金素月(キム・ソウォル ) 詩抄

   山有花

山には 花咲く
花が咲く
秋 春 夏なく 花が咲く

山に
山に
咲く花は
あのように ひとりで 咲いている

山に鳴く 小さい鳥よ
花がよくて
山に住むのか

山には 花散る
花が散る
秋 春 夏なく
花が散る

     1968年、大学1年のとき初めてこの詩(朝鮮語)に触れました。感動でからだがふるえました。
      この詩を知っただけでも朝鮮(韓国)語を学んだ意味があったと思います。ほとんど直訳です。
     「秋 春 夏なく」とは、「秋も春も夏も変わることなく」という意味です。



   あなたの歌 (ニメ ノレ)

恋しいあなたの 澄んだ歌は
いつも わたしの胸をひたしています

長い日 門の外に 立って聞いても
恋しいあなたの うつくしい歌は
日がくれて おそくなるまで 耳に聞こえます
夜になって 眠りにつくまで 耳に聞こえます

うつくしくもふるえる 歌のしらべに
わたしの眠りは それだけでも 深まります
さびしい寝床に ひとり臥しても
わたしの眠りは やわらかく 深まります

けれども眠りからさめると あなたの歌は
ひとつ残らず なくしてしまいます
聞けば聞くほど あなたの歌は
ひとつ残らず 忘れてしまいます

       原詩の響きの美しさはこの世のものとも思えぬほどです。「あなた」と訳した言葉「ニ」                      は、「お月様」の「様」にあたる言葉です。これは、恋人、妻、夫、神、仏、自然、同胞、民                      族など、愛するもの、心に慕うもの、何をこめることもできます。



   遠い 後の日

遠い 後の日 あなたが尋ねていらっしゃれば
そのとき わたしの言葉は 「忘れました」

あなたが こころで 責めるなら
「ひどく こがれて 忘れました」

それでも あなたが 責めるなら
「信じることができなくて 忘れました」

きょうも きのうも 忘れない
遠い 後の日 そのときに 「忘れました」



    (サン)

山鳥も 榛(はん)の木の
上に鳴く。
山鳥は なぜ鳴く、シメの山奥
嶺を越えて行こうと それで鳴く。

雪は降る、 降って覆う。
今日も一日の路
七、八十里
振り返れば 六十里は 行きもした。

帰らず、帰らず、また帰らず、
三水甲山(サンスガプサン)に また帰らず。
男の心として 忘れようとしても
十五年の情を 忘れられようか。

山には 降る雪、 野には 溶ける雪。
山鳥も 榛(はん)の木の
上に鳴く。
三水甲山(サンスガプサン) 行く道は 峠の道。

       何とも不満足な訳です。原詩の旋律もリズムも伝えられません。「帰らず、帰らず、また帰らず」                  は「不帰(プルグィ) 不帰(プルグィ) タシ 不帰(プルグィ)」というのですが、これだけで不思                   議な世界がそこに立ちあらわれます。



 お母さん、お姉さん

お母さん、お姉さん、川辺で暮らそう
庭には きらきら 金の砂
裏門の外には 枯れ葉の音
お母さん、お姉さん、川辺で暮らそう

        「オンマヤ ヌナヤ カンビョン サルジャ」が初行と最終行に繰り返されます。
         暖かくつつましい人たちの思いが伝わってくる気がします。
         きらきら輝く金の砂の光と、枯れ葉が舞い落ちて擦れる音。
         自然の情景の中に息づく人の営みが、今、失われていくのが惜しまれます。



   谷川の瀬

あなたは なにゆえに
そのようにしているのですか
ひとり 谷川の瀬に じっとすわって

青い草が
萌え出でて
静かな水が 春風に 揺れるときに

行っても 行ったきりでは
ないとおっしゃった
そんな約束がありましたね

日ごと 谷川の瀬に
来て すわり
うつろに ものを 思います

行っても 行ったきりでは
ないとおっしゃったのは
けっして忘れないでほしいとの 願いなのですね。



  孤独の日(寂しい日)

あなたの手紙を
受け取ったその日
悲しいうわさが立ちました

水に投げてほしいと言われた その意味は
いつも夢にみて 思ってほしいという
そのお言葉なのだと思います

くずして書かれた字ですが
ハングル文字で
涙 と書いて 送られたのでしょう

水に投げてほしいと言われた その意味は
あつい涙 ひとしずく ひとしずく ながしながら
こころやさしく読んでほしいという お言葉なのですね



   昔語り

静かで暗い 夜がくれば
ほの暗いともしびに 夜がくれば
孤独と痛みに ただひとり
とめどない 涙ながして わたしは泣きます

わが身も かつては 涙をしらず
小さな世界で すごしました
そのときは 過ぎた日の 昔語りも
なんの悲しみもしらず そらんじました

けれども あなたが行かれてのちは
すっかりわたしを捨てて 行ってしまわれたのちは
かつてわたしが持っていた すべてのものが
それもこれも なくなってしまいました

しかし あのときに そらんじていた
昔語りだけは のこりました
日ごとに深まっていく 昔語りは
空しく わが身を 泣かせてくれます


 私は学生時代に授業で金素月の詩のいくつかを習ったのと、自分で詩集を朗読していただけのはずなのですが、なぜかこれらの原詩のいくつもが女性の声で聞こえてくるのです。まるで実際にだれかが朗読していたのを聞いてそれが耳に残っているかのように。

尹東柱とともに私が愛してやまない金素月(1902〜1934、韓国・朝鮮)の詩をいくつか試訳します。彼は日本の島崎藤村にあたると言ってもいいでしょう。かつて上田敏はフランスの詩を『海潮音』で見事な日本語に移しました。その1/10にでもなればいいのですが。