会津のキリシタン..猪苗代では


殉教の碑文

はもともとヨーロッパの教会で発達したものです。4〜5世紀頃のものも残存していますが、パリのノートルダム寺院やシャルトルなどの、あのすばらしいステンドグラスは、教会にゴシック建築様式が取り入れられ、大きな窓が作られるようになった14〜15世紀にかけて作られたものです。
当時の市民はまだ文盲の人が多く、聖書ものがたりを絵によって表現し、キリストの教えを布教したのでした。そのために利用されたステンドグラスはこの時期、大変発展したと言われています。

さてこのようにキリスト教とステンドグラスは大いに関係が有るのですが、この地、「猪苗代」にはキリスト教にまつわる興味深い歴史が有ります
時代は戦国時代末期、会津藩を治めていた
蒲生氏郷は熱心なキリシタン大名
(洗礼名レオ)で、三春、米沢、二本松等にも
多くのキリシタンがいたと言うことです。
当時の猪苗代(亀が城)城主
岡越後
熱心な信者で、その影響により城の近くには
セミナリオ(宣教所)もあったほど、
多くの人がキリシタンでした。
しかし氏郷の死後、江戸幕府のキリシタン弾圧令が出て
会津や猪苗代では1622年から1627年にかけ
多くのキリシタンが処刑されました。
その痕跡が猪苗代にもあり
その一つが現在の土津神社前の森の中に
ひっそりと残る
バテレン塚(俗称、耳塚)です
写真上
刑場跡は町から猪苗代スキー場へ向かう途中
上り坂が始まる場所にあります。写真右
その他、現在の町の中心部には
隠れキリシタンが密かに奉ったと言われる
 
天司のけやき(けやきの大木のほこらに
石の地蔵が奉ってある)、そして
亀が城跡の近くには
処刑場跡があります。
刀の血を洗い去った小川は 
去る川 
呼ばれて来ましたが
今はコンクリートで覆われています。
(上) 天司のけやき全景

(右) けやきの祠

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