「なっ・・・・・・」
顎まで落ちる、とはまさに。
振り返ったひとの、あまりの輝きに言葉を失った。
身に付けた衣装は光沢を放つきれいな桃色で、露出した肩に薄物を軽く纏っている。透けた肩布を通して細い腕に巻かれた銀の輪が見えた。
薄く紅をさしたくちびるが何ともいえず艶めいていて、セレストの動悸が激しくなる。
目の前の姫は、明らかにカナンだ。どんなに纏うものを変えていても、そこまで見事な金糸の髪と白い滑らかな肌を合わせ持つものは、この国にはいない。
そして何よりも。
その、吸い込まれそうな蒼と目が合う。ふわ、と微笑まれた。
かあ、と血が昇った。
しかし微笑まれたまま、涼やかな声で言われた言葉は
「・・・遅い、馬鹿者」
冷ややかだった。
・・・。
そんなご無体な。
今までさんざんカナンを探していたセレストの肩が落ちる。がっくり項垂れる従者の心の内を知ってか知らずか、長い衣装の裾を掴んだカナンがすたすたと近づいて来た。
「ずっと待っていたのに、遅すぎる」
何処で、とも仰ってなかったじゃないですか、あああ・・・。
常ならばこのような理不尽な責め方はしない主君である。けれど、ずっと待っていた、という言葉が少しだけ嬉しく感じられて情けない。
「・・・申し訳ありません・・・」
カナンには弱い。
心中密かに泣く従者の顔を覗き込んで、しかしカナンは微笑った。
長い髪がさらりと肩口を垂れるのが見えて、更にセレストの心臓が過剰に反応する。
「ん。いい。許す」
そうして、自然な仕草で手を出した。
「・・・はい?」
カナンの小首を傾げるような仕草に見惚れていたら、一瞬何のことだか解らなかった。
・・・どうしてこう、この男はにぶいのか。
ぽかんとするセレストを見遣って、カナンは仮面の下で眉を寄せる。
理不尽でわざとらしい事は重々承知の上で、セレストに自分を探させるよう仕向けた。
セレストは勿論、自分を見付けるだろう。
軽く何かを言うかもしれないが、その前にこの姿で度肝を抜き、贅言を封じる。
そして。
1ヶ月、考えた。
意地になっていると、思いたければ思うがいい。
セレストが目の前に現れてから、周囲の女性客が目に見えて色めき立った様子をカナンは見てとっていた。
セレストは背が高い。
片身をゆったりした外套で覆っていても、鍛えられた身のこなしは隠しようもなく。
目元だけを隠す仮面を付けていても、精悍な顎のラインから耳朶にかけて、首周りから広い肩幅にかけて、長い手足と白い手袋の指と。針葉樹の森を思わせる、深い穏やかな碧の眼差しと。
・・・か、格好いい。
知らず、下唇を噛む表情になってしまう。頬が熱いのには、気付かないふりをした。
この自分が彼を格好いいと思うくらいだから、周囲の女性に対する威力も相当なものだろう。・・・女性に対してだけではないかもしれない。
なんだか自分の知らない青年が其処に居るようで、彼がセレストだと確かめたくて文句を言ってみた。そうすることで、周囲を牽制したかったのかもしれない。
彼は、自分のものだと。
そして、何より
手を。
ふる、と目の前の白い指先が震えて、セレストは漸くそれに思い至った。
何かを堪えるような、カナンの表情。泣き出しそうにも見えて。
すべては、この為に。
くらくらした。
この方には、かなわない。
引き寄せられるように、柔らかな指先を取って。
口付けた。
ひくん、と反応する指から掌を更に引き寄せて、至近まで距離を詰める。
吃驚したように見開かれた瞳へ目を合わせて、不敵に笑ってみせた。
みるみるうちに赤くなる顔が愛しい。
「では、お詫びに・・・ひとつだけ、何でも仰せに従いましょう?」
手を、つないで。
「う、うむ。では・・・円舞を」
「仰せのままに」
恭しく手を引いて、その場を離れる。ひらひらと、手を振ってリナリアが送り出してくれた。
後日、彼女がこっそり教えてくれた事柄ひとつ。
「セレストが来てくれるまでね、カナンは周り中の殿方からお誘いがあってお断りするのが大変だったの。ふふ、実は助けて貰ったのよ?」
手をつないで踊りの輪に加わると見せかけて、そのままそっとテラスから中庭に抜けた。
しばらく行くと、噴水に出る。
水は止められているが、そこら中に吊るされた橙色のランタンが映って美しい。大広間の喧騒も、ここに来ると静かな風に乗ってしか聞こえない。ちいさく、虫の声がしていた。
その縁に腰掛けて、ようやくカナンは息を吐いた。
「ふー。疲れた」
「疲れたのはこっちですよ、カナン様・・・」
しくしくと、従者の哀愁がその場に漂う。
「たったあれだけの為に、こんなパフォーマンスを・・・」
最後の方は、セレストも自分でやっててかなり恥ずかしかったらしい。今頃になって汗をだらだら流す目の前の青年に、カナンは口を尖らせて見せる。
「あれだけとはなんだ。こっちは1ヶ月も準備にかけたというのに」
「手が込みすぎているんですよっ」
「はっはっはっ、悪辣だろう?」
「それはご自慢になさるお言葉ではありませんっ」
ふー、と額に手を置いてセレストの溜息が聞こえた。
「そもそもその御髪はどうなさったんですか」
ん?とカナンは自らの髪をつまんで平然と言う。
「ああこれか?ヅラだ。下半分だけだが良く出来ているだろう?」
「づら・・・」
王子様ともあろう御方が、ヅラなんてお言葉を・・・。
「衣装はお馴染みの通信販売だ」
王子様ともあろう御方が、女物の衣装を通販・・・。
相次ぐ目眩に足元までよろけてくる。まあ座れ、と自らの隣をぱんぱん叩くカナンに逆らわず、失礼しますっ、と腰を落ち着けた。膝に肘をついた姿勢で掌に額を埋める。
そんなに、と微かな声がして目を向けた。
「・・・そんなに、嫌だったか?」
しずかな表情かもしれないし、叱られた子供の風情なのかもしれないし。ちいさな手がきゅっとドレスの膝を掴んでいて。
そして躊躇いがちに口を開いた。
「・・・お前が、ちゃんと僕のことを好いていてくれるのは知ってる。その・・・」
言い澱んで、ほわ、と頬を染めた。
「よ、夜のも激しいし・・・」
「・・・・っ!」
赤くなるセレストに構わず、カナンは言葉を続けた。
「でもたまに物足りなくなる、というか、気持ちがな。だからこんな、詮無いことをしてしまった」
一日中、すべてを拘束するわけには決していかないひと。だからこそ。
ほんとうは、もっとずっと一緒に居たいのかもしれないな、と独り言のように呟くひとに、セレストはつい手を伸ばしてしまう。
引き寄せると、大人しく腕の中に収まった。
「いいえ、嫌ではありませんでした。むしろ嬉しかったです・・・が、・・・非常に緊張しました」
何しろ姫君だとは思わなかったもので、と正直に答えると、カナンはほっとしたような微笑を浮かべた。
「お前の驚いた顔を見るのも計画のうちのひとつだったからな、僕は満足した」
それでもわざとご無体なことを言ってみる。
カナン様・・・、と青年の眉毛が下がるのをあははと笑って見て、そうして耳の後ろに両手をやってするりと金の付け毛を取り外した。
「かっ・・・かか、カナン様っ」
「うん?何だ?」
長い金髪を取って、いつものカナンの姿に戻ったわけだが・・・それでもドレス姿のままなわけで。
・・・そ、そのままでも、似合いすぎている・・・。
というか、より倒錯的で刺激が強い。
思わず口元を覆って絶句するセレストに、カナンは不思議そうに言った。
「何だ?いつまでもこのままの姿で居るわけにはいかないだろう?着替えて主賓の方々に挨拶をせねばならん」
いくら正体不問の無礼講といえどな、と面倒くさそうにぶつぶつ言う。
そう、仮面を取ればまた王子に戻るのだ、この方は。
それはたった一夜で消える、甘い魔法だったように。
ちく、と何かが一瞬セレストの胸を刺す。それでも、いつものように微笑んだ。
「・・・そうですね。では一旦お部屋へ戻りましょうか」
広間の方々に見付からないようにしなければなりませんね、と立ち上がりかけた手首を、カナンの華奢な手がわし、と掴む。
「!?」
「魔法は今宵だけだがな、セレスト」
まるで、セレストの気持ちを見抜いたように。
何も隠すことの出来ない、つよい蒼。
手が伸びてきて、
「仮面を取れば、ただの僕と、お前に戻るだけだ」
セレストの仮面を、ゆっくりと外す。
そして、自らの仮面をも。
その後に続いたのは、極上の笑顔。
「それだけだ」
するりと首に細い腕が回され、口付けられた。
「・・・っ」
思わずきつく抱きしめてしまう。
想いがあふれて、止まらない。
このひとの、何もかもが 。
その時、大空いっぱいに特大の花火が広がった。一瞬遅れて、芯まで響く轟音。ひかりの洪水。
ぱらぱらと飛沫が散って、次の花火が打ち上げられる。
今夜、祝福の夜。誰の上にも。
きらきらした色が散りばめられた大気に誰もが酔い、祝福した。
幸多かれ、幸多かれ、青の王子。健やかに。
額をつけて、見つめあって。何故か笑ってしまう。
夜半を過ぎて、騎士と姫から従者と王子に戻ったけれど。
「さて、行くか」
「はい」
立ち上がって、服の埃を払って。
手を、つないで。
このひとと、ずっと一緒に。
「あ、そうだ」
「はい?」
「・・・着替えを、手伝ってくれ」
「はっ!?」
か、カカカカナン様、それは、もしかして・・・誘、
「もうコルセットのきついことといったらないぞ。しかも一人では外せないんだからな」
・・・・・・・・・・・・。
「姉上はいつもこんなのを付けてらっしゃるのか。・・・女性は大変だなあ」
「カナン様」
「うん?」
「仮にも王子殿下ともあろう御方が、仮装でそこまで凝られることはないんですっ!」
・・・従者の気苦労に、終わりは無いのだけれど。
end.
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