ、彰人兄ちゃん。起きたんだね。」 「そっか俺・・・寝ちまったのか・・・。」 なにやら悔しい思いでいっぱいになる。 「うん。疲れてるみたいだったから起こさなかったんだ。 竜が来たら起こそうと思ってたんだけど、やっぱり来なかったよ。」 「そうか・・・。」 落胆の思いで辺りを見回す。東の空がもう明るくなってきている。 「馬鹿、お前・・・なんで家に帰らなかったんだよ。」 蛍麻ははにかみながら笑った。 「もうこんな時間か・・・。もうバスには間に合わないな・・・。」 バスは、夜明けと共に村を出る。ここからでは、それまでには到底間に合わない。 「あーくそ、この荷物であの山道を歩くのか・・・。」 落胆しつつもカメラを畳んでバッグに入れる。 「バス、乗りたいの?」 「あ?」 「なら送ってあげるよ。背中乗って。」 言うなり蛍麻はほとんど強引に彰人を背中におぶろうとする。 「ちょっと待て。お前なにを・・・」 「いいから、」 蛍麻が彰人の股下に入り込む。するとどうしたことだろう。 蛍麻の体がみるみるうちに大きくなる。 首が伸び、全身が茶色い毛に覆われる。服など元からなかったかのように消えてしまった。 慌てて手をついた背中は、すでに逞しい馬のものになっていた。 農馬ではない。逞しく野をかける野生の馬だ。 彰人が自体を理解するよりも先に、蛍麻は彰人を乗せて立ち上がり、駆け出した。 蛍麻が草を蹴る度、激しく揺れる。彰人はたてがみをつかみ、必死で蛍麻にしがみついた。 もう回りの景色も何も分からない。ぐるぐると振り回されるまま 跳ねる体につかまっているだけで精一杯だった。 彰人の背中でカメラの入ったリュックもバサバサと跳ねた。 馬は飛ぶように野をかけた。 そして、村の入り口にあたる大きな杉の木の近くまで来た。 もうバスは来ていた。客もぼちぼち乗り始めた頃だった。 蛍麻は人目を避けるように森の中で足を止めた。 蛍麻がひざを曲げて伏せる。彰人はその背中から降りて改めてその馬を見た。 するとどうだろう。 馬と思ったそれが、小さく小さく萎んでいく。 子供ほどの大きさを過ぎてもまだ萎む。 犬ほどに縮み、鼻は尖って目が鋭くなり とうとう蛍麻は、一匹の賢そうな狐に姿を変えた。 そう、蛍麻は、竜でもなければ馬でもない。狐だったのだ。 「じゃあね。」 蛍麻が森の奥へ消えていく。 「来年も来る!」 蛍麻の後ろ姿に、彰人は慌てて声をかけた。蛍麻はちょっと振り返り 「そうだね。来年こそ竜に会えるといいね。」 「そうじゃなくて・・・」 彰人が言い終わるのを待たずに、蛍麻は森の中へ消えていった。 彰人はしばらく呆けていたが、バスのけたたましいエンジンの音を聞いて我に返り、 慌ててバスに乗り込んだ。扉はもうしまっていたが、 彰人の姿を見て、運転手が開けてくれた。満員の車内。一番後ろの席に座る。 彰人が席に着かないうちに、窓の外の景色が流れ出す。 目を凝らして森の木の間を見ても、もう蛍麻の姿は見えない。 複雑に入り組んだ森。その上の押し迫るような山。村が小さくなっていく。 遠くきらめく湖の水面に、また来ることを誓った。