月を浴びて目が覚めた。
夢だったのかと思ったけれど。
身動ぐと、節々がにぶく痛む。
思い出して赤面した。結構な無茶をしでかしたように思う。
侍女の言葉を思い出した。
自分の身の回りの世話を司る侍女。まるで母親のように接してくれる温かな。
“殿下はお優しい方ですから”と、彼女は語ってはいなかったか。
(いや、確かに)
優しくはなかったか、と問われると否と答えるだろう。
触れる指先、絶えず名を呼ぶ深い声。
頬に落ちる唇は涙を拾い、それから宥めるように少し塩の味のする口付けをくれた。
こちらの様子を気遣いながら、少しずつ・・・
(い、いかん)
それ以上思い出してしまうと、どうしようもないことになりそうな気がするのでやめておく。
寝返りを打ってどきりとした。
鼻先に青い髪。自分の髪と混じり合って。
閉じた目蓋。吐息だけで体温が上がりそうな程の近くに。
思わず身を起こしかけて、己の身体に掛けられていた腕の存在に気付く。
抱き締められて、眠っていたのか。
(・・・うわっ)
眩暈がする。顔があつい。
顔だけでなく、全身を炙られているように。
早鐘を打つ心臓。ひどい喉の渇き。
少し、此処から離れて落ち着きたくて、再び身体を起こす。
く、と長い腕に僅かな力が入り、抱き留められた。
「っ」
腕の力、熱、・・・それらが表わす執着。
「・・・、どこ、へ・・・?」
薄らと開けられる睫毛、眠気に顰められた眉、・・・咎められているような気がして。
けれど、それが無性に嬉心を擽るのは何故なのか。
「・・・みず、を」
半ば言訳のように掠れた声へ、ああ、と納得したように今度はあっさりと解放された。そのまま眠りに戻るわけでもなく、ぼうと見詰められるのに居た堪れなくなり、乱れた夜着の前を掻きあわせて背を向けた。
水差しから硝子の杯へ注ぐ時、わずかに溢した水が月を弾いて粒となる。
背中に視線を感じながら、ゆっくりと水を飲む。既に馴染んだ檸檬の風味、しかしそれは一向に動悸を鎮める役割を果たさない。杯を干し、切籠のひやりとした冷たさへ縋るように握り締める。
きし、と背後で寝台が鳴って、肩が揺れた。
「私にも、頂けますか?」
並んで寝台の端に掛けた翆緑が笑む。肯いて同じ杯へ注いで渡してやると、綺麗な発音で礼を言い、水を含み、ひとつ大きく息をついた。
前髪をかきあげる仕種、その手首に見える骨張った影、肩口に羽織っただけの夜着の上衣、そんなものから目が離せない。
夫婦になったのだなあ、と突然に実感が湧いてくる。
同時に、この手が腕が、その全てが自分に齎したものを思い、俯いた。とんでもない痴態を晒したようで、居た堪れない。
「あの・・・」
「何だ」
問われる声にも、顔を背けたままで応える。鼓動の数だけが加速度的に増す。
「お身体の具合は、・・・大丈夫ですか?」
「・・・」
声が詰まって、ただ肯いた。良かった、と呟くように言うのが聞こえて、もっと居た堪れない。逃げ出したい。
それなのに、傍に居たい。・・・その感情があらわすもの。
「・・・」
「・・・」
雨あがりのしずかな夜。涼気が物音の何もかもを吸って、その中に取り残されたような夜。・・・室内に残る湿り気はまた別のもの、嵐が過ぎた後の凪いだ鏡海のようだった。
少しの身動ぎで、波が立つ。
「もう、・・・寝みませんか」
迷う。
とても眠れそうにはなかったし、かといってこのままで居るのも心許無い。いつも見ていた月が、あんなに明るい。
どうしたら良いかわからなくて、縋るように夫となった人を見上げてしまった。
そうしたら、少し困ったみたいに微笑んで「そんなお顔をなさらないで下さい」と言う。そんなに妙な表情をしたろうか、思うと同時に柔らかく肩を寄せられた。
「・・・?」
「眠くなったら・・・」
それだけを言って、このまま眠ってしまって構わないとその身に寄りかからせてくれる。左手を取られ、その指に光る銀環を辿るように体温を分けられた。
暖かく、熱い。
月を見る。冴え冴えとして降る影に、どことなくまろさが混じるように見えるのは人肌の温もりに安堵した所為なのか。
恋情よりも先にあった婚姻に、最初は順序をひどく間違えたと思ったけれど。
今、自分の肩を抱く人への想いの核は、昨夜までのものと然程変わらないことに気が付いた。
発熱を促すかのような鼓動は、いっかな弱まることはないが、不快ではない。
眠気の訪れを待って、目を閉じる。
恋ならば、これからいくらでも出来るだろう。
銀環に、淡い吐息と口付けの熱。
恋をして、それから、
しあわせになろう。