これまで意識しなかった自分の手の平の、皮膚の固さがやけに気になった。それが今、桃のように柔らかなカナンの両頬を、すっぽりと包み込んでいる。
何処か、気が付かない間に出来たささくれや胼胝で疵を付けはしないかと不安で、緊張する。心拍の数が震えとなって指先へ伝わり、その先にある静かに閉じられていた瞼が、何かの花の蕾が綻ぶようにゆらりと開かれた。
水のように一瞬の揺らぎを見せたそれは、すぐに深みを増してひとつふたつと瞬く。いつも思うけれど、凄い蒼だ。
その蒼に映るものが、今は自分だけだという事実・・・此程の喜悦を、今まで知らずに生きてきた。
こちらの服の腰をきゅっと握っていた手がそろそろと離れて上げられ、手首の辺りに触れてきた。その侭、滑らすように甲へ手の平を重ねてより頬を押し付けるようにする。その温もりと柔らかさがひどく心地良い。
だがどうしても荒れたところが気になって思わず手を引こうとするけれど、軽く込められた力によってそれは叶わなかった。睫を伏せて顔をずらし、手の平の匂いをくすんと嗅がれる。
あたたかな息遣い、僅かに触れた唇の艶。
逆の手に触れた耳朶をそっと摘むと、擽ったげにふふと細い頸を竦める。細金の前髪が揺れて光る。傷めないようにゆっくりと指先で揉む。中指で耳の裏を辿る。そうすると密やかに眉を寄せて、先程とは違う温度の息を吐いた。
こんな振舞いを許されていることが信じられない。
羽毛のような軽さの髪、幾分熱を帯びてきた首筋、首元で留められている夜着の釦をひとつ外すと真っ直ぐな鎖骨が少し見えた。その線の続く先を見たくなり、ふたつみつと釦を外してゆく。
本来ならばこのひとに情を持って触れるなど、許されることではない。軽々しく想いを寄せることさえ、禁忌に値するのだ。身分の違いという観念は誰に言われずとも、己の細胞にまで染み付いて簡単に落ちるものではない。
自分には過ぎた寵だと頭の隅で理性がちりちりと明滅する。酷い罪悪感と、しかしそれを凌駕する感情。恋心の奥底に隠れる、浅ましいほどの飢餓感。
身の内側からがりがりと喰らわれるような痛みを伴う錯覚は、まるで何かに蝕まれているかのよう。
このひと失くしては立ち行かない自分に気付いたのが、少し前の騒動の時。
お前が死んだら、僕は正気でいないぞ
そう言って、はらはらと大粒の涙を溢したこのひとを見て、立場も建前も理性ですらも、何もかもが白くなって消えた。限界まで張り詰めていた糸を切られたようだった。気が付いたら、もう引き返せない処まで来てしまっていた。
泣いているような声をあげて縋り付いてくる手を取り、確かめる為に呼ばれる己の名に口付け、正しいのか正しくないのかよくわからない方法で溢れる感情をぶつけてしまった。
あの時の気持ちは、今も変わらずこのひとの中にあるだろうか。
これから先も、それは変わらないものなのだろうか。
変わるとするなら、それはいつのことなのだろうか。
変わるのか。
不安で。
あまりの不安定さに、己を嘲るような笑みを口の中で噛み潰した。想いの通じる僥倖、それだけではもう満足出来ないというのか。
どうしようもない程触れたいのに、触れて壊すのが怖い。
「・・・セレスト?」
少し濡れて、淵を赤く染めた眼が見上げてくる。
あの時の気持ちは、今も変わらずこのひとの中にあるだろうか。
これから先も、それは変わらないものなのだろうか。
どうしようもなく触れたいのに。
このひとをがりがりと喰らったら、解るのだろうか。
それが知りたくてたまらない。