外反母趾なんて嫌いだぁ!!記録

現代人の足が危機にさらされている!!警鐘を鳴らすiso−sanである、
はずがない。。。痛いもの自慢したいだけぇっ!

子供の頃、自分の足がおかしいなんて思ったこともなかった。
だって、母親と同じ形だったんだもん。
でも、友達から「出てるよー」って声を揃えて言われて以来気にはなっていたのだ。でも、痛くはなかった。ホント形が変なだけで(iso−sanにとっては普通だけど)だから困ったって事はなかった。
全て過去形なのにお気づきですね?!ここ何年かでiso−sanの足に対する気持ちは変わっていったのでした。。。ふふふん。


社会人になりたての頃喜び勇んでそれまでは全くご縁の無かったヒール靴を履きだした。全てはここから始まったのではないだろうか?!
ここで3・4cmヒールくらいでやめておけば良かったのでしょうが可愛いデザインの物はヒールが高く先細りってのが多かったんだよね。
そしてスーツにヒールというのが当たり前だった。

あの頃は(昔を懐かしむ口調はやめましょう。。。)どんな靴を履いてても大丈夫でした。長時間履いてるとさすがに疲れてむくんだ足も痛くなるけどそれは次の日にはなんともなくなってたもんなぁ。
でも、いつからだろう。
靴を履いて玄関を出た頃には「足が痛くて一歩も歩けない」っと引き返してはスニーカーを履くようになってしまった。

そんなに痛くなったのはフラメンコを始めた頃からでしょうか?
歩いている時に痛みが走る程度になっていたのに特にケアしてあげてなかったのも祟ったんだろーなぁ。
結局「激しく打ち下ろす」という足にとっては嬉しくない状態を2年くらい続けていた。練習中は打ち下ろす度に痛いし、練習後はじんじんして歩くのが辛い。こんなんでフラメンコ続けていて足大丈夫かなぁ?っと不安になり始めたのは今年(平成11年)の3月くらいだった。(丁度フラメンコのクラスが3月で一段落するから4月からの新しいクラスの更新を考える時期にきてたのね)

んで、会社の近くに整形外科があったからふらっと行ってみた。
きっと近くに病院がなかったら足が痛いだけで病院なんかに行かなかっただろうなぁ。
病院の先生って相性いい人になかなか巡り会えなくって、思い出すとムカツクけど、胃腸科に行った時なんかはムチャクチャ怖い先生に説教されてこっちは胃が痛くていてもたってもいられない状態なのにぃ−!!なんであんたにそこまで言われなならん!!っと悔し涙を流したこともある。
婦人科の先生にも高圧的な態度をとられてムカツイたから二度と行ってない。あー、病院近所で良いトコ早く見付けなくちゃ。。。

病院の院長先生に見てもらったんだけど「これだけ曲がっていたら市販されてる外反母趾グッズではもうどうにもならないですね。」っとあっさり言われてしまった。「テーピングとかでなんとかなるんですか?」っと聞いたところ「ここまでくれば手術をおすすめしますね。」っときたもんだ。
一瞬耳を疑った。手術なんて考えてなかったんだもんなぁー。

結局その日の診察で手術or我慢するを決められなかったので「考えます」っと返事して帰ってしまった。
「これだけ曲がっていれば手術しかないのかぁ」っと帰りの電車の中ではなんだか自分のことだけど自分のことでないような。。。誰かに判断して(ット言うより後押しして)もらいたい気分になってしまった。
保護者にPメールで報告した所「怖いかもしれないけど後々のことを考えたら手術した方がいいんじゃない?」っと返事が返ってきた。

福岡にいる母親に相談した所「お母さんも足が痛いで歩けんことがある、あんたも先が長いんやけ若いうちに手術しといた方がいいんやないと?」っと暖かい言葉をかけてくれた。
その後、妹にも母親が早速相談したらしく「お母さんがムチャクチャ心配しとったよぉ、大丈夫ね?!お母さんは手術の時そばにいたいっち言いよったよ。手術3日前くらいに東京に行くっち頑張っとった。」っと言われた。
うーん、田舎者の母親が上京となると母親の心配までしなくちゃ行けないじゃないよぉ。田舎と違って電車の本数とか全然多いんだから。

それにしても3日前って何よ?!
って妹に聞いた所「あんたが動けなくなる前に東京見物したいんて」っつーことだった。どうせ、そんなこったろーと思った。
まあ、案内をしてあげるのはいいとして、入院中の私の世話をする暇はあるのか?!っという疑問は残りましたね。父親を一人残して来るという心配もあるだろうし。。。