言葉に出すまでもなく当たり前の事柄が、この世には有る。
例えば空が青いのとか人は空気を吸って吐いて生きているのとか、王様がいちばん偉いのだとかチーズケーキは甘いものだとか。
・・・そして混乱する頭で考えるまでもなく、王子は従者の実家にまでは普通来ないものなのだとか。
王国騎士団近衛の副隊長、同じく騎士団長の屋敷、多少土地が有るとはいえ家の造りはルーキウス国民の平均的な家屋とそう変わらない。
普通の部屋に普通の内装、暖色を主にしたソファやカーテンなどのファブリックは母の趣味で、シェリルの作ったドライフラワーのリースやハーブのサシェがあちこちに置かれている。普段自分と父親は王宮に詰めているから、どうしたって女性らしく可愛らしい暖かな雰囲気が強くなるけれど、この家はセレストの生まれ育った家なのだ。流石に埴生の宿とは言わないが、王宮に比べればごくごく普通の模範的なまでの一般家庭である。
其処に。
家族4人分と、たまの来客用の茶器が収められた食器棚、ダイニングに続く扉、窓の向こうには隣家が見えていたりして。
母親手製の、花柄のカーテンなんかを背景にして。
金色の白鳥が居る。
酔って見た、悪い夢だと思いたい。
軽く窓枠に凭れるようにするそのポーズはよくカナンの自室で見掛ける、癖のような寛いだ立ち姿。いかにもこの部屋の主然とした物怖じしない様子、そしてまたしても何処から調達したものか、市井の若者がよく身に付けている流行りの遊び着をさらりと着こなして。
その姿風情だけは、城下に居る者と大差が無いが、しかし。
何と言えば良いものか、ひどい違和感。強いて喩えて言うならば、麦畑の直中に唐突に咲いた白百合の如く。
豪奢な輝きを容赦なく放つ金の頭髪、底の深い湖のような双眸、搾りたてのミルクに苺の果汁を垂らしたような肌の色。半袖からすらりと伸びたしなやかな腕、足も同じく。華奢な肩の線と腰周り。
・・・何より強く内側から滲み出るような、品格。
あからさまに一般国民とは違いすぎる、気配のようなもの。
「・・・おおいセレスト、何を呆けている」
ぴらぴらと、目の前で手を振られて我に返った。ひゅうと息を吸い込むのを見て、咄嗟にカナンが耳を塞ぐ。
「何をなさっておいでですかこんな処でっ!!」
「こんな処とは失敬な。お前の家だろう」
両耳を塞いだ手の、細い手首を捉えてぎりぎりと頭部から離す。その感触が、残念ながら悪い夢などではないと実感させる。この現実は悪夢よりもっと性質が悪く、そして男心に複雑だ。
「誰の家であろうと貴方がこんな処にいらっしゃる理由は有りません」
「うー、離せ」
「離しません。御城へお戻り下さい」
「むう」
への字に曲げられた薄くきれいな色の唇と、じっと上目遣いで見上げられるのに図らずも動悸が上がってしまうのが、情けない。
「何ですか」
「では戻るがな。お前は僕がどうして此処に来たのか聞かないのか」
「ではお伺いしますが、何故ですか」
「秘密だ」
「カ・・・っ!」
「そう簡単に教えてたまるか。自分で考えろ」
「カナン様―!!」
「もう知らん。じゃあな」
と言って窓枠を超えようとする少年の腰に、慌てて縋り付く。
「ああもう何だ!帰ると云っている」
「おおおお待ち下さい!どうしてそんな処から・・・っ!」
「簡単なことだ。此処から入ったからだな」
「何故―!!て言うかお送りしますからお待ち下さいー!」
「それは駄目だ。お前は非番だろう」
「だからと言ってお一人でお出しする訳にはいきません!」
「馬鹿め。非番の者に働かせるなど主として僕が許さん」
ならばどうしてわざわざこんな処まで来るのか、セレストの心中の叫びにカナンは頓着しない。此処は城外だがパートナーとしても相棒の有給休暇はきっちり確保せねばうんうんなどと、独り合点している。
とにかく窓からお降り下さいと主君を促して、漸く人心地を付けた。アーヴィング家の、茶の間の窓からこの国の第二王子が出入りする所など、ご近所に見られようものならえらい騒ぎである。慌ててばたばたと雨戸を下ろして窓を閉め、用心の為にカーテンを引く。
そんな従者の様子を、ちょっと面白そうに王子は眺めて可愛らしく小首を傾げ、
「靴は外なんだがな」
と言った。がくりと首が落ちる。
「・・・お帰りの際に回収して参りますから」
「うむ。しかし帰れないぞ。もう動けないからな」
まったく悪びれる風もなく。
「・・・は?」
「今の悶着ではらぺこ指数がゼロだ」
・・・最早、ぐうの音も出なかった。
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