静かな店の奥。少年店主が歌うように語る。 「ここに置いている道具たちはね、皆"曰く付き"なんだ。 ごみ置き場から拾われてきたり、借金のかたに売られたり。 僕自身もそう。曰く付き。僕もこいつらと大して変わらない。」 昔話でも聞いているかのような、妙な心地よさ。 そこでは、言っていることの真偽など、まるで問題ではなかった。 「僕は森で拾われたんだ。最初に見つけたのは連れていた飼い犬。 だから俺はこの家の子ではなく犬が拾った犬の子。 僕の名前、"シンク"は森の狗と書くんだ。」 一種独特の雰囲気を持った少年だった。 傍から見れば、草太の持つそれと似ていたかもしれない。 「さあ、今度は君の話を聞かせておくれ。 君はうちの爺さんが招き入れた客だ。もっと君の事を知りたい。」 迷ったが、草太は馬鹿正直に、ちょっと前まで湖の人柱だったと言った。 どうせ信じやしないだろうと思ったからだ。 だが森狗は、面白いと言った。昔話に目を輝かせる子供のようだった。 「長い夢を見てた感じだった。 水の上を通り過ぎていく太陽を、何をするでもなくただ見ていた。 退屈だとは思わなかったな。 とても長い間だったのに、長いとは思っていなかった。」 「きっと君は時間に対してひどく鈍感になっていたんだろうね。 竜の寿命はきっとすごく長いのだろうから。 ああそうだ。もしかしたら爺さんは、その鈍感さを気に入ったのかもしれない。」 彼が言う爺さんとは、実の祖父の事ではない。 店の中の一番目立つところに居座った、あの柱時計のことだ。 草太と帰る部屋を共にするようになってから数ヶ月。 働き始めたばかりの忙しい日々は怒涛のように過ぎ、季節は既に夏を迎えようとしていた。 それでもその日は休みを取り、草太と話をしたいと思っていた。 「この辺りは星渡っていう地名だったらしいよ。」 家からそう遠くない場所にある川原。那央は草太と散歩に来ていた。 さっきから何度となく草太の様子を窺っているが 特別な反応をする様子はない。 本当に、忘れてしまっているのだろうか。 「なあ、あの湖に居た頃の事って、まだ思い出せないのか?」 思い出すだろうかと思って、そう話をふった。 「覚えてはいるよ。ただ、ぼんやりしてるってだけで。」 草太は人柱となっていた間の事について、よく覚えていないと言った。 それについては、言いたくないというよりも、 本当に覚えていないといった風だった。 「ちょうど二年前の今日、ここでお前と会ったんだ。」 夏草が生い茂る川原。昨夜の雨を受けて、川はやや増水していた。 「会った?どういうことだよ?俺は一切人前に顔を出してなかった筈だ。」 草太にとって会うとは、湖に隣接した洞窟で、那央が草太を呼び出すという事だった。 あるいは草太自身が気まぐれに湖から顔を出す、という事。 いやしかし那央の言っているそれは違うのだ。 那央は草太と、この川原で再会をしたのだから。 「それでも、会っていたんだよ。ここで。」 「この町で?湖にいた筈の俺とこの町で会ったっていうのか?」 草太は更に詳しく聞こうと質問を繰り返したが、那央は言葉を濁した。 予想はしていたが、悔しかった。自分だけが覚えていたということが。 「教えてくれよ。聞いたらなんか分かるかもしんないだろ。」 「いいよ。俺が夢を見ていただけなのかも知れないし。」 そう言いながらも、そんな風には微塵も感じていない。 あれは夢なんかじゃなかった。 川原からは、ちょうど対岸にあの古道具屋が見える。 「那央、ちょっと寄っていこう。」 少し上流まで歩いて橋を渡る。店の中を覗くと、あの爺さんが居た。 那央は草太がこの店に来たことがあることを知らない。 こんな店になんの用だと不思議そうな顔をしている。 「おや、久しぶりだね草太君。」 鼻の頭に丸い眼鏡を掛けた爺さんが気さくに話しかけてくる。 こっそりと那央の様子を窺う。どうやら、那央にも爺さんは見えているようだ。 「こんにちは。こっちは那央。俺の友人。」 「知っているよ。君はよくここの道を通っているね。」 那央は驚いて目を見開いたが、草太はさほど驚かなかった。 「ちょうど二年前、こいつが向こうの川原に来た時のこと覚えてる?」 その言葉で那央も、草太がこの店に入った意図が掴めた。だが 「草太、いくらなんでもそれは無理だろう。 いくら記憶がよくたって、普通、そんな事まで覚えてはいない。」 でも那央は知らない。この爺さんは、普通ではないのだ。 「俺、そこで那央と会った筈なんだ。それを確かめたい。」 「おや、覚えていないのかい?だったら草太君、君が自分で確かめに行けばいい。」 「確かめる?」 草太がその意味を理解するよりも先に、時計の針がぐるぐると回りだした。 以前にもあったあの感覚。時の渦に、身体ごと、吸い込まれていく。 「草太!」 最後に那央の声が聞こえ、その後はよく分からなかった。 気が付いたときそこは、あの古道具屋の前。空からは、しとしとと雨が降っていた。 川原を見てみると、向こう岸の土手の上、傘を差した人の影が二つあった。 夜霧ではっきりとは見えないが、あのどちらかが那央だろう。 だとしたらもう一人は、自分だろうか。 近寄って確かめようと道から川原に降りる。 足に絡まる草を踏み分けながら川岸に立つ。 一人は那央。もう一人・・・あれは、自分ではない。 その時、那央が振り向き、草太に気づく。 まずいと思ったが、そんな草太の事など知りもしない那央は、 差していた傘を置いて、川岸へと駆け寄ってくる。 ああそうだ。那央は確かに草太と会っていたのだ。 夢などではない。那央が今会っているのは、時を越えた草太なのだ。 「草太!」 岸まで来た那央は、迷うことなく川へと足を踏み入れる。 だがそれも膝までが限度だった。雨のせいで、川が増水している。 「来るな。流されるぞ。」 草太の声に那央は唇を噛み締めた。 降り止まない雨のせいで、泣いているようにさえ見えた。 その時、那央の手がぼんやりと光りだした。 その光は姿を変え、まばゆい剣の姿となる。 あの剣には見覚えがあった。忘れようもない。 あれはヤマタノオロチを退治した時に現れた天叢雲の剣。 いつの間にか消えたと思っていたあの剣は、那央が持っていたのだ。 那央がその剣を天に掲げる。 すると、激しい風が天を突き刺し、雲を割った。 その雲の間から見えたのは、まばゆいばかりの星空。 そして真ん中には、毀れ落ちそうな程の見事な天の川。 「そうか、今日は・・・」 今日は七夕。奇跡の起こる日。 雨が止むと、激しく流れていた川はぴたりと止まり、 どこまでも平らな川面は、鏡のように、天の川の星々をきらきらと映し出した。 そして那央は、その川面の上に立っている。 草太も一歩を踏み出す。足は沈まなかった。 まるで、鏡の上を歩いているようだった。 だが、これだけの奇跡が起こっているというのに 草太の頭は、それについていけていなかった。 だって、なにもかも突然のことなのだ。 那央の方はいいだろう。会いたいと願って、それが叶ったのだから。 草太にしてみれば、これは晴天の霹靂。 歴史を壊してはいけないとか、元の時代に無事に戻らなければとか、 この足がいつ水の中に沈むのかとか。 そんな事ばかり気になって、感情が付いていかないのだ。 それに、川向こうでこの現象を見ている那央の友人。彼もこの光景を見ているのだ。 この不思議な光景を、彼はなんと思うだろう。 そして、那央とこうして会っている自分が男であることを、彼はどう理解するだろう。 だが那央は、そんな事には構わず、草太に駆け寄る。 その距離が近づくほどに、緊張と僅かな怯えを感じた。 那央が遠慮がちに手を近づけ、草太の頬にそっと触れる。雨で冷えた冷たい手。 正直、逃げ出したいような気分だった。 「草太だよな?」 仕方なく頷く。目を合わせ難くて顔を逸らした。 横顔に感じる那央の視線は妙に居心地が悪く、 ぼうっとしてたら、捕らえられてしまいそうな気さえしていた。 勘弁して欲しい。 こうして軽く触れられただけで、頭が真っ白になっているのに これ以上何かしたりしないで欲しい。 「悪い。俺、すぐに戻らないと・・・。空、また雨雲が戻り始めてるし。」 その言葉は嘘じゃなかった。風が引き始めた空に、雲が押し寄せようとしていた。 「てかここ川の真ん中だろ。こんなとこ落ちたら溺れるって。」 視線から逃れながら、その手を引きずって、那央が元いた岸へと連れて行く。 岸で待つ那央の友人が、傘を差したまま唖然と二人を見ていて、恥ずかしさで消えたくなった。 「待てよ、次はいつ会えるんだ?」 「いつって・・・」 言っていいのだろうか。 だってこんなことどれだけ説明したって那央が納得してくれる訳がない。 それに俺がそれを言うことで未来が変わってしまう可能性だってあるのだ。 「なあ!」 那央が焦れて大声を出す。それに釣られ、草太も自棄になった。 「っせーな。二年後だよ!」 言った後は、那央の手を振り払い、対岸へと駆け出した。 冷静に考えれば戻る必要なんて何もないのに、 その時は戻らないといけないような気がしていた。 振り返ることも出来なかった。 川に浮かんだ星たちが、雲に覆われて消えていく。 ポツリと落ちた雨が、川面を揺らし、星が揺れて消える。 流れ始めた冷たい水が、草太の足をつかんで引きずり込む。 水に、落ちる。 「草太!」 流れに巻き込まれながら、那央の声を聞いた。 違う。水の中まで届いたにしては、はっきりと聞こえ過ぎている。 これは岸から聞こえてきたものじゃない。 古道具屋の爺さんは、草太と共に突然消えてしまった。 店の中を探し回って奥へ行ってみると、本を読んでいる少年がいた。 「おい、ここの店主は何処に行ったんだ?」 「店主?店主は俺だ。」 「じゃあ、さっき店に出ていた爺さんは?」 「爺さん?あの爺さんのことは俺に聞いてもらっても困るんだ。 客が来ると、時々出るらしいんだが・・・まあ普通の人じゃないんだ。 うちの座敷童子のようなものだ。あんた、なにか言われたのかい?」 「俺の友人がそいつに連れて行かれたんだ。一緒にここに来たんだが、突然消えて。」 「消えたって、神隠しかい?」 「・・・まさか。」 その単語を聞いて怖くなった。無意識に、そう考えないようにしていたのだ。 また、だなんて思いたくはない。 「お客さん、もしかしてその連れって言うのは草太君の事じゃないかい?」 「草太を知っているのか?」 「ああ。彼はあの爺さんに気に入られているようなんだ。」 嫌な気分だった。 草太は今でも、そういった不安定な存在の近くに身を置いているというのか。 「草太君は五年前にふらっと来て、あの時計を直して消えた。 今思うと、あの時は未来に帰ったのかもしれない。」 驚いた。そんな事、草太から何も聞いていない。 那央の知らないところで、草太は那央の知らない世界を見ていた。 「本当に不思議な人だね、彼は。」 「草太は普通の人間だ。」 「そうはっきりと線引きをしてしまっては、 壁の向こうに追いやられたモノたちが可愛そうだと思うがな。 あんたはあいつの友達かい?」 「家族みたいなもんだ。」 「そうか。ならそう思いたい気持ちも分からないではないがな。 でも、あんただって子供の頃は分かっていたんじゃないのかい? そういうモノたちが居るって事を。 まあここで話していても埒が明かない。あんただって草太君が心配だろう。 どれ、ちょっとあの時計のほうを調べてみようか。」 ――だったら草太君、君が自分で確かめに行けばいい―― あの爺さんは、確かにそう言っていた。 だったら草太は、過去の世界へ行ったのだろうか。 だとしたらもしかして、那央が会ったのは、 過去の世界へ行った草太だったのかも知れない。 「この時計、文字盤が逆なんだな。」 「ああそうだよ。この時計は作った人がへそ曲がりでね。 でもほら、裏にすると普通回りの文字盤だろう。 だからこの時計は過去を遡れるんだ。 おや、大分時間が進んでいるね。直そうか。」 森狗が時間をあわせて直したが、どうしたことか、針が動かなくなってしまった。 螺子を巻こうとしたが、何故だか固くなっていて、螺子が回らない。 「僕じゃ、駄目なのかもしれないな。」 「俺がやる。」 そう、何故だかその時、そこに草太が居るような気がしていたのだ。 森狗と場所を変わって、名前を呼ぶように螺子を回す。 草太、と。 ああ、あれは那央の声だ。未来の、現在の那央の声。 川に流されながら、もがきながら、それでもはっきりと聞こえた。 気づいたとき草太は、ずぶ濡れになって、あの柱時計の前に転がっていた。 那央がすぐに駆け寄って、何やらやかましく声を掛けた。 暫くして森狗の手によって毛布が掛けられ、乱暴に身体を拭かれた。 濡れた身体を拭いて、森狗に服を借りると 帰る頃にはもうすっかり暗くなっていた。 空には満天の星。川は、飛沫を上げながら速く流れている。 「俺、二年前のお前に会ってきたよ。」 那央は、怒っているようにも見えた。 心配を掛けて悪かったとは思うが、何もそんな怖い顔をしなくても、とも思う。 「お前の友人っぽいのも一緒だったな。」 「学校の寮で同室だった奴だ。」 那央が寮生活をしていただなんて、初めて聞いた。 那央は草太の前でこっちの学校での事をあまりしゃべらない。 草太が村の学校すらあまり行っていなかった事を気にしているのだろう。 「なんて説明したんだ?」 「説明も何も、見たまんまを信じてるよ。」 見たまま、と言われても。何の説明もなく納得はしないだろう。 だが那央は、やはりそれ以上何も言いそうになかった。 「綺麗だったな。星の川。」 問い詰めるのもどうかと思って話を変えたが、微妙な空気は変わらない。 二年も前の事なんて、覚えてないだろうかと思ったが、 那央は更に気まずくなる言葉を返した。 「俺は、お前しか見てなかったよ。」 それではまるで、周囲ばかり見ていた草太の方が悪者みたいではないか。 いや、気にするまでもない。那央がたまに口にする、ただの恨み言だ。 「お前逃げたろ、あの時。」 「なんだよ、それ。」 図星だったが、認めるのも癪だったので誤魔化す。 「お前はいつも何も言わずに居なくなるよな。」 那央が溜息と一緒に吐き出す。そう言われてみると、確かにそうかもしれない。 「わざとやっているわけじゃない。」 ただ、最近続いているだけ。 いつからだろう。あの五年前の事件からだろうか。 いや、もっと前からそうだったかもしれない。 草太だって、別に離れたいわけじゃない。 ただ、傍に居ると不安になるのだ。どうしていいか分からなくて。 「別に縛り付ける気はないけどさ・・・。約束してくれよ、必ず帰ってくるって。」 まるで、子供に言い聞かせる親のようだった。 だがその言葉は、温かな毛布のようで、嫌な気分はしなかった。 「分かった。」