ぱらぱらと、舞い落ちる楠木の葉。
何とも無様としか言い様のない態で捕らえられた四肢、金糸が不機嫌に落ちてきた葉っぱを受け取った。
「・・・セレストめ・・・」
主君の城外脱走を断固阻止する為には、実はいくつかの方法がある。
ひとつは、朝のうちに厨房へ赴き本日のおやつのメニューを訊き、それが上手い具合にカナンの好物だった場合(大概の甘いものには目が無い人ではあるが、特にリナリアの作るチーズケーキ等)、『今日のおやつはお楽しみですヨ』などと言い気を惹く方法。この場合、勉強が終わった後もわくわくと部屋で待っている場合が多い。しかし流石のリナリアも毎日チーズケーキを焼く事はないから、常に使えるわけではないという点において弱い。
もうひとつは、おやつを部屋の前まで持ってきて貰うよう侍女の誰かに頼んでおいて、パルナス教授と入れ替わりにべったりと護衛に張り付く方法。多少鬱陶しがられる場合もあるが式典前や公式の行事等、絶対に逃げられるわけにはいかない場合には有効だ。
何しろ『ちょっと息抜きに』と書置きを残して半日行方不明になられた時など、半狂乱になって捜索した挙句、裏庭の木陰で昼寝をしていたなんてこともある王子だ。その時の同僚らの憐れみの眼差しと、慰めるように一人ずつがぽん、ぽん、と肩を叩いて去っていったあの日の夕陽を、セレストは一生滂沱の涙と共に忘れないであろう。
しかし、べったりと張り付いていたらいたで、何というか、うっかりとその春の陽射しにも似たほわほわと靡く金や、桜の花のようなかんばせ、湖水を湛えたような蒼、それらについふらふらと引き寄せられる虫の如く手を触れてしまったり。
『・・・悪い虫だな』
『花に惹かれるのが虫の性ですから』
思い返せば赤面するばかりの会話の後にあってしまった出来事は、蜜より甘い真昼の秘密。
毎度こんなことではとても身体が保たない。
だからこの手段、しかもたぶん一度しか使えない技をセレストは試すことにしたのである。
なんとこの従者、窓の外の樹へ網を張っていた。比喩ではなく、本当に魚を捕る時に使う為のものだ。流石にそこら辺の漁師に貰ってくるわけにもいかなかったから、新品を町で購入(自腹)。更に不敬罪を恐れる同僚達に協力を要請するわけにもいかなかったから、自力で取付(時間外労働)。それもこれも隙を突いては窓から抜け出す主君、第二王子カナンの脱走を阻止せんが為である。
そして目論見は見事成功、セレストが駆けつけ見上げた先には、網に掛かった王子さま。
「やあ、ひっかかりましたね」
セレストが手で目庇を作ってそう言うと、網に絡まった王子がむすくれた風情でこちらを見返す。
「・・・やってくれたな、セレスト」
「いつも黙って抜け出されるからですよ。たまにはこちらにお付き合い下さい」
「獲物になるのも付き合いか」
「まあ、この場合はそうですが」
セレストの苦笑がカナンには腹立たしいことこの上ない。
「いいから、早くこれを解け」
「もう脱走はしないと、お約束して下さるのなら」
「あーわかった、わかったから早く来い。網が食い込んで痛くてかなわん」
手足に絡まった細かな網をもぞもぞと振る。
「あ、す、すみません!今すぐ。あまり動かないで下さい」
そう言って慌ててセレストは樹を登り始めた。カナンさえ捕獲出来れば目的は達せられたのである。いい加減、というより最初から不敬だ不敬だと自らの良心と闘いつつ仕掛けた罠なのだから、其処から王子を救出するにあたっては吝かでない。
意外な程の器用さで網に絡まった王子の元へ辿り着くと、柔い肌を傷付けぬよう慎重に絡まりを解く。ぶすっとした表情で大人しくされるがままになっているカナンへ向けて、微笑いが零れた。
「・・・差し詰め、蜘蛛の巣に囚われた蝶といったところでしょうか」
ところが。
「どちらが蝶かな?」
「は?」
打って変わって不敵に細められた蒼眼、驚くよりも早く半瞬の素早さでカナンの華奢な腕がセレストの頸に巻きつく。そして、
「とうっ!」
「のわ!!」
小気味が良い程の掛け声と共に、未だ大樹の只中へ張り巡らされている網の海へ飛び込んだのだ。
反射的に主君を庇い、下敷きになり、もがき足掻くと余計に網が絡みつく。
「カーナーンー様〜〜〜!!」
気が付けば、到底自力では脱出不可能な程に絡まった蜘蛛の糸。嵌められた、と睨む湖水は対照的に飄々と涼しげに笑む。セレストの首に、抱きつくような格好で。離れようにも、離れられない。
「ふっ、恐れ入ったか、僕の火事場の馬鹿力を!」
「用法がなんとなく違いますがどうなさるおつもりですか!こ、これでは」
「うむ、誰かに気付いて貰えるまで、このままだな」
くらくらと眩暈を感じるのは、この場では従者セレスト、唯ひとりである。
「差し詰め、蜘蛛に捕らわれた青い蝶か?」
くくと意地悪げに笑って見返してくる金色の蜘蛛。彼が見る獲物は、さぞや苦虫を噛んだような顔をしていることだろう。鼻息で溜息を逃がす。
「さて、どうですか」
「うん?」
半ば自棄のように据わった緑眼をカナンが怪訝に思うと同時に、食われるようにして奪われるキス。
「んっ・・・!」
じたばたと暴れるけれど、それは尚更に網の中へ埋もれる結果となり。
「んぅ、せ、レスト・・・!こら、やめ、」
最早、どうこの絡まりを解けば良いのやら、絡まっている本人達にも解らなくなってしまい。
「そうそう大人しく獲物になったりは致しませんよ」
開き直った従者と
「むう、望むところだ」
受けて立った王子により、
・・・蜘蛛の巣に絡まった蝶々同士の何だか意味の無い争いは、日が落ちて騎士団の面々に救出されるまで続くのである。