そもそも思ったことをすぐに言えるようなら、苦労などしないのだ。
「セレスト」
「はい、何でしょう?」
呼べば、すぐに返る応え。
う、しまった、真っ正面から向き合ってしまった。いきなり初手から失敗の予感。おまけに何だ何だ、そんなまっすぐ見るな、見るなってば。
「カナン様、お顔が赤いようですが・・・」
「いや、それはまったく全然まるっと何処までも気の所為だ」
「は、はあ・・・そうですか。それで、何か御用が?」
「えーとだな、その」
あーうー、どうしよう。意味も無く近所に有ったカーテンの端を引っ張る。
素直に、そう、素直に言えば良い。ちゃんと言えばセレストは微笑って、肯いてくれるだろう。
それから、それから・・・。
うわ、駄目かも。これはかなり恥ずかしい。どうしたら。
深く考えもせずに行動に移してしまった浅はかさを、只管に悔やむ。言葉の代わりに、手に持つ布地をもぎゅもぎゅと皺にして。
「カナン様」
「なっ、何」
突然低く呼びかけられて心臓が飛び跳ねた。繊細なレエス地のカーテンを持つ手に、セレストの指が絡んできてひどく焦る。
音を立てて血液が逆流を起こすような錯覚。
「いけませんよ、傷みます」
そう言って、そっと指先のレエスを取り上げられた。見ると綺麗な紋様が無残な有様になっている。
「あ、ああ、そうか、すまない」
しまった、この部屋のカーテンは母上のお気に入りだ。気付かない内に、複雑に指先を細かく捕らえたレエス。自分では破いてしまいそうだったので、セレストが丁寧に取り去ってくれる様子をされるが侭に、じっと観察した。
剣士の指にしては、意外と器用な動きをする。趣味の所為か・・・それとも他に要因が?いや、そんな事よりも。
考えている間に指はすっかり解放されて、そしてその侭セレストの両手で包み込まれる。
「痛い処はございませんか?」
「・・・!」
傷むのは、カーテンなどではなく。
長い指が繊維の痕が付いた箇所を、軽く解す。
その時はじめて気が付いた、軽い誤解に。
かあっ、とまた顔に熱いものが上がって、居た堪れなくなった。
もう、こうなってしまったら恥ずかしすぎて言えない。今日は駄目だ。どうしても駄目だ。
計画は中止。いや端から謀などは無かったけれど。
残念、と自らを嘲笑ってしまうには、余りにも残念に過ぎるけれど。
ぱっと、自分の手を取り戻した。撤退だ。
「もう、・・・いいから」
恥ずかしい。何故だか哀しくなってしまって、俯く。
ふっ、と笑む気配が伝わってきた。何だ、もう。放っておいて欲しい。
「では、御褒美を下さい」
「?何のだ」
唐突な申し出に何のことだか、わけがわからなくて見返した。其処には何時もと変わらない、微笑みの翠が有って。
離したばかりの指先を、また絡め取られる。
「蜘蛛の巣から蝶々を逃がして差し上げましたから」
そう言って、セレストは眼を閉じた。
その意図する処は明かに―――――
なっ、馬鹿、何を言い出すかと思えば!
慌てて手を引くけれど、案の定放しては貰えない。それ以上動こうとはしないセレストに、先刻までの考えを見抜かれていたんだろうか、などと思う。
用意された情況に進んで飛び込むのは、そう好きな方ではないけれど。でも。
もう、何処も彼処にも血が上ってしまって、飽和状態で。
片手をそっとセレストの肩に添わせて、引き寄せた。
「・・・蝶々だからな」
不承不承を装ってそう言うと吹き出すようにして笑いながら、眼を閉じたままのセレストがはいと応える。お前笑いすぎだ。
ならば、精々蝶々らしく。
左の頬をくちびるで掠める。軽く二度三度、羽根をあてるようにして口付けた。擽ったそうな笑みは、崩れない。
少しずつ、伸び上がるようにして頬に目蓋に羽ばたきを残す。額と。それから鼻先。眼を瞑った相手に何かを仕掛けるのは、何処か悪戯めいて愉しい。
最後に、唇。
触れる直前で、躊躇いが有った。それは当初の目的だったけれど。でも。
息も溶け合う程の距離に居ながら、同極の磁石のようになかなか触れることが出来ない。そうこうしている内にどんどん熱が上がってきて、満腔を羞恥が占める。
うん、えい、初志貫徹だ。
漸く意志を固めて、まるで初めて触れた時のようにそっと唇を重ねた。
それは、本当に重ねるだけの口付けで、蝶が花の蜜を吸うにも満たない、ほんの少しの間。
微かに甘い余韻を残して離れると、眼を開けたセレストが照れたように顔の下半分を覆うのが見えた。
馬鹿お前が先に照れるな。僕の方が恥ずかしい。
「あの・・・カナン様」
「何だ・・・っ」
半ば自棄のように応えを返すと、少し口篭ったセレストにぐいと引き寄せられた。吃驚して見上げると、拗ねたような光がちらりと両翠を横切る。
「・・・いつまで、蝶々の侭なんですか?」