それは魔法というより、何か小さな奇蹟のようなできごと
若葉萌える木々の間、鳥の歌声が朗らかに響く。夏も程近いこの時期、一年でいちばん過ごし易いこの季節。空はこんなに青いのに、しかしルーキウスの城内はどことなく重く、目に見えない布地で包まれているような錯覚さえセレストには感じられる。
第一王子リグナムの召喚する幻獣の数が日に日に少なくなり、とうとう数日後に迫った刈り入れ公務にも支障を来たすだろうと言われるまでになったのは、誰の所為でもない。そのことはセレストが一番良く知っている。
幼い弟の子供らしく、けれど切ないほどの夢と憧憬と、ただ密やかなそれを持ってしまったことに対する子供離れした悔恨、自責。懺悔にも似たその想いを偶然聴いてしまったが故に生じた、第一王子の深い迷い。
たったそれだけのことが、この兄弟になんと大きく痛々しい影を落とすことだろう。
王子とは、・・・そして王家とは。改めてその厳しい在り方を痛感させられる。それは何処の国であってもそうなのだろうか。平和で長閑なルーキウスにおいても、この優しい兄弟に疵を付けるようなことをする。彼等の痛みは自分ではなく相手の負った疵。それなのに、疵の痛々しさを間近で見ているというのに、セレストには何の力も持たないことが歯噛みをする程もどかしく、遣り切れない。
そんな中、カナンは今日も庭園の隅に赴き、土塊にまみれて風船草の世話に没頭している。その小さな手に余るほど沢山の風船草の苗を与えたのは、ヒライナガオからの留学生で第一王子の学友であるローウェルだった。彼の案に一度は肯いたものの、正直なところセレストには、それが本当に彼等の救いとなるものなのかどうかがわからない。
カナンは年に似合わず聡明な御子だ。カナンにとって・・・そしてリグナムにとっても良いことに繋がるのだろうか、幾等なんでも子供騙しに過ぎるのではないのだろうか、彼等の居ない処で遠回しに問い掛けてみたことがある。そうすると、明晰な頭脳で知られるかの書生はその温和な表情を更に緩めて、こう言ったのだ。
「君は、良い子だねえ」
「な、・・・どういう意味ですか」
士官学校に未だ在籍中の若造とはいえ、もう十六歳。"良い子"呼ばわりされる謂れはないはずだ。
子供扱いをされた気がして些かむっとしたように問い返すセレストに向け、ローウェルは変わらない調子でのほほんと笑んだ。
「いや、良い子は失礼だったかな。気分を害したなら謝るよ、僕はどうも語彙が少なくてね。・・・済まなかった。
・・・でも本当にリグナムとカナンは幸せだと思ったんだ。君のような人間が傍に居るということは、彼等にとってどんなに恵まれていることだろう」
「・・・?」
恵まれている、という意味がよくわからない。王家に仕える立場の自分が、主筋である彼等に何を恵むというのか。そんな考えでさえ烏滸がましい気がして眉間に皺が寄った。
「ああ、難しく考える必要は無いんだ。君は今のままで充分、彼等の為になっているよ」
「仰ることが、よく・・・わかりません」
役に立つ、ではなく為になる。語彙が少ないと言いながら、微妙に意味の異なる言い回しをローウェルは使った。
「うん、これは僕の私見だけど、君はリグナムやリナリア、そしてカナンとはもう殆ど兄弟みたいにして育ってきたろう?」
「いえ、私は」
「君にそのつもりがなくても、彼等は君よりもっと近しい感情を君に対し持っているよ」
確かに、士官学校に入る以前より王家の子供達とは妹のシェリル同様、遊び相手として接してきた。今はもうカナン付きの従者として役目を拝命した身であるから、セレストの気の持ちようはあの頃とはまた若干違うものに変わってしまったけれど。でも彼等は違うとローウェルは言う。そしてそれは、畏れ多いことだと思うと同時に、密かに嬉しかった。
「そう・・・なんでしょうか」
ちょっとだけ頬を染めた、少年といっても差し支えない士官候補生に、ローウェルは肯く。
「うんだからね、君にそのつもりがなくても役目でなく体面上でもなく勿論損得抜きで、真から彼等の側に立って物事を考えてくれる存在っていうのかな。・・・血縁でなくそんな人が居るということは、その人の人生にとって素晴らしいことだよ」
そう言ってから、手招いた。首を傾げたセレストが彼の後に続くと、静かにね、と囁いて物陰から覗うようにする。
其処に、たくさんの風船草に囲まれてカナンが居た。
水色、桃色、橙色、その中に佇む金色きらめく綿毛の髪。
まるで絵本の中のような情景に、思わず見入ってしまう。
ゆらゆらふわふわと風に揺れる風船草の、それは花だ。萼から伸びた丸く大きな花弁で包まれた中にて受粉し、その作用で空気よりも軽い気体を発生、充満させる。ある一定の時期が来たら自らふつりと根を離れ、風に乗って遠くへ運ばれてゆくのだ。
ローウェルの提案通りにそれを"収穫"するまであともう少し。色とりどりの丸い花々の中、金色の子供は風に靡く風船のひとつに両手を触れ、そうっと顔を寄せた。
「・・・?」
耳を澄ますとぽつぽつと何かちいさな声で、独り言のように呟くのが聞こえる。
「・・・上が、また幻獣をたくさん・・・できますように」
セレストは声を呑んだ。
見守る存在に気づいていないカナンは目を閉じ、自分の頭と同じ程の大きさを持つ花を壊さないよう額を付けて、・・・そして一心に祈りを篭める。
「僕は、兄上がまた元通りお元気になって下さるのなら、なにも要らないんだ。本当に、なにも・・・」
ぽつぽつと、届く言葉がちいさな宝石のように耳に残る。
「だからたくさん、たくさん・・・兄上・・・」
ふわ、と風が吹いて風船草が揺れた。・・・まるでカナンの願いを聞き届けたかのように。
その時はじめて、セレストは安心している自分に気が付いた。大丈夫だ、何もかもうまくいく。こんなに小さな、こんなに綺麗な願い事が叶えられないわけはないのだから。
このひとの願いが叶う為なら、自分に出来る精一杯のことをしたかった。
ぽん、と軽く背中を叩かれて我に返った。それでもカナンから目を離すことの出来ないセレストに、そっとローウェルは囁く。
「 ねえ、僕は思うんだけれど、カナンは最強の魔法使いだと思わないかい?」
胸が熱い。
「・・・ええ、はい。私も・・・私もそう思います」
・・・そしてセレストは目の当たりにすることになる。
気鬱そうに露台へ出た、リグナムの背が僅かに震えるのを。
ただ友を信じてそっと支えになった、ローウェルの誇らしげな笑みを。
カナンがその小さい両手で放った、最強の魔法を。
色とりどりの丸い風船草。いとけない落書き。
けれど放たれた言葉は魔法の呪文などではなかった。
まっすぐな気持ちがリグナムへ届く。
それは魔法というより、何か小さな奇蹟のようなできごと。
奇蹟を起こすのはいつだって、そのひとの心。