白い空に、殊更光る雲がけぶるように飛ぶ。
自分の背丈よりも高い草が穂を出し、それがざわざわと風に煽られ周りを囲んで踊るようだ。少し、寒くなってきた。遥か遠くを、影の鳥が梢をかすめて去って行く。
「うーん、・・・ははは」
ほんの少しの気紛れに、部屋を抜け出し野原に出た。ほかほかと温い陽射しにこれまた気紛れで行ったことの無い草叢へと足を踏み出し、何だか未開の地を行く気分になり楽しくなってしまい、・・・挙句。
「・・・迷子だ」
陽の角度は覚えているから、たぶんこちらに出れば城へ戻れるのだろう。しかし、其処はとても自分では降りられない高さの崖だった。危ない。天然の亀裂に沿って何とか自力で越えられる箇所をと探して歩くうち、完全に方向を違えた。自分で方向感覚は良いと思っていたから、少し悔しい。
此処が然るべきダンジョンならば相応の装備で挑んだというのに、今の自分は何も持たない、いわば丸腰だ。城から程近い自然林の中、大した装備などいらないがそれならばもっと注意を払うべきだった。
「参ったな」
外套の裾に付着した草の実を、ぷちぷちと取って捨てる。気付けば外套と言わず服と言わずあちこちが草の実だらけで、これは見付かれば大目玉を食うこと間違いなしだ。しかし大目玉を出すべき当の本人は今、此処には居ない。
まったくの、ひとりなのだ。
「・・・」
なんでこんな時に、と俯いて唇の中を噛む。いつかは冒険者として独り立ちするつもりが、なんという様だろう。依存していたつもりはないが、今ここで彼が居たらどれだけ心強いかなんて、それが自然に思える程存在への癒着感が強い。
いつか、その日が来た時。未だ保留の答えを予想するのは、将来への不安と希望を思うのに似ている。
どちらにせよ、彼の良い様にすれば良いとは思うが、
「あー・・・もう、何だってこんな時に僕は」
ふるふると頭りを振り、ついでにぽすぽすと拳で軽く叩いて纏わり付く思考を振り払う。今すぐに答えの出ない事柄を、延々考えていても仕方が無いではないか。難しい事は後回し的な後ろ暗さは否めないが、まずは帰って、彼の顔を見れば安心するのだから今はそれで良い。大目玉を食らいに戻ることとする。こんな時は自分の前向きさに多少救われる。
迷子の鉄則はその場を動かないことと、来た道をなるべく正確に辿り戻ることだ。
誰にも黙って抜け出して来たのだから、じっとしていても寒くなるばかりで事態は打開しない。まずは引き返す。途中の崖には注意をせねばなるまい。
自ら踏んできた下生えを確かめつつ、慎重に進んだ。視界を惑わすようにざわざわと草の穂が揺れるが、何とか掻き分けて進む、その時だった。
「・・・っ、見つけましたよ!カナン様!」
「!」
吃驚した。それはもう吃驚したのだ。
背丈のある草々で目の前を遮られる中、意外とすぐ近くで発せられた声に、見付かるならもっと城近くなってからだろうと油断していた自分に、縺れた足が踏んだ空の、・・・何も無さに。
「カナ・・・っ!!」
「っ」
何が起こったのかわからなかった。がくんと仰け反った次の瞬間にはきつい腕の痛みと重力の逆転、視界の暗転、そして気が付けば仰向けになったセレストの胸の上に倒れ込んでいた。
「・・・たた」
「セレ・・・、だ、大丈夫か?」
「そ、れは私の科白ですよ・・・っ」
「すま、・・・すまな・・・」
驚きに硬直した身体の中、ばくばくと暴れる鼓動で冷汗が噴出す。知らずぎゅうと握りこんだ手で、彼の服に皺を寄せた。今になって震えが来る。
それを宥めるかのように、セレストの腕に抱き込まれた。
「急に声を掛けたりして、驚かせてしまいましたね。・・・申し訳ありません」
まるで毛羽立った猫を撫でるように、泣き喚く赤子をあやすように、ぽんぽんと背を叩かれて。
その温もりにこの上なく安堵すると同時に、何故だか言葉にならない程の切なさが襲ってきた。堪えられない。
「うー、僕を甘やかすな」
その胸に突っ伏して額を付けた。その広さが悔しいけれど好きだと思う。
「いけませんか?」
「安心するから駄目だ」
顔を見るだけで安心するからそれで良いだなんて。
きゅう、と咽喉の奥が痛む。これは精一杯の強がりだ。意に反したこんな事、本当は言うだけでこれほど辛い。
すると、ははと笑ったセレストが「良かった」と言い、その腕で抱き締めてきた。
「私はカナン様に安心して頂く為に居るんですよ」
ピイ、とどこか高い空で鳥が啼く。草の穂がざわざわと笑う。胸の痛みを氷解させるように。
ずっとこのままで居られる訳じゃない。それは判っていることだけれど。
「・・・では、僕は?」
掠れた問いにセレストが黙る。
こんな、助けられてばかりでは自分の立つ瀬は余り無い。けれど問わずには居られなかった。
ほんの少しでも、自分の存在は彼にとって何かの作用を及ぼすものなのだろうか。それはたとえば主従としてや、恋人としての関係が無かったとしても?
「・・・」
顔を上げ見上げると一瞬だけ、真摯な光がその瞳に宿るのを見た。けれどそれはすぐに、ふっと柔く笑んで霞められる。そして、
「当たり前の事ですが・・・カナン様は勿論、当然、お願いですから私を安心させる為にいらして下さい!」
言うが早いか、ありったけの加減された力で抱き締められた。
「むぎゅう」
「まったくもー!寿命が縮みましたよ!」
ぐりぐりと髪まで掻き回される。
「むぐ・・・すまん、すまんってば・・・」
「ていうかその前に心労で禿げますから私」
「あは、あっはははそれは困るな」
大目玉の最後は二人して笑って。
助かった、ありがとな。そう言うと彼はひょいと眉を上げて、どういたしましてと応えた。
重いか?と訊けばいいえと応えるので、もう暫くこうして居ることにした。
周りを囲む、草の穂に笑われながら。