カナンを部屋の前まで送り届けてから名残惜しく踵を返すと、服の背中をむず、と掴まれた。
「カ、ナン様?」
「寄っていけ」
「し、しかしまだ仕事が・・・」
「兄上の命令を聞いていなかったのか?寄っていけ」
いえリグナム様はカナン様をお送りしろと仰っただけであって、などの従者の意見は無視される。背中を掴まれたままセレストは部屋の中に引きずり込まれてしまった。
後ろ向きにそのまま引っ張られてバランスを崩したところでどすん、と椅子に座らされる。見渡せばそこは3日ぶりのカナン王子の私室。窓辺からは明るい光が射し込んでいて、いつもの柑橘のような香りがほのかにする。思わずぼうっとなるセレストである。
リグナムの執務室とは正反対の、くつろぎを主とした部屋。なんとなく、気持ちまであったかくなって身体から力が抜けた。心地が良い。
かちゃ、とかすかに食器の鳴る音がして顔を向けると、カナンが紅茶のポットに湯を注いでいる姿が目に飛び込んできた。
「わあ!何をなさっておられるのですかっ。私が致しますカナン様!!」
リラックスしている場合では無かった。主君にお茶を煎れさせるなど。
しかし、慌てて立ち上がった従者は王子のぎろりとした一睨みで硬直した。
「座っていろ」
「は、しかし」
「いーから。座っていろ」
「はい・・・」
しおしおと座り直す従者を睥睨して、ふんとカナンは鼻息を漏らす。ポットの蓋を置いて砂時計をくるりと返した。
「大体な、お前働きすぎだ」
「そ、そうでしょうか・・・?」
「そうだとも。3日も姿を見せないなんて、尋常じゃなさすぎるぞ」
「・・・すみません」
「今の時期、仕事が多くて忙しいのもわかるが、何もかもをお前が背負い込んでどうする。何の為の副隊長の地位だ?もっと部下を信用して仕事を分散させろ。もちろん責任の所在はお前に有るが、問題に発展する程の軟な部下教育はしていない筈だろう?」
さすがは次男でも王子様だ。上に立つ者としての理に適うことを、すぱすぱと言ってくる。
「何だったら僕がアーヴィングに直接言って・・・」
「ちょ、・・・それはお待ちください!」
「何故だ?」
思わず顔を上げると、不機嫌極まりなく細められた蒼眼と目が合った。しかしセレストが何か言う前に、その眼はすぐに伏せられてしまう。
「カナン様?」
「いや、言い過ぎた。すまない。・・・お門違いなのは解っているんだ。お前の仕事のことに、口を挟むなど」
いつになく、しょんぼりと。
そんな顔をされると自分が悪いことをした訳でもないのに、なんとなく可哀想な気分になる。
「いえ、私も過剰に仕事を抱え込んでいる自覚はございましたので」
「・・・」
「・・・」
そのまま、二人して黙り込んでしまった。一旦こうして黙ってしまうと何故だろうか、今更のようにお互い久しぶり(といってもたった3日ぶりなのだが)に逢うひとを前にして、何を言えば良いのかがわからない。
するすると砂時計の砂が落ちきって、ようやくカナンの方から口を開いた。
俯いて、テーブルの端で拳をきゅっと握る。
「・・・寂しかったんだ」
「!!」
どきん、と跳ねる心臓の音にセレストは自分で驚いた。
かっ、と血がのぼる。
「お前が居ないと僕は・・・」
かっ、かっ、と更に頭に血が廻る。むやみに暑い。
「セレストでなくては駄目なんだ」
上げられた端正な顔に、動悸だけが上乗せされる。
その蒼眼が潤んだように見えるのは、気の所為なのか。
「物足りなくて・・・」
拗ねたような表情で、ぽぉ、と頬まで染められたら、もう。
「か、かなんさま・・・」
立ち上がって、側に立つ。
こちらを見上げる、宝石のような少年。その蒼玉の瞳に映っているのが自分だということに眩々する。
柑橘の香りが強くなった気がした。
セレストの背を押すように、ふわ、と窓から風が入り。
ぎゅっ、と拳を握ってカナンは力説を放った。
「折角抜け出しても張り合いが無いことといったら!」
ぷしゅ〜〜〜〜〜〜・・・・・・。
「追って来るのはやはりお前でないと・・・ってセレスト?」
一気に空気の抜けた風船人形のようになる従者に、王子は驚いた。くたり、と崩れ込むその姿に余程仕事が煮詰まって疲れているんだろうか、などと解釈する。
ああ・・・そういうことですか。
ぐっと込み上がる涙をセレストは我慢する。
泣くな俺。男だろう。
大丈夫か、とやさしい労りの言葉と共に紅茶のカップを受け取った。
「ありがとうございます・・・」
「まあ座れ。そんな処にへたり込む程疲れているのだろう、ゆっくりして行け」
いえ、はい、今一気に疲れました。
従者の心中にまったく気付かない王子は、無邪気に紅茶を含んでいる。
しかしそんな姿を見ていると、まあ良いか、などと気持ちが上向きになる自分が我ながら単純だ。
単純ついでに、3日ぶりの逢瀬をひとりで堪能することとする。
王子がこんなにお茶を煎れるのが上手いとは、これ迄知らなかった。何故に、とはまた空気が抜けそうな事実に行き当たりそうな予感がしたので、今は深く考えずに止めておく。
・・・今逢えて良かった。
嬉しい。
仕事が詰まって疲れていたのは本当だったから、これでまた頑張れそうだと思う。
・・・それがすぐに新妻の為に働く新婚家庭の旦那のようだ、との連想に結びついたのは先程の妄想が全て悪いと思いたい。
まためっちゃタイミング良く
「セレスト、紅茶のおかわりはどうだ?」
などと言われてしまえば、そこに立つ王子にフリルのエプロン姿の幻視が重なるのも無理はないだろう。
かあ。と今度は些か邪まな血がのぼる。
・・・こんな自分は心臓で早死にしそうだ、と汗と共にそう思った。
「セレスト?」
「はい、・・・う、わっ!」
呼ばれて上げた目の前に、カナンの顔があって素で驚いてしまう。不思議そうだったその眼はすぐに、むぅ、と細められてしまうけれど、ひどく魅力的で。
「うわとは何だ、うわとは。失敬な」
「すすすみません。驚いてしまって」
「お前が先刻から赤くなったり汗をかいたりしているから、心配したのに」
それはカナン様の所為です、とは言えない。
「熱でも出したんじゃないのか?」
それもカナン様の所為です、とも言えない。
しかし何と答えようか考えているうちに、再び王子の顔が迫ってきて。
「ちょっと」
と言われ、首に掛けられた細い手に引き寄せられ・・・。
「えっ?なっ、えっ?」
戸惑うままに。
ごつ、という鈍い音と共に頭突きをかまされた。
「だっ!」
思いも寄らないことで準備が出来ていなかった為に、痛いのは自分だけだったらしい。目から出た火花が治まると、吐息を感じるくらいに近い、カナンの顔。
「カっっ!」
「ん〜」
触れ合った額がどんどんと熱を帯びてくるのがわかる。
「か、カナン、様」
「ん〜?」
「あの、お、離し、下さ、い」
「ちょっと待て。・・・熱は、無いのか?いや熱いしな・・・ん〜?」
勘弁して欲しい。
視界がぼやける程の至近距離に、伏せられた金の睫毛がある。もっと下に目をやれば、少し尖らせた風の艶めく唇が。
「カ、ナン、様っ」
必死で呼びかけると、ふさ、と睫毛が開いて真蒼の瞳が現れた。それでも離しては貰えなくて。
濡れたようなその眼と、視線が絡まる。
まだ昼間だとか自分は仕事中だとか、そんなものは全てその蒼に吹き飛ばされて。
もう、・・・だめ、だ。
抱き締め、る寸前。
「失礼しますカナン様、こちらにウチの愚息が来ておりませんですかな?」
「おお、アーヴィング」
ぱっと明るく振り返るカナンに、騎士団長はにこにこと挨拶をした。
「今日もご機嫌のようですな」
にこにこと王子も答える。
「うむ。こないだくれた菓子、美味しかったぞ」
「それは良うございましたな。また新作を見つけたら仕入れて参りましょう。・・・で」
アーヴィングは足元の絨毯を見た。
「・・・何をやっとるんですかな?この愚息は」
「うむ、先刻からどうも様子がおかしいんだ。たぶん、疲れているのだとは思うんだが・・・」
・・・最早、へしゃげた紙風船の如き従者から、言うべき言葉は見付からない。
かかか、と豪快に騎士団長は笑う。
「なんの、体力だけが自慢の馬鹿息子ですから」
そう言って、ぎゅむ、と踏んだ。
「うら!オニイチャン、仕事だ行くぞ!」
「だーっ!オニイチャン言うなッ!!」
がばっ、と立ち上がる。
「ほれ、元気でしょうが。副隊長、先に行くぞ」
そうしてまた、かかかと笑いを響かせて騎士団長は出て行った。
まったくもって、嵐の如き来訪である。脈絡が無いのはいつもの事だが、今回ばかりはただひたすらに恨めしい。
「何と言うか、オットコマエだなあ、お前の父上は」
感心したようなカナンの言葉に、ますますへしゃげるばかり。
「はぁ・・・」
一度ならず二度までも波を外され、気分はすっかり乗り損ねた波乗りである。ゆらゆらと波間に漂うばかりの気持ちを誤魔化すようにすると、溜息が流れ出た。
「では・・・その、そろそろ失礼しますね、カナン様」
カナンの就寝時間までに仕事が終われば良いな、などと希望的観測を持ちつつ。それでも何とか微笑みかけることが出来たのは、自分で自分を誉めてやりたいところだと思う。
「お茶を、ご馳走様でした」
「セレスト」
呼ばれて、はいと返事をした。テーブルに凭れるようにして立つ、最愛の主君。・・・もういい加減、フリルエプロンの幻想から解放されたいところだけれど。
「仕事に精を出すのも良いことだがな」
「?」
「何かに張り合うようにして成す事は、真実為したことにはならない」
「!」
「それを念頭において、まあ頑張ってこい」
ふふ、と笑んで行け、と促された。
「は、はい」
まさか、見抜かれていたとは思わなかった。・・・心のどこかで、父には負けたくない、と思っていたこと。
なかなかに侮れない方だ。それでこそ、と言うべきか。苦笑が漏れる。
一礼して踵を返し、戸口へ向かった。
「あと、たまには僕のことも思い出してくれ」
ズガン、と扉を開け損なって激突する。
そんなこと、いつだって。常に。
打った鼻を押さえて振り返ると、顔を赤くしてひらひらと手を振る恋人が居た。
・・・午後からは仕事になるかどうか、自分でも甚だ疑問だった。
end.
<back
|