繋いだ手がひどく熱くて、熱を出されているのかもしれないと思った。
間近から見上げてくる蒼の双眸、潤んでいるのは熱の所為か、それとも。
左手の傷を庇いながらそっと布を敷いた上に横たえると、気丈なふりをしながらもその地面の堅さに眉を寄せる。
こんな、処で。
この人にとっては初めての、それをこんな冷たい石の上でと思うと非常に申し訳ないと思ったけれど、どうしても止められない。
今すぐ、此処で、このひとの、何もかもを、確かめて貪って奪って与えて伝えて、それから。
「カナンさま・・・」
もう何を考える余裕もなく、・・・否、この人のことしか考えられない。紙一重の差で失わずに済んだ奇蹟は、ただ愛しい。
肌蹴た胸に疵はひとつも付いていない。少し安心する。白い乾いた膚に手を這わせると、こちらを煽るような吐息を溢して「・・・ちょっと冷たいぞ、お前の手」と顎を引く。自然、それで上目遣いに見上げられる格好になって、その表情に一瞬我を見失った。
この人がもっと幼い頃からこの肌には触れてきた。けれど今、まさかこんな情欲をもってこうして触れるようになるなどと。
思ってもいなかった。
こんなに白く滑らかだったなんて。
こんなに綺麗で。
こんなに熱い。
知らなかった。
この蒼が、こんな彩を湛えることができただなんて。
こんな声で。
「セレスト」
自分を呼ぶ。惹き込まれる。
目が覚めた。
今の状態が把握出来ずぱちぱちと二三度まばたきをしたセレストの眼を、今見ていたのと同じ蒼が覗き込む。けれど其処には既に、蕩けたような光彩は見当たらない。横たわる胴体に圧し掛かられている。
「あっ・・・す、みません・・・眠ってしまいましたか」
漸く覚めた意識、あれからずっと起きていたらしい恋人に慌てて詫びた。
話を、していた筈なのだ。夜風も涼しいこの月夜、人肌の温もりが好きなこの人を抱き締めて、とりとめもない話を。
「ん。いや、ほんの少しとろとろしていただけだ。・・・起こしてしまったようだな」
「いえ、そんな」
ついと身を起こした人の肩先から滑り落ちた夜具を、引き上げる。置き去りにしてしまったようで、ただひたすら申し訳ない。華奢なラインを包むようにかけてやる。
「お寒くはないですか?」
そのまま夜具を持って引くと、軽い恋人は素直にぽすんと胸の上に落ちてきた。
「うん。・・・何の夢を見ていた?」
「はい?」
訊き返したセレストに、カナンの表情は変らない。
「だから、夢だ。口開いてたぞ」
「えっ!?」
思わず拳で口元を覆う。
「んがぁとかも言っていた」
「本当ですか!?」
「う〜んむにゃむにゃカナンさまーだとか」
「嘘でしょう!?」
「嘘だが」
けろりと真顔で騙してくる。
「〜〜〜〜〜っ」
「ふふっ」
年上を揶揄っておきながら無邪気に胸の上で腹這いになり、カナンは楽しげに含み笑いを洩らした。
「狼狽えるということは、夢に僕が出ていたな? 何を見ていた?」
まったくこの人は。
しばし絶句したセレストはしかし、ふとこの人の返す反応が知りたくなる。何か悪戯を思いついた子供のように、滲んだ笑みを噛み殺した。
「何だ?」
「あの時の・・・、初めての時の夢を見ていました」
「あの時・・・って・・・?」
「ええと、ですね・・・」
怪訝そうに首を傾げるひとへどう説明したら良いものか、言葉尻を濁すセレストの様子に、勘鋭くカナンも悟ったようである。
「・・・!?なっ」
短い驚きの声と共に、ばふんと近場にあった枕を顔に押しつけられる。
「もふぁ!?」
ぎゅうぎゅうと力任せに羽根の塊を圧し付けられ、息でさえままならない。
もがもがともがくこと暫し、やっとのことで顔の上から枕を取り除く。そしてその枕を挟んで見えたのは、熟れたように紅い・・・
「忘れろ」
血の色を宿した頬。
「え」
羞恥に潤む瞳。
「あの時のことは忘れろ!・・・いや、あった事実を忘れてはいかんが、詳細は忘れろいいな忘れろ忘れろ」
「カナン様」
「うー」
カナンはそう唸って、ぎゅっと目を閉じ縮こまるよう枕に突っ伏した。そのまま苦悶するようにくしゃくしゃと顔を擦り付け、セレストの目線からはその金糸しか見えなくなってしまう。
「きょ、今日のも忘れていい!今後も、覚えていなくていいから!」
「こ、今後もって・・・」
「うるさい!」
恥ずかしいのか。
解からないでもない。
しかし。
「忘れません」
「セレスト!」
勢い上げられたぼさぼさの前髪から、湖水を湛えたような眼が此方を見返す。
「仮令カナン様の仰せでも、忘れられません」
あの時も今も、今までのこともこれからのことも。それだけでなく。
このひとと過ごす何気ない日々、しかしどれひとつとっても何気なく過ぎるものでは決してありえない。
「・・・カナン様の仰せでも。これだけは、どうか」
真摯な腕で抱き締める。そうすると彼のひとの表情が幾分和らいだように見えるのは、気の所為だろうか。
気の所為であってもかまわないと、セレストは思った。
「・・・何だか僕ばかり弱味を握られているようで面白くないぞ」
ぶうぶうと頑是無く唇を突き出して言うのは、多分、照れ隠し。
そして、
「・・・金魚丼でも駄目か」
はるか昔の好き嫌いまで持ち出して脅す。
「〜〜〜それはもう克服済ですっ」
「む、そうか、そうだった。・・・他に弱点は無いのか、お前は」
心の奥まで透けそうな、蒼い双眸。
「う」
「何だ、教えろ不公平だぞ」
「在るかもしれませんが、知りませんっ」
とんだ弱点も在ったものである。