家から数分の距離。 大きくも小さくもない川沿いの道に妙に気になる古道具屋があった。 いつ行っても、やっているのだかいないのだか分からない。 いつだって、ガラス張りの引き戸が、しれっとした顔で草太を見ていた。 しかし今日は、その引き戸が今日はちょっとだけ開いていた。 引き寄せられるように中に入る。店員は、いないらしい。 所狭しと陳列された道具たちは、 古いながらも埃は付いておらず、ちきんと手入れをされている。 しかし、物の値段が分からない草太には、ガラクタのようにも見えた。 その中で一際目を引く存在は、なんといっても柱時計だった。 細かい細工などはされていないが、何故だか目が行ってしまう。 柱時計は、まるでその店の主であるかのようだった。 「この時計が気に入ったか?いや、この時計がお前さんを気に入ったのかも知れんな。」 突然人の声がして、悪いこともしていないのに肩がビクリとした。 そこに居たのは、小さな丸い眼鏡をかけた爺さんだった。 どうやら彼が店主らしい。 「その時計は珍しくてね。針が普通のものとは逆に回るんだ。試してみるかい?」 そういうと店主は、奥の箪笥の引き出しから小さな螺子を取り出して、草太に渡した。 「俺がやっていいのか?」 「君は特別だよ。試してごらん。」 草太は、振り子の上にある小さな穴に螺子を挿し入れた。 二回、三回。ゆっくりと螺子を巻く。 針が、静かに動き出した。 普通と逆の、反時計回り。 しかしどうしたことか。 針の動きは次第に速度を増し、通常ではありえないほどの速さになった。 針が見えないほどに速く、速く。 その渦の中心に、世界が巻き込まれていく。 そして、自分自身も。 気がつくとそこは牢屋だった。座敷牢、とでも言うのだろうか。 やがて弟の裕樹が現れてこう言った。 「――那央はこれから竜神となって湖に棲み、いつまでも村を守って行く。」 何のことかすぐには分からなかった。 裕樹は草太を外に連れ出した。そこは故郷の村だった。 いつになく沈みかえった村。誰も表を歩いているものがない。 裕樹は草太を家に連れて行った。 そこで草太は祖父の口から那央の最期を聞かされた。 「あやつはワシの手で湖に突き落とした。恨むならワシを恨め。」 信じられなかった。ここは五年前の世界なのだろうか。 いや、そうだとしてもおかしいではないか。 湖に突き落とされたのは那央ではなく草太なのだから。 驚きながらも握り締めたままの手のひらに違和感を覚え、そっと開く。 そこには、あの時計の螺子が握られていた。 那央を助けなくては。 竜は湖の畔にある洞窟の泉で呼び出すことが出来る。 そのためには鬼の家に伝わる五十鈴が必要だ。 本来ならそこにあるはずの物だが、このドサクサに紛れて持っていった者が居る。 おそらくは、博隆。あの人に会いに行こう。 博隆の家には一度行ったことがある。 計画はしたものの、それが実現するまでにはしばしの時間がかかりそうだった。 親たちの監視がひどく厳しくなっていたのだ。 何処へ行くにも行き先を聞かれ、村中の者全てが自分の事を見ているのを感じた。 町へのバスは隣村から出ているが、おそらくこの様子では乗せてはくれないだろう。 親たちからそちらにまで手が回っているはずだ。 夜の帳が下りる。あの時計を回してから、どれくらいの時間が過ぎているだろう。 果たしてもとの世界に戻ることが出来るのだろうか。 じっとりと、時間だけが過ぎていく。 窓の外の虫の声。何も見なかったかのように知らん振りをする村。 明日になったら、足で山を越えてみよう。 じっとしているのが辛かった。動き出せば、何か変わるような気がしていた。 朝が明けるとほぼ同時に家を出た。 村の朝は早い。何人かの大人に何処に行くのかと呼び止められたが、 祖父の言いつけで斎場まで行くのだと嘘をついた。 咽るような藪の中、たった一人。奴隷のように足を進める。 頭は朦朧としていたが、歩き続けることで正気を保っていた。 山向こうの村から馬車に乗り、鉄道に乗って町へと出た。 草太は、正直に言うと博隆のことはあまり好きではなかった。 その理由を草太は、彼が神聖な竜に手を出したからだと思っている。 だが実際はそれだけではない。 友人の少ない草太にとって、竜は自分だけの、秘密の友達だった。 「確かにあの五十鈴を持ち逃げしたのは俺だ。」 博隆は悪びれることもなくそう言った。 「貸してやってもかまわないが、今竜になったあいつを呼び出してどうするつもりだ? あいつは自分の意思で生贄になったんだ。 会うことは出来ても助け出すことはできないだろう。 村の者たちの監視も厳しいしな。」 実際に会ってみて、やっぱり草太はこの男とは合わないと思った。 那央はなぜこんな奴と平気で話が出来るのか不思議だった。 「第一助け出したところでお前はその後那央をどうするつもりなんだ? 俺は匿ってやったりしないぞ。一時的ぐらいならかまわんが 長期になれば面倒だ。ばれれば誘拐犯だからな。」 言われてはっとした。そんな事考えてもみなかった。 犯罪という事実を前にして、初めてその行為が現実味を帯びて見えた。 ああそうだ。だから那央は待ったのだ。 自分が大人になるその時まで。 気の長くなるような時間をただ待ち続けたのだ。 そうだ。何故だか知らないがここでは俺と那央の立場が まるきり入れ替わってしまっている。 あの時計。あの時計が鍵になっているに違いない。 だったら行くべき場所はここではない。 草太は博隆の家を出て、その足であの古道具屋へと向かった。 記憶にあるものとは少し様子が違うが、 けれどもここは間違いなく、草太が知り始めたばかりの町。 そこを曲がれば踏切がある。踏み切りを過ぎれば川沿いの道がある。 そして例の古道具屋は、変わらない姿でそこにあった。 しれっとした顔で閉まっている引き戸を開け、中に入る。 客を迎えたのは、店員の声ではなく、埃の匂い。 みっしりと敷き詰められて、積み上げられた古道具の山。 その店は、あの時見た店内とは対照的だった。 埃がたっぷりと積もって、まるでただの倉庫のようだった。 「あんたは客かい?悪いがこの店は、爺さんが死んで以来、休業なんだよ。」 そう言って出てきたのは、草太よりも幾分年下の、子供だった。 死んだ爺さんというのはあの丸眼鏡の老人の事だろうか。 あれは霊だったのだろうか?この子は、あの店主の孫なのだろうか? いや、それよりも今はあの時計だ。 「この店に柱時計は?」 「あるけど、壊れているよ。」 棚の影。壁にひっそりと張り付いている柱時計。間違いない。あの時計だ。 「中を見ていいか?」 「えっ・・・あんたが見るのかい?いいけど、ちゃんと元に戻しておくれよ。」 慎重に螺子を外し、中を見てみる。蓋を外して、文字盤も外す。 そこで草太は気づいた。 文字盤の裏。そこには数字が逆に書かれていた。左回りに十二までの数字。 草太は文字盤を裏表に逆して時計を組みなおた。 「動かしてみていいか?」 「ああいいよ。えっと、螺子はどこにやったかな。 確かにここの引き出しにあった筈なのに・・・。」 「それだったら、俺が持ってる。」 草太は、彼に螺子を見せた。 「それ、間違いなくこの時計の螺子だ。いつ取ったんだい? いや、取ってなんかいなかった。僕は見ていたんだ。 なんで君がそれを持っているんだい?」 矢継ぎ早に質問されたが一々答えていたら切がない。 当の草太にだって、何が何やら分からないのだ。 質問には後で答えることにし、とりあえず、螺子を巻いた。 眠っていた時計が、息を吹き返す。 時計の中から「時」があふれ出してくる。 その時、何処からともなく声が聞こえてきた。 「この時計が気に入ったか?いや、この時計がお前さんを気に入ったのかも知れんな。」 この声、間違いない。あの時聞いた、爺さんの声。 ああそうだ。「この時計」とは爺さん自身を指していたんだ。 あの爺さんは、この時計。 気が付いたとき、草太は古道具屋で、あの時計の前にいた。 綺麗に磨かれた時計。 店内の道具は狭いながらもきちんと整列され、 心地よさそうに息をしている。 「いらっしゃい。おや、あんたは柱時計の兄ちゃんじゃないか。」 そう言って出てきたのは、草太の同い年くらいの少年とも言える店員。 それは、先ほどより幾分成長しているが、間違いなくあの子供だった。 「あの時は時計を直してくれてありがとう。あの時計が動き出してから、 何か他の道具たちにも呼ばれているような気がしてね。 店の掃除をしていたら、いつの間にか俺が店を継いでいたよ。」 これが現在の彼の姿。 草太は、元の時代に戻ってきたのだ。 「この店、爺さんとか居る?」 「爺さん?ああ、あんたあの爺さんに会ったのか。 いや、俺もたまに見るんだ。 ふらっと現れて気づくと消えてる爺さんさ。面白い奴だろう。」 楽しそうにケラケラと笑う。 どうやらこの若店主はあの爺さんを、ここに居るものとして認めているらしい。 「寂しがりやなんだ。また会いに来てやってくれよ。」 狐につままれたような思いで家に帰る。 そこでは、いつも通りの那央が、草太の帰りを待っていた。 そうそれは、あの時計が見せてくれた夢芝居だった。