髪と身体を丁寧に洗い、湯槽できっちり100を数えてざぶりと上がった。浴室の壁一面の姿見に手を置いて、カナンは己の身体の隅々を検分する。
ぺったりと頭皮に張りついた金の髪。いつもはふわふわしているように見えるけれど実は量的にそう多い方ではなく、濡れるとこんなふうにぺたんこになってしまう。
(父上を見る限り、滅多なことは無いと思うが・・・些か将来が心配だな)
ダンジョンであれだけ鍛えたというのに、一向に太くならない腕。二の腕の内側を逆の手でぷにぷにと揉むと、赤子の肌のような感触を返してきた。
(むぅ・・・、何故に筋肉が付かんのだ)
未だ子供の線を残したような脇腹から腰にかけて。腰骨の上の縊れ、それは決してカナンが望むかちりとした形容には程遠く。
(腹筋も、いつまでたっても割れない・・・)
いっそ女性的ともいえてしまう生白い肢。太股、膝、脹脛、踝、指。華奢で細くて嫌になる。何より股下の長さは彼の従者に全く及ばない。
(それがかなり癪に障るんだっ)
むーむーと唸りながら全裸で鏡と対峙する姿は、見る者が見れば水仙のようであったろう。ただし此処は第二王子専用の浴室。滅多な人物が軽々しく入ることを許される筈はなく、他には誰も居なかった。
ただひとりを除いては。
「失礼しますカナン様、お召替えを此方にってうわっ!!??」
第二王子付きの従者は驚いて飛び退った。てっきり衝立の向こうの湯槽に浸かっていると思われた自らの主君、その第二王子が裸体もあらわに立っていたら、驚かずにいろという方が無理な話だ。
「し ししししし失礼しましたっ」
慌てて下がろうとする従者の背中を、容赦ない手が掴んで引き留めた。
「なにあわててる」
「な、何って」
何もかもに。
濡れて流れるような黄金を醸す髪、雫が未だぽたぽたと桃頬を伝い鎖骨に落ちる。湯気と共に咽る程の石鹸の香り、ほんのりと上気して赤味を増したしろい胸肌は一糸たりとも纏わず、全てを晒け出していて。・・・其処から下へは、とても目を遣ることなど出来ない。自分が只一介の臣下に過ぎなかった以前ならば、この玉体を目にしても然程うろたえること無く対処出来たのであろうが・・・今は違う。明らかに違う。いくら修行を積んでもどうしようもないものが、今はある。
そもそも好きなひとの裸を間近に見て平常心を保てる方がどうかしていると思いながら、落ち着けと職務意識で押さえ付けた。いい大人なんだから、余裕を持て。
湯気で霞む視界を変に感謝しつつ、セレストは必死で逃げの手を打った。
「あ、わててなどおりません、よ」
大人の余裕をもって主君に向かい合った筈だが、顔は明後日を向いたままである。
その様子にカナンは呆れたように微笑った。腰に手をあてて首を傾げる仕草は、裸でもそう変わることなく自然体のものだ。
「別にこんなの、いつもあの時見ているじゃないか」
「それとこれとあれでは話が違いますっ」
あの時って。あの時って。
反芻しかけた記憶の直前で何とか踏み止まった23歳、伊達に近衛勤めをしている訳ではない。かなりの精神力である。
尤も、いつでも瓦解寸前であるあたり、そう手放しに賞賛したものでもないことを追記しておく。今この瞬間、此処ルーキウスにおいては崖っぷち、という言葉が誰よりも似合う人物であろう。
「と、とにかく何か着てください早く」
崖っぷちから何とか生還したいと、しかつめらしく放った一矢は「暑い」の一言ではたき落とされてしまう。では浴室の外で控えてますからとの逃げ場も「一寸待て」と奪われてしまった。
「何、ですか」
「・・・」
うーむ、と思案げに自分をじろじろと見る王子に不安をそそられる。違うところもそそられているが、時間と場所と立場という箱に無理矢理押し込めて見ぬふりをした。意識を逸らして溜息ひとつ、湯上りタオルを取り上げる。
広げて、背中から被せて、前を合わせる。そうすると純白のバスタオルは贅沢な大きさで王子の身体を包んだ。
「暑いというのに」
不満そうに膨らされる頬を無視し、ともすれば足元まで隠してしまうそれの端で濡れたこめかみを拭ってやる。
「・・・せめてお身体をお拭き下さい。湯冷めしてしまいます。
それに・・・」
「何だ?」
こんな布一枚の頼りなさとはいえ、眩しすぎる肌を隠してしまえば多少なりとも平静に戻ることが出来る。余りの単純さにセレストは苦笑した。
「私の理性の限界を試されているようで、辛いです」
「理性」
「あー・・・まあその、我慢強さというかですね」
「我慢強さ」
「・・・有り体に申し上げると今すぐ押し倒してしまいそうで困るんです非常に」
「・・・っ」
「す、すみません」
ぽかん、と驚いたように赤くなる主君に思わず謝った。今のは流石に有り体に過ぎた。早くこの場から逃れたい一心で正直すぎる胸の内を曝してしまったわけだが、吃驚した表情でこちらを見詰め返してくる蒼い瞳に、湯上りから幾分時が経つというのに更に赤味を増した指先に、
(ぼ、墓穴・・・)
やばーい、と顔を逸らせて目を閉じた。閉じると同時に直前まで見えていた映像を脳内のファイルへ大事に保存してしまうあたりが、男って本当にどうしようもない。
しかし、
「そうなのか・・・ふむ」
思案げに呟かれた言葉へ恐る恐る目を向けると、姿見の前に移動したカナンがタオルの前を開いてしげしげと自らの身体に見入っているではないか。
「カナン、様?」
「なあセレスト、この身体の何処がそんなに良いんだ?」
あまつさえ、そんな事を訊いてくる。もうちょっと、頬染めてとか流し目でとか、そんな風情で訊かれたのなら対応の仕様もあるというものだが、この場合非常に訝しげなニュアンスの質問で、セレストはがっくりとお約束の脱力をしてしまった。
「・・・お答えしなければいけませんか?」
「いや、具体的には大体わかっているのだが」
「わ!?・・・かって!?」
驚いた。
「うむ、お前がよく触る場所とかだな、たとえば」
「ギャー!!」
叫んだ。
「何だ五月蝿いやつめ」
「其処から先は仰らなくて結構です!!」
泣けてきた。
羞恥の余りに潜る穴を掘りだした従者に、しかし王子は至極真面目に言葉を発した。
「いや、僕が言いたいのはこんな貧弱な身体では致し方無いだろう、という事なのだが」
貧弱。
スコップを持つ従者の手が止まる。
「ハイ?」
我ながら間の抜けた問い返しだと思ったけれど。
「言葉が悪かったな、つまり僕的にはもう少し肉付きと手足の長さとが有った方が良いと思うんだが」
「・・・」
黙ってしまった従者に対し、少し恥ずかしげに王子は言った。
「あまり・・・、その、見栄えのする体付きとは言い難いからな。せめてもう少し」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
「何だ?」
「つまりその、カナン様は御自身のお身体があまりお好きではないと」
「いや、嫌いというわけではないぞ」
「?」
首を傾げるセレストに、カナンは微笑って続ける。
「これも父上と母上に頂いたものだからな、この上なく健康でその点では感謝するに余りあるが、僕の鍛錬の仕方が足りないのかはたまた遺伝的なものなのか、どうにも肉付きが悪くてなあ」
後半はふぅ、と溜息交じりに鏡の中の我が身へ目を向けて。
「せめてセレストくらいに"イイカラダ"なら自信も出ようものだが」
ぶほっ。
「セレスト?」
「い、いえ何でもありませ・・・ごほ」
噎せた。これは、誉められた、と取るべきなのだろうか。微妙である。
「えー、ごほ、ありがとうございます」
微妙ではあるが、誉められたことで更に多少の余裕が出来た。そのことにカナンは気付いたようである。
「・・・むぅ、そう素直に礼を言われると何かむかつくが」
下唇を突き出して顎を引く姿が子供じみていて、セレストは思わず笑ってしまう。自分で意味もよく解らず言っておきながら、そのままの言葉を受け取ると拗ねる・・・何というか、可愛らしい。
「笑うなって!むかー!どうせ僕はちびでがりで洗濯板だっ」
「またそのような品の無いお言葉使いを・・・それに、そんな事は有りませんよ」
ちょっぷちょっぷと振り下ろされる手を苦笑をもって躱し、その拍子に肌蹴てしまったタオルごと包むように後ろから捕まえた。
「うー、放せ」
しなやかな腕から繰り出されるちょっぷは意外と痛いので、手首ごと封じる。
「・・・信じられませんか?」
背後から廻した腕で、ぐいと細い腰を引き上げて。
「なに、が」
思いも寄らず密着した身体に、かあ、とカナンの頬が染まる。
「私の申し上げる事がです」
セレストの手の平は、緩んだタオルの隙間からカナンの素肌に当てられている。弱い脇腹にひくりと躯が反応した。
「や、放・・・濡れ」
髪から落ちた滴が近衛の制服に飛んで、色濃い染みを作っている。カナンは身を捩るがセレストは頓着しない。冷えた金色に唇を寄せて、囁く。
「・・・仰って下さい」
ふる、と晒け出された肩が震えた。黶ひとつない其処へ、セレストの口付けが落ちる。
「〜〜〜っ」
「カナンさま・・・?」
其の侭、発音された己の名に、カナンが折れた。羞恥に耳朶を染める。いつも溌剌としたこのひとには珍しい、小さな声で、ぽそりと。
「せれ、セレストにその、・・・・・・良い、と・・・思って貰える、なら、・・・もう・・・」
「結構」
「え、・・・!?わっ」
すっぱりと言い切られた応えに続いて、バスタオルに包まれたままカナンの痩躯はひょいと持ち上げられた。王子を横抱きに抱えた従者は、そのまま衝立の向こうへすたすたと歩き、
「セレ・・・」
未だ湯気の上がる湯槽の中へ、ざぷんと主君を沈めたのだ。
「!!??」
突然のことに硬直したまま湯の中に沈む王子へ、濡れたバスタオルを引き上げながら従者の説教が降る。
「だから湯冷めをしますと申し上げたでしょう。良いですか、ちゃんと肩まで浸かって100を数えて下さいね」
驚いたのか、こくんと肯く王子の様子を見てとって、そうして従者は湯上りの用意をしますと微笑んで浴室を下がったのだった。
後に残されたのは、
「・・・・・・・・・吃驚した・・・」
ぷくぷくと湯に沈む第二王子。冷えかけた肩が再び温もり始めるけれど、動悸が激しくてのぼせてしまいそうで。
「セレストの馬鹿者」
どんな顔をしてこの後風呂を出たら良いものか、そんな事を真剣に考え出した王子はしかし、知る由もなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やばかった・・・・・・」
閉めた扉のすぐ外で、ずるずると従者がへたり込んでいたことに。