border green.


「おはようございます、カナン様」
 常と変わらぬ声で起こされるので、目覚めから何となくむっとしてしまった。

「今日も良いお天気ですよ」
 見ればもうすっかり身支度を整え、後は武器防具の装備を身に付けるだけとなったセレストが部屋のカーテンを勢い良く開けている。
「うー」
 眩しくて目を擦ると、ああすみませんいけませんお目が腫れてしまいますと、謝っているのか窘めているのかわからないことを言って手首を取り上げられた。
「御朝食の準備が出来ているそうですよ」
 窓からの逆光を背負い、爽やかに言われるのでまたむっとする。
 むっとしたまま起き上がると、セレストはてきぱきと洗顔の準備と着替えを出す。甲斐甲斐しいまでの世話の焼きっぷりが、既にもうすっかり従者のようで更に腹立たしい。

 帰路途中とはいえ今はまだ旅先で、自分達はパートナーで、王子と従者という線引きはまだされていない筈、そう思っていた。
 そう思っているのは自分だけなのだろうか。


 昨夜の睦事が幻のようだ。その体躯の重みと熱、耳朶に残る低い声の響き。行為の間ずっと指を繋いでいてくれた。その手に触れられた感触まで思い出して顔が熱くなる。
 今日、国へ帰ればまた元通り。それからだろう、王子と従者の日々に戻るのは。道中の宿屋でも都市長邸に滞在中でも、当たり前のように同じ部屋で寝起きを共にしていた、そんなこともなくなるだろう。
 しばらくこんな、二人きりで居られる時間などないから、だから、昨夜は。
 別に何を期待している訳ではない。ただ、今迄見ていた夢から急に現実へ引き戻された気がして気に入らないだけだ。


 むっとした状態のまま寝台の縁に腰掛けると、水差しからたぷたぷと盥に水を注いでくれる。顔を濯ぐと朝から熱った頬に心地良いが、心は依然晴れない。手渡された清潔なタオルでもそもそと顔を拭く。
「・・・何だか、あまり良いお目覚めではないようですね」
 心配そうに言われるので、誰の所為だと心中で毒づいた。
「・・・」
 口を開けば、彼を困らせる言葉ばかりが出ていってしまいそうだった。だから顔をタオルに埋めたまま黙って首を横に振る。それは否定ではなく、肯定でもない。
 家族には会いたい。城へ戻って自分の部屋のベッドで眠りたい。セレストにも休みをやりたいし、次に読もうと思っていた本が書庫にはまだたくさん在る。でも。

 瞬く間に過ぎた一月半、ここで帰りたくないなどと言えば確実に彼は困る。けれど本音はそうだ。自分に嘘は吐きたくない。

 帰りたくない。でも言えば、彼は困る。というか、泣く。

 その様子を想像すると少しだけ可笑しくなった。ようやく、セレストが泣くから帰ってやるか、という気分になる。
 諦めた訳ではない。仕方ない、とも思ってはいない。また次の冒険がいつかあると思うから、そう思えるから、家に帰る。主従としての日々に戻ったとて、それで自分の心が変わる訳ではない。それだけだ。
 納得してふかふかしたタオルを顔から離し、きちんと両手で行儀良く折り畳んだ、その時だった。


「失礼します」
 言って、寄せられた腕に背を抱かれる。片膝の乗った寝台がぎしりと鳴って、驚いた。
「・・・セレスト?」
 壊れ物を扱うように、セレストの手が夜着の背をそっと撫ぜる。
「あの、・・・お身体の調子が優れないなら、ご帰国を一日延ばされても」
「?」
 まるで、痛いところを撫で擦るような扱いに首を傾げる。特にこれといって身体の不調は感じられない。寝起きでぐずるような機嫌の悪さを見せたのを体調の所為と取られたか、     そう思って見上げると、何とも気まずげに眉を寄せたセレストの表情が赤い。目が合った途端にぱっと逸らし、そして言い澱む。
「す、みません・・・昨夜は、あの・・・、・・・すごく、・・・」
 その口調に仄かな微熱を含みつつ、労るように撫でる手は休めない。大きな手で背中から腰の辺りを心地良く圧迫され、そこでようやく合点がいった。
「ああ、そういうことか。うむ」
「・・・ってカナン様・・・」
 違うんですかと恥ずかしそうに脱力されながら、それでもゆっくりと凝りを揉み解す腕に身体を預ける。ふふと笑みが零れた。


 境界線は、まだ引かれてはいなかった。腕を回してぎゅっと抱き付くとセレストの、恋人の匂いがする。


「そうだなあ、一日延ばしても良いが、・・・でもなあ」
「・・・お知らせしないとご家族の方々にご心配をお掛けしますよね」
「うん、いや、そうじゃなくて」
 吹き出し笑いを堪えつつ、愛しげに見下ろしてくる翠の瞳をもう一度見上げて捉えた。

 線引きがないのなら、まだ遠慮することは無いだろう。誘いの笑顔は計算の内だ。



     だって、明日に帰国を延ばすとまた今夜、すごい事になりそうじゃないか」




















・・・早く国に帰りたまえ君等。


20040804.yuz

<BGM:Borderland/SING LIKE TALKING>