「ではお二人とも、灯りを消しますよー」
「おう、いいぞ」
「うむ」
まるで引率の教師のようなセレストの声に、寝袋に収まったヘルムトと寝台に座ったカナンは応えを返す。それを確認して灯りを落とすと、程なくしてとっとと豪勢な寝息が聞こえてきた。
「寝つきいいなあ、彼は」
「・・・というか、かなり豪快にお休みになる方ですよね」
暗闇に取り残されたのは、苦笑混じりの主従の声だけ。
「さあ、カナン様もお休みなさいませ」
「・・・」
「カナン様?」
押し黙る気配に、セレストは訝しむ。ヘルムトがこの部屋へ押しかけてきてから半月余り、最初はその派手な就寝っぷりに驚かされたものだが、慣れてしまえばどうということはない。しかしそれは普段むさくるしい男ばかりの宿舎で生活しているセレストだからなのだろう、やはりカナンには他人と同室で眠るのは厳しい事だったのかもしれない。
「あの、大丈夫ですか?・・・今日はとりわけ派手にお休みのようですし、お部屋を替えて頂きますか」
「いや、そうじゃなくてな」
暗闇から聞こえるカナンの声は、密やかだが明るい。手探りで触れてくる柔い手を助けて傍に寄ると、安堵したような息遣いで笑うのが小さく聞こえた。
「ああ、居た居た。・・・ふふ、まっくらだな」
ひそひそと、内緒話をするような口調が擽ったかった。
「まっくらですね」
今夜は月が無い。いつもなら闇に目が慣れるのはセレストが先だが、それにしても今夜は暗い。そう思った途端、ぺたぺたとカナンの華奢な手が顔に触れてきて驚いた。
「か、カナン様なに」
「しー」
些か目標を外した手で、口元を半端に塞がれる。更には「ああ、ここが口だな」と言いながらもっと無遠慮にぺたぺたと触られた。否、無遠慮なのは別に構わないのだけれど。
「ぶ、カナン様」
鼻の先まで確かめられるように触られて、擽ったさの余り思わずその手を当てずっぽうに掴む。目を開けても閉じても透明な黒色。視覚で捉えることが出来ない分、触覚だけで感じる相手の気配は儚いようで心細い。更に引き寄せてその背を捕えると、くつくつと咽喉を鳴らして笑う肩が揺れていた。
「なんなんですかもー」
「いやあ、寝む前にな」
ふと、良い匂いが鼻先を掠めたと思ったら。
ちゅ、と半端でなく柔らかなものが唇の下に触れてきた。
「・・・っな」
「あれ?」
仄かに甘い果実の香りは、都市長邸の浴場にあった洗髪料だ。それがカナンの髪から薫っていた事を思い出して動悸が跳ねた。剰え、立て続けに顎、頬、唇の脇、鼻の下と小さく暖かく柔らかいものが暗闇の中触れてくるのだから堪らない。
触れられるのは良い。けれど、今更のようだが此処は都市長邸で明日も遺跡の調査が控えていて、何よりすぐ傍でヘルムトが休んでいて・・・
(いや、この前は外、外だったから・・・っ)
慌てて内なる言い訳を何かに向けてするが、何の助けにもならない。尚且つ、つい先日またしても屋外で事に至ってしまったという事実に改めて打ちのめされる。
(うわあ)
離れようにも足元が見えず、寝台を引っかけてカナン諸共転びかねないし、いつの間にか襟元を掴まれていて顔を背けた途端、今度は耳の下に口付けが降る。
「ちょ、カナン様何、何を」
「何だ、口は何処だ」
精一杯押し殺したセレストの情けない悲鳴はヘルムトの鼾にかき消された。何も見えない。しかしむうと応えたカナンの、その声色だけで口元をひん曲げてこちらを見ている様子が想像出来てしまう。子供みたいだ。
「そこでジョーンズさんが・・・っ、ジョーンズさんがそこにっ・・・」
錯乱したセレストの科白に、ぷうとカナンはむくれて言った。
「暗いし、暗いからちょっとだけと思ったのに」
このひとがちょっとだけと言うのなら、本当にちょっとだけなのだろう。
そもそもこのひとのちょっとだけとは何処までを示すものなのか、その上で自分の気持ちがちょっとだけで済むのなら、最初から苦労はいらないのだ。
はああ、と胃の腑から直結した溜息が出た。仕方なく手探りでその手を取り、風呂あがりで幾分温度の高い指を己の唇に押し当てる。
「・・・くちびるは此処です、カナン様」
「む、・・・!・・・っ」
仕返しとばかりに、その先を軽く噛んでやった。