騎士団での隊務を終らせカナンの元に参上しようと向かった途中で、セレストは当の本人と行き遭った。
「カナン様」
「おお。セレスト」
王子の手には分厚い書類。半日ぶりで逢ったカナンはとても上機嫌で、…長い付き合いだからこそ解るその笑顔は上機嫌すぎて、セレストは嫌な予感を隠せない。
「どちらへ」
「兄上の処だ。付いて来なくても良いぞ、これをお渡ししたらすぐ戻るから」
「お供します」
「何だその僕を信用していない目は。別に城を抜け出すわけじゃないぞ」
「いいえ、信用しておりますとも。今度は何の企みですか」
企みの前に(悪)をかろうじて付けなかったあたり、立派な従者魂といえよう。訊かれたカナンは形の良い唇をへの字に曲げる。
「む。失敬な。企みは企みでも只の企みではない」
「そんなことで威張らないでください」
「威張らない僕は僕じゃないだろう」
大威張りで言われてああそうかも、と思わず納得してしまったセレストを置いて、カナンはさっさと歩き出した。
「ああっ、お待ちくださいっ、カナン様!」
「舞踏会、ですか?」
「うむ。カナンの誕生日にな」
落ち着いた色を基調としたリグナムの執務室にて聞かされた企みは、第二王子生誕祭の企画であった。分厚い企画書は、カナンの手によるものだという。
なんで祝われる本人が企画を…どうしてこう祭好きの方なんだ…、と些か肩を落とし気味の従者に、にこにことカナンは熱く語る。
「ふふふ楽しいぞお。舞踏会は舞踏会でも只の舞踏会ではない」
「はあ」
同じようなせりふを先刻聞いたなあ、と思いながらセレストが気の抜けた相槌を打った。
「聞いて驚け仮装舞踏会なのだっ」
「…………」
「驚いたか?」
「はあ、あの」
仮装。仮装って、アレですか。着ぐるみとかの。って、え?
ぼやっとする従者が何か言う前に、リグナムが口を開いた。
「ところでカナン。仮面、舞踏会とはまた違うのかい?」
「あ」
みるみるうちに、カナンの顔が赤く染まる。視線が頼りなげにさまよって、子供のように口篭もった。
「や、…その。そうとも、言います。笑うなセレストッ!」
「だッ」
言い間違いの王子は確かに可愛かったが、笑う前にくらったチョップは手加減なしで(しかも笑っていたのはリグナムの方だった)、リグナムの執務室を辞してからもずきずきと痛んだ。
「…で、何故、仮面舞踏会なんですか?」
頭をなんとなく擦りながらセレストは尋ねた。前をずかずかと歩くカナンの耳はまだ赤い。機嫌を損ねたか照れ隠しなのか、振り返らないので表情は窺えない。
「兄上が今年の催しは好きなものを開いて下さると仰ったんだ。花火でも、市場でも、他国から芸人を招くのでも」
「いえ、そうではなく」
「……」
「……」
好きな催しを開いていいと言ったリグナムの真意はたぶん、あのことにあるのだろう。盗まれた王冠、混乱を極めた王宮内。 そして。
口には出さずとも、伝わってくる暖かい感情。リグナムの、祭好きな弟王子への。
しかし、カナンの意図が見えなくてセレストは困惑する。
踊りは確か、それ程までにはお好きではなかった筈。ご自分で企画される程の舞踏会ならば、何かまた(悪そうな)考えを持っていらっしゃるのか。しかし。
そのまま黙り込んで、カナンの部屋まで歩く。
王宮の冷とした廊下を歩いていると、鳶が高い処で旋回しているのが天窓から見えた。
こんな時のセレストは、カナンの答えを急かしたりはしない。こちらが考えて、言葉を選んで、きちんとした答えを返すまで待っていてくれる。カナンが幼い頃からずっとそうだった。
そんなとこが、好きだなあ、とカナンは思う。
だから、部屋の扉を開ける為に、失礼しますと前に立った従者の服の背中をついと引いた。
「…あのな」
「…はい」
「本で読んだんだ」
「はい」
「仮面舞踏会なるものは、正体を隠して興じる大人の社交だと。だから」
顔をあげて、目を見つめて。こんな告白はちょっと恥ずかしくて、目が潤んでしまう。顔があつい。
「だから、・・・その。正体を隠してなら、セレストと大っぴらに手を繋いでいられると思った」
言ってしまってから目を逸らして、思わず俯いてしまった。言うんじゃなかったかな、と少し後悔した。セレストは自分と違って大人だから、こんな自分の言うことはひどく馬鹿馬鹿しいものに聞こえるだろう。
きっと今、呆れた顔をしているに違いない。何を言うべきか、困っているのかもしれない。
それはそうだ。こんな、・・・こんな、子供じみた独占欲。
セレストから見られるのも恥ずかしくなってしまって、カナンは彼の言葉を待たずに開けられた扉から中へ滑り込んだ。
壁に掛けられた鏡をちらりと見ると案の定、林檎も顔負けの紅さだ。無意識に両手で押さえて、恐る恐るセレストを振り返ってみると。
どうしようもなくふにゃけた表情の、23歳の大人が立っていた。
「!」
「か・・・カナン様・・・」
「な、なんだ。・・・よ、寄るなっ!わあ、なんだこの手は!」
めろめろの従者にあっという間に捕まって、王子は抱き寄せられた。背中を撫で上げる手に声が漏れそうになって、慌てて唇を噛む。
その唇もすぐに塞がれて、息が上がった。
「う・・・っん、・・・ぅふ」
「カナン様・・・」
髪に差し込まれた手が耳をそっと触って。
「っく、・・・あっ。・・・や」
「カナン様・・・」
首筋に降りてきた長い指に、鳥肌が立つ。
「待・・・て、セレ、・・・スト」
「カナン様・・・お可愛らしいです・・・っ」
ぴくり、と引き攣るカナンの額に怒りの血管が浮いた。
「!・・・それを言うなと言っておろうが大馬鹿者っ!」
憐れな従者がくらったのは、今度はチョップでなくパンチだった。
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