風にゆれる少し伸びてきた蜂蜜色の髪を鬱陶しそうにかきあげて、没頭しているのは革張りの分厚い本。
華奢な体躯に不釣り合いな程大きく重そうなそれを、苦にする様子もなく膝に乗せて一心不乱に読みふけるその姿は、ご幼少の頃からあまり変わっていないように思う。
さら、とカーテンが流れて読んだ頁がぱたぱたと音をたてた。
邪魔にならないようそっと窓に近づき、細く隙間を残すに止めた。あまりにも、このしずかな空間に二人きりで居るのは、今の自分にはすこし辛い。
心臓の音までもを殺すようにひとつ息を吐いてから、元居た場所に戻る。ここに控えていれば、彼の人を飽くまで見つめていられる幸せ。
陽に当たって直視するには眩しすぎる金髪。ひかりを縒り合わせたような前髪に隠れ気味の睫毛がけぶるような扇を象って、文字を追ってゆらゆらする瞳を覆っている。しろい頬にはうっすらと金の産毛が見えて、瑞々しい桃のようだ。
触れると同性とはとても思えない程に柔らかく、すべらかなのを知っている。女の肌のように吸い付くような感触ではなく、どちらかというと生まれたての赤ん坊のような。さらっとしていて、汗をかいても皮膚には滲まない。涙も流れてこめかみの金に吸い込まれてしまう。
額に張り付いた髪を梳いてやると、きゅ、と閉じられていた瞳が辛そうにひらいて、ほそい腕が背中で爪をたてた。白いシーツに散った金色が、間近に見える。
赤く熟れた口唇が、泣き声で自分の名前を呼んで。
「セレスト」
唐突に、湖水を湛えたような瞳にぶつかって鼓動がひとつ跳ねた。我に返る、というのはこのことだろうか。顔に血が上るのがわかる。
「何だ、さっきから」
しずかな声。変声期を過ぎたにしてはひどくやわらかなトーンの。
「いえ。・・・その、お邪魔でしたら」
その蒼に何もかもを見透かされているような、後ろめたい気持ちになって逃げの手を打つ。そんな、昼間っから何を考えて、俺は。
「いや、かまわないが。あまりじっと見詰めていられると、落ち着かないな」
「も、申し訳ありません」
俺の視線を感じておられたのか。身体中から冷汗の出る思いだ。こんな、これではまるで、視・・・いやそんな、そんな言葉をカナン様に。
あたふたと頭を下げる俺をふしぎそうに見遣って、ふわ、とカナン様は笑われた。睫毛の濃い影が頬に落ち、微笑うと途端に子供のような、あどけない表情になるのについ見惚れてしまう。
「ふふ。変なやつ」
ぶち、と何かが千切れるような音がした気がした。いや、まだだ。駄目だ。堪えろ俺。
「まあお前は僕を見ているのが仕事だからな。見るのはいくらでもかまわんが、ほどほどにしておいてくれ」
ほ、ほほほどほどってカナン様。何を何がどうほどほどなんでしょうか。思わず片手で胃を押さえる。胃しか押さえられない。他意はないカナン様に他意はない。
きょとん、としたカナン様はすぐに俺の異変に気が付かれたようだ。本を投げ出して心配そうに駆け寄ってきた。
「セレスト、どうした。大丈夫か?真っ青だぞ」
「いえ、・・・大事ございません」
大丈夫ですから。大切な方を安心させる為に微笑む。
大丈夫ですから。そんな、泣きそうなお顔をなさらないで下さい。
大丈夫ですから。お願いですから、ち、近寄らないで下さい。
やんわりと、肉の付いていない肩を押し戻した。季節が進んで薄着のカナン様の鎖骨がちらりと見えて、こちらが泣きたい気分になった。
「申し訳ありませんカナン様。少しの間、御前を失礼致します」
「えっ」
「すぐに戻って参りますので、10分程」
「う、・・・うむ。わかった。ひとりで大丈夫だな?」
「はい。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「そんなことはいい。早く行ってこい」
赤い顔をして何故か早口のカナン様に申し訳なく思いながらも、部屋を辞した。重い扉を閉めて、ひんやりとした石造りの廊下に出てばちばちと顔を叩く。まだ勤務中だぞ。
危ないところだった。すぐ傍に寄ってこられて、ひなたの香りが鼻をくすぐった。桜貝のような爪が俺の服の袖を掴んで、で、・・・やめろやめろ。ぶんぶん。
また思い出しかけて、慌てて残っている映像を打ち消す。
ざわざわと落ち着かなげな大木が、窓から見えた。初夏の風はすこし冷たさを孕んでいて、熱った脳味噌を冷やすのに丁度良い。
従者である俺がこんなことでは、またカナン様にご迷惑を掛けてしまう。城の中では家臣に徹しよう。そう決めたばかりではないか。近衛騎士団副隊長として職務を全うし、主君をお守りするのが使命なのだから。
つくづく、俺は修行が足りないと思う。いくらす、好きな人だからと言って、こんなことでいちいち主君に、よ、欲情していたら身が持たない。平常心だ。とにかく。
あの絹糸のような髪にも、噛み締めるとすぐに赤くなる唇にも、とろりとした蒼い眼にも、惑わされない。しかもカナン様はまだあんなお歳だ。子供だ子供だ。そんな子供に、俺は、一体何を。
・・・・・・。
って、だから。思い出すんじゃない。
窓から頭を突き出してまたぶんぶんと振る。楠木特有のむせ返るような緑が窓のすぐ傍まで迫ってきていて、きらきらする葉芽を見て無理矢理に気持ちを静めた。
とにかく、俺はこれで給料貰ってるんだからな。仕事しろ。
乱れた髪を手櫛で直して。制服の背筋をきちんと伸ばして。
きっかり10分。カナン様の部屋に戻る。
「カナン様、失礼致しました」
ノックを軽くして、応えを待つ。返事は、ない。
「カナン様」
まさか。
「カナン様」
扉を開けると、考えたくない一番の光景が、案の定目の前に展開した。
無人。
綺麗に整えられたベッドの上に、一通の置手紙。
”腹具合は落ち着いたか、セレスト?
ちょっと出掛けてくるので探さないように
canaan”
は。
腹具合・・・・・・。だと、思ってらっしゃったのか。・・・いやそれで良いのですが。
ちょっとせつないような。
ていうかカーナーンーさーまー!!!どーこーにー!!!
声無く絶叫する部屋の、全開の窓がはたはたと音をたてていた。