「カナンさま、お外に参りましょうか」
脇の下に手を入れて抱き上げる。
小さくいとけない見掛けに反して、意外にもずしりと重い。ほわりとミルクの香りと赤子特有の甘酸っぱい体臭がした。
「だぁいー」
カナンはちいさなちいさな両の手で、セレストの服を掴んでしがみ付く。首が据わっていて片腕に乗せるようにしても揺らぐことはない。赤子の握力が思ったより強いことを、この御子の世話を申しつかって初めて知った。
戸口へ向かって歩きながら、ベッドの上に用意していた大きなリュックを片手で器用に取って背負う。出て行きがけに、壁に掛けてあった小さな柔らかなセーラー帽を取ってカナンにかぶせてやると、きゃいきゃいと笑って短い手足をじたばたと動かした。
リュックの中には哺乳瓶とビスケットと紙オムツ、タオルと
「えーと、忘れ物はないかな・・・」
部屋を出て歩きながら荷物を確認する。行き先は王宮の中庭、目的は外気浴である。宿舎と同じ敷地内とはいえ広い王宮内、敷地の隅にある宿舎からは多少歩くことになる。彼等にとっては軽いピクニックといったところか。
からりと湿気の少ない外気浴にもってこいの晴れた休日、いつもならご機嫌で何やら喃語を喋るカナンではあったのだが。
「んー、ぷ」
「ん、どうなさいました?」
肩に顔を押し付けるようにする赤子の背を支えて、ぽふっと叩いてやる。
「んーぅ」
「?」
怪訝に思ってセレストが歩みを止めた時、陽気すぎる程に機嫌の良い声が宿舎に響いた。
「ようお兄ちゃん、お出かけかー?」
「あ、」
大股で歩み寄ってきたのはセレストの父親であり上司、この国の騎士団長アドルフ・アーヴィングその人であった。
騎士団員の休暇は交代で与えられる為、同じ騎士であってもセレストは私服、アドルフは隊服の勤務中である。そのきりりと堅い姿の団長は真っ直ぐにセレストではなく、カナンへと向かい、
「カナンちゃまーおでかけでちゅかー」
相好を崩しまくって野太く言った。
「ぱぁぶー」
「そうでちゅかそうでちゅか、うちの馬鹿息子をよろしくお願いしまちゅねー」
「あいー」
無骨な人差指でちいさな両手を取って、ひょいひょいと振っている。
それよりも、何だかセレストにとっては聊か面白くない内容の会話が、赤子と親父の間で成立しているらしい。
「親父・・・」
肩を落とすセレストにもおかまいなしだ。
「ん〜?お涎が出ていらっちゃいまちゅよー」
「あーぅ」
「んーおじいちゃんがチューしてあげまちょう」
「するなっ!」
おじいちゃんって何だ、とのツッコミと共に腕の赤子を庇って身体を反転させる。
「何だ、藪から棒に」
「それはこっちの科白だっ」
ぶーぶーと蛸口のまま不平を言う親父を一喝した。赤子とはいえ、仮にも一国の王子を相手にチューとは、何たる不敬。
「もういいから早く仕事行けよ!」
もうちょっと相手させろけちけち、と大人げのないことを言う騎士団長を置いてセレストは逃げるように歩き出した。
危なかった、あと少しでもあの場に留まっていたらこの幼い方の初めてを奪われてしまうところだった、と憤る。
冗談ではないのだ。陛下からお預かりした大事な御子である。自分がしっかりお守りしてお育て申し上げて、それから、それから。
「・・・」
歩みが止まる。
ずしりと腕に重い金色の赤子。近衛の騎士として日々鍛錬を欠かさないセレストの腕には苦になる程の体重ではないけれど、それでも何か沢山のきらきらしたものをその身いっぱいに詰めて凝縮させた、重く、大切な存在。
鍔の狭いセーラー帽の中からひよひよと覗く金の産毛、こんな小さなうちからもう上手くバランスを取るようにしてしがみ付いてくる、ふくふくとした両手。その先にまるで奇跡の細工を施されるようにしてついた、ちいさなちいさな桜色の爪。
じっと見詰められると零れ落ちるんじゃないかとどきどきしてしまう海の色の両目、その縁取りにはちゃんとお日様の色をした睫毛が濃く、長い。桃のような赤味のさした福福しい頬、きゅっと結ばれた野ばらの蕾のような唇。
・・・いつか、このちいさな方にもこのくちびるでもって、口付けを交わすお相手が現れるのだろう
それを思うときゅんと胸の切なさを覚えるセレストである。
その切なさの正体には・・・まだ、気付かない。
そしてそのちいさな口元をぺとぺとと濡らして、カナンは再びセレストの肩に顔を擦り付けた。
「てーぷー、でゅ」
名を呼ぶ声に続いて肩口の辺りに感じる、しゃむしゃむと皺を刻まれるような感触。
「あ」
気付いた時にはもう遅い。シャツの肩をはむはむと食まれて、すっかり涎でべとべとになってしまった。
「おしゃぶりを忘れた・・・」
肩がすうすうする。