月は青、夜は透明な黒色に塗られて闇中に咲いた花が仄かに薫る。その花を見に行くと言うと、案の定渋い顔をしながらついてきた。
「ご覧になったらすぐに帰るんですからね、カナン様」
「うむ、わかっている」
毎度のこととはいえ就寝前にこんな気紛れをおこす、困った主君だとでも思っているのだろう。時間はほぼ日付が変わる前、渋々とはいえそれでも許してくれたのは、向かう先が城内の一郭だからか。
時折夜警の衛兵とすれ違う。こんばんは、良い夜ですねなどと挨拶を交わし静まり返った回廊を抜け、誰も居ない庭園に出た。
「足元にお気を付け下さい」
蛍のような灯りを持つセレストが先に立ち、足元を照らして言う。
「セレスト」
「はい」
夜の海に浮かぶ、朧の月。ふと胸に浮かんだ感情を、口の端に乗せた。
「手を、引いてはくれないだろうか」
「・・・」
月を背に、闇に溶けた彼の表情は見えない。不安になって、強がる。
「・・・駄目か?」
駄目ならそれでも別に良いと、なるべく気がなさそうに見えるように。
暫しの沈黙の後、ふっと和らぐ気配がしてセレストが灯りを持ち替えた。
「・・・どうぞ。ご案内いたします」
差し出された手。鼓動の震えが伝わらないよう願いつつ、そっと指で重ねると柔らかく握られる。暖かい。軽く引かれて庭園の中へ足を踏み入れた。
生い茂る樹木の間から、ゆらゆらと行く手を導く月が見える。影と交互にセレストの姿を照らし、この手を引くのがちゃんと彼であることを知らせてくれる。なんだか、ものすごく甘えている気がして頬が熱い。俯く。今が夜で良かったと、そう思う。
花の咲く場所まで、あともう少し。どうか其処に辿り着くまでに、この熱りが冷めているように。静かな呼吸を繰り返すと、花の香が徐々に強くなるのがわかった。
否、違う。あれはそう強い芳香を放つ花ではない。強いて言うならば、この馨りは気配のようなもの。
一際強まった花の気配、顔を上げると同時に開ける景色。視界いっぱいに広がるのは誇らしげに枝を張る、満開の桜。
蓄光して自ら灯るように咲き零れる桜、桜、桜。
ざわと夜風に揺らす枝から舞散る花弁、空気までもが仄かな桜色に染まって見えるようだ。陽の光の下で見るそれとはまったく違う、まるで月が咲かせているような朧桜。
どれほどの間魅入られていたのか、ぐいと手を引かれて我に返ると長い腕に抱き込まれていた。かしゃん、と砕ける音がして足元に灯りが落ちて、消える。
「・・・だから、お連れしたくなかったんです」
苦さを交えた声に、馬鹿めと笑って引き寄せた。
「ずっと手を繋いでいただろう」
最初から捕まえていたくせに。