ヨーロッパ、2003夏期音楽セミナー、テンプラ日記、無茶修行一人旅

時効成立、一般公開 

テンプラというのはコロモだけ立派なニセモノのことであります。
昔、大学というところがエラかったころ、東大の宇井純なんていうセンセの教室は、よその大学生(またはそこらのおじさん)であふれていたわけで、そういう学生をテンプラと呼んでいたのですね。むしろ正規の学生よりも鋭い意見を言うので、真剣な講義になったなんていう逸話も多かったのでした。
 私は音楽を少したしなむので、中年になった今、音大のテンプラというのを生き甲斐にしている。そのへんのことをお伝えしようと思うのだが、ばかばかしいと思う人にはなんの意味もありません。


今年はウィーンだ! と決めたのは7月の中旬だった。なぜか8月のザルツブルク音楽祭のウィーンフィルのチケットが手に入ったのだ。しかも今、最も興味あるウェーベルンとマーラーとピエール・ブーレーズという組み合わせ。
 通常ザルツのチケットは2月で完売する。ところが偶然あるツーリストに電話をすると、定員に満たないツアーを締め切って、航空券やホテルのリザーブは返してしまったが、そのマーラーの#4のチケットだけが19000円で用意できるということだった。それ!それが欲しかったのだよ。
 ウィーンの飛行機のチケットがとれるかを確認すると直行便のオーストリア航空はガラガラの状況だった。おそらくSARSのの影響で会社員や、公務員の海外旅行の許可が下りないせいだろう。当然自分は無許可、隠密。宿は安いのをネットで予約できる。あとは夏の音楽セミナーの情報を入手するだけだった。
 幸運なことにウィーンでも、ザルツブルクでも音楽セミナーは開かれていて、魅力的な講師がそろっている。行ってさえしまえば何とかなる。さっそく高飛び実行。

問題のチケット。19列5番。いい席だった。次回もここで聴きたい。


必要なものは 情報とコネクションと勢いである。情報としてはウィーンのアカデミーの方は、もとウィーンフィルの主席フルートのウェルナー・トリップ氏の講座がある。おもしろそうだ。それから『ウィーンフィルその音と響きの秘密』著者:中野雄という本を買った。新書版で非常におもしろい本なので、皆さんにもおすすめしますが、主にベーム、フルベン、カラヤンの時代のウィーンフィルのメンバーとの個人的な交流に多くのページがさかれていて、著者は前途のトリップ氏とはかなり懇意にしているらしい。こういう本は有力なコネクションを作るのに役立つ。そしてザルツブルクの方もペーター・ルーカス・グラーフや日本からは堤剛氏が講座を開いていて、潜入は可能だとふんだ。
 問題は教室の場所だが、ウィーン音楽大学というのはウィーンの町のいろんなところに分かれていて、本部は「アントン・ウェーベルン通り」というところにあるらしいということまでがドイツ・ヤフーの検索で何とかつきとめた。『地球の歩き方』の地図にはもちろん載っていない。どうもその地図の少し外の場所にありそうだ。ザルツの方は「モーツァルテウム」という音大でやっているらしい。こっちは迷わず行けそうである。


8月18日(月)、とにかく飛んだ 10:30のフライトがニューヨークの停電のために2時間遅れた。今日の夜8:00には、いきなり楽友協会のモーツアルトオーケストラの予約をしてある。その日のうちにウィーンに順応してしまおうという作戦だ。
 ウィーンに着くとなんとも暑かった。まるで南の島へ来たよう。それでもがんばって交通機関74時間フリーパスのチケットを12ユーロで買って、ホテルにチェックイン。そしてあの楽友協会へ。地下鉄のU4で2駅。7:45に何とか間に合うが、日本時間では夜中の3:00頃である。
 この楽団「ヴィーン・モーツァルト・コンツェルト」であるが、当時の扮装で演奏するという観光客向けのオーケストラではあるが、ウィーンフィルのメンバーを伴って来日したこともあるという。モーツァルトのおいしいところを演奏するのだが、これがお家芸。隔日ペースでここで演奏しているので、楽友協会を鳴らす術を全て心得ている感じ。モーツアルトに関しては日本の水準を超えていた。それにしてもいい音のホールだ。学校の体育館みたいに狭く、汚いのに。もっとも楽器はみんなモダンの楽器で、フルートは1番がパウエルの木管、2番がおそらくムラマツの金。フルートとハープのためのコンチェルトC-durをやってくれたが、フルートはノンヴィブラート奏法。これは当時を意識してのことだと思うが、モダンの楽器のヴィブラートなしは新鮮だった。
 いきなりウィーンにどっぷりという作戦は成功した。それにしてもここでは冷房のある施設は空港くらいで、電車もホテルもまずエアコンはない。ふつうは冷房の必要ない国なのだ。これは弱い人は死んでもおかしくない。地ビールのゲッサーを買って、就寝は11時、日本時間は6:00amであった。充実。

 まだ暮れきらぬ楽友協会   金ぴかに見えるがボロボロ  いきなりウィーンデビュー


8月19日(火)、情報収集 2日目はフリーパスをフルに使ってウィーンの土地勘をつけることにする。
 ウィーンは千代田区、中央区、港区を合わせたくらいのコンパクトな都市。路面電車の環状線に乗ると、30分で一周できる。そしてその狭い町を5種類もの地下鉄と、バスと路面電車が縦横に走る。午前中に、どの辺に何があるか把握する。そして資料として、行きの機内、ホテルのロビー、インフォメーションなどのパンフレット、地図類を手当たりしだい集め、午後、それを解析する。
 機内でウィーンの催し物のパンフをもらったとき、スッチーが「いまは音楽家はみーんなザルツブルクに行っていてウィーンには誰も残っていない」というので心配だったのだが、あったあった、「ヴェルナー・トリップコンサート」(曲目、ん、プーランク?)場所はベーゼンドルファーザール、8:00pm。これはサマーセミナーに関連のある催しにちがいないと確信。住所は「Graf-starhenberg-Gasse 14」ドイツ語で、しかも小さい字でかなり解読困難、書いてあった電話番号におそるおそる電話をすると、そこはピアノ屋さんで、小ホール(ザール)のことは、明日の9:00にならないと担当が来ないのでわからんという。英語が何とか通じた。思い切って日本で調べたサマーアカデミーの本部へ電話するとシュミットさんという人が出て、そのコンサートは無料であることがわかる。だんだんパズルが埋まっていく。セミナーの聴講と場所のことも訊いてしまうと、それは明日、7:30pm,会場で教えるという。それでは明日の昼間が意味が無くなる。とりあえず明日9:00にベーゼンドルファーに行くことにする。
 住所はホテルの人に聞いてもわからないので、地図を隅から隅まで探すと、何とかその通り(Gasse)を発見した。これは疲れる作業であった。またビールを飲んで寝る。しかし全ての道に名前が付いているというのは便利だなあ。でも家の前が「渡辺貞夫通り」だったらいいけど「佐藤栄作通り」だったらいやだなあ。


8月20日(水)、作戦開始 ベーゼンドルファー捜索に出る。地図で探した通りはすぐに見つかった。必ずその通り沿いにその建物はあると聞いている。あった!もろにピアノのベーゼンドルファーの会社であった。ショールームに97鍵のフルコンがある。ここは修理や加工もやっているようで木工所みたいなところがある。受付で話のわかりそうな人を教えてもらって部屋に行く。単刀直入に「マエストロ、ヴェルナー・トリップ氏のセミナーを聴講したい」旨を伝えると、どこかへ電話してくれた。すると「マエストロは歓迎すると言っている。場所はアントン・ヴェーベルン通り、今日の開講時間は10:00から12:00まで」という答え。なんと電話はマエストロに直につながったらしい。
 こういう場合、話は早い。事務の女の人なんかに話が行くと、ごちゃごちゃ面倒になるだけだ。ということは無料だ!テンプラの王道であります。10:00に間に合いたいのでタクシーで行っちゃう。地図を見せてココ、ココというとすぐに場所はわかったらしく、5分前に到着、しかし看板も表札も全くないので、大学なんだかアパートなんだかわからない。夏休みで生徒もほとんどいないが、トランペットセクションのオーケストラスタディーの音が聞こえているので、ここだと確信する。教室はたまたま通りかかった人をつかまえて何とか飛び込み、テンプラに見事に成功する。トリップ先生が笑顔で迎えてくれた。握手するとばかでかい手。この大きな手には今後何度か遭遇する。今日の受講生は2人ともポンニチの女性であった。挨拶代わりに例の中野さんの本を見せると、「こいつなら今日もうすぐここへ来るよ」と言ったようなのだが耳を疑った。
 レッスン開始、内容はエチュードとモーツアルトの曲を2人とも選んでいるようだった。70歳をすぎているマエストロはお手本で自ら吹いてみせ、丁寧にアナライズしていく。音は重厚でリズムは重戦車のようであった。感服。そのうち本当に中野さんがトリップ氏の奥さんに伴われて入場。奥さんは私の持ってきた本を見るなり、「マァ、この人あなたの書いた本を持ってるわよ」とドイツ語で中野さんに言う。自分たちのことが書いてある本なので、もう知っているのだ。中野さんには「こんなところでお会いできて光栄です」と挨拶した。どうも話がうまくできすぎているなあと我ながら驚く。
 レッスンが終わって、受講生と中野さんとそのお弟子さんの声楽家の女性とで食事に行くことになった。トリップ氏の楽器の話(ヘルムート・ハンミッヒだと思うが、4本のうちもっとも気に入っていたのを盗まれたそうである)、モーツァルトの解釈、ベームがウィーンフィルと来日した時の話などでおおいに盛り上がる。
 自分がジャズをやっていると言うことを話すと、それなら話が早いと、中野さんは昔ECMで録音エンジニアをしていたこと、ケルン・コンサートとかそのころの録音エンジニアは私です、といわれ平身低頭。キースの「ゴルトベルク」はいやだったのでアイヒャーに断ったという。ジャズやってるなどと何とおそれ多いことを言ってしまったのであろう。冷や汗をかく。ともかく今夜のコンサートで再会することにした。

ベーゼンドルファー社       レッスン中       鹿児島から来た人とトリップ教授

その名もゆかしき「アントン・フォン・ウェーベルン」通りにある音楽大学。看板も何にもない。


そして夜が来た 話が尽きず、昼食に2時間もかけてウィーンの郷土料理の日替わり定食を食べた。結局このときのメシが一番安く、うまかったので、最後の日にまた食うことになる。
 夕方までの間、少しホテルの部屋でフルートをさらう。これは重要なことである。だてにテンプラしているわけではないのだ。レッスンの内容を一通り試して納得する。
 それから早めに宿を出て、ベルヴェデーレ宮殿というところに行く。ここにはブルックナーが貴族に与えられていた家があった。宮殿は「グスタフ・クリムト」と「エゴン・シーレ」の美術館になっているのでこれは見なければ。しかしここが尋常な暑さではない。みんな「はあはあ」と息をしながら見ている。古い宮殿は、暖炉こそ巨大なものがあるが、冷房という発想はない。この湿気は絵にもよくないだろうなあ。シーレの絵、部屋に飾りたいと思うのだが、存在感がありすぎて手に余るだろうなあ。
 そんなことやっているうちにコンサートの時間になったので、またベーゼンドルファー社に行くのだが、行ったら、昨日約束していたシュミットさんに会って、自分で探してセミナーに行ってしまったことと、お礼を言わねばならない。ところがこのシュミットさん、トリップ先生の奥さんに紹介してもらったのだが、なんとこのサマーセミナーの責任者で、しかも自らがウィーン国立音楽院のクラリネット・サキソフォーンのプロフェッサーであるクルト・シュミットさんだった。事務員扱いしていたのでまた冷や汗である。
 問題のトリップ先生のプーランクであるが、ドイツ語のウィーン気質のプーランクであった。冒頭の4つの音はモーツァルトの吹き方と同じなのだ。あまりにも予想通りの解釈だったのでたまげた。東京芸大系の人なら、フレンチスタイルが好きな人でもこの曲はあまりやらない。重戦車のように3楽章までを吹ききった。この音がベーゼンドルファーと見事に溶け合っていた。
 中野さんにベーゼンの録音の難しさ(ピアニストの前方から2本水平で録るのがいいそうだ)、平均率を感じさせない艶やかな響き、弾きたがらない人が多いことなどでまた盛り上がった。日本でベーゼンドルファーを聴く会が秋にあるのでさそっていただくことにした。

ブルックナーハウス        ベルヴェデーレ宮殿        ベーゼンドルファーザール


テンプラへの道 思えば、芸大のパウル・マイゼン氏の院生向けのマスタークラスが初めのテンプラであった。これは自分の先生が大学院に在籍していたので、たまにはサービスという感じで手引きしてくれたのであった。
 テンプラのよいところは、自分の番が回って来ないので、冷静に、客観的に講義が受けられるということである。神戸のコンクールの年であったので、みんなピリピリしていた。課題曲をまだ聴かせられないのか!なんてマイゼン先生に叱られている藤井香織や高木綾子の姿もあった。

 そして去年のシエナのキジアーナ音楽院のサマーセミナーは圧巻であった。イタリアなんていうところはルーズなようだが、ちゃんと開始時刻や聴講生のフィーも決められていて、一日10ユーロとられたので、テンプラというよりは唐揚げ風であったのだが、エマニュエル・パユのレッスンを約一週間聴講した。パユのレッスンがないときには他のレッスンを聴講可能であったので、ピアノクラス(これは猛烈にうるさくて長時間は聴いていられなかった)とか、指揮のレッスンとかも聴けた。なかでも弦楽四重奏コースの仕上げのレッスンでは、マエストロが、生徒の演奏の成功がうれしくて、猛烈に握手を求めてきたりして一緒に感動した。
 毎晩教会で開かれる生徒の演奏会もよかった。指揮部門で優秀な成績を収めた1位から3位の生徒は賞金も出て、オーケストラを(ソフィアのオケだった)指揮する権利を与えられていて、この発表会ももすばらしかった。
 まあパユの音を至近距離で毎日浴びることができたというのは希有な経験であった。しかしテンプラは、やはり行き当たりばったり、しかもセンセイとお友達になるようなゲリラ作戦が王道なのである。来年は東欧のプラハ音楽院とかブダペスト音楽院を標的にしている。そんなに勉強したかったら、なぜ本科生をやらないのかという疑問をお持ちの人がいると思うけど、こういうセミナーは年齢制限があるのだよ。若い人のために税金を使ってセミナーを開くというのは理解できる。でも悲しいなあ。

ちゃんとやるならシエナ    パユとビルギットちゃん       広場で鳩にレッスンをしている筆者


テンプラの道具

★楽譜・・・これはあった方がお互い緊張感があってよい。いわゆるレッスンピースは限られているので、一通りの曲と、エチュード  が何種類かあれば足りる。メモなんぞすると、「こいつは何者」という感じで興味を持ってくれるので、お友達になりやすい。

★楽器・・・これは楽譜と同じ役割をするが、マイゼンのテンプラの時に、「おまえは誰だ?楽器を持ってるなら何か吹いて見ろ」なんてつっこまれたので窮地に陥った。少し注意が必要。しかし、聴講後、速やかに自分で練習して、レッスンの意味を解析しておくとテンプラ冥利につきるというもの。 

★録音機・・・マイゼンの時には全員仕上がっていて、通して吹いたので、DATですごい作品集ができた。パユの時は隠し撮りしたのだが、きまりが悪い。でもテンプラの身で、許可を求めるのもいかがなものかと思う。今回は録音はしないことにした。細かいことよりスピリットを優先した。    

★サイン帳・・・講師はもちろん、うまい生徒にはサインしてもらう。シエナではオーケストラスタディーで、パユの要求に唯一こたえられていた女の子がいて、あとで「近々デビューして日本に来るような気がする」なんて話をしていたら、ちゃんと今年のグスタフマーラーユーゲントオーケストラでブーレーズと共に来日した。そのビルギットちゃんは、あの後の秋のオーディションで約1000倍ともいわれる壁を乗り越えて受かっていたのである。世界中にお友達が増える。


8月21日、ハイリゲンシュタットに行くこと ハイリゲンシュタットはホテルから地下鉄で5個目の終点駅で、「ウィーンの森」の入口である。レッスンの合間に行って来た。
 ここはベートーベンが田園を作曲していた当時、逗留していて、有名な散歩道がある。それからマーラーの墓もある。何よりもここは「ホイリゲ」の町なのだ。ホイリゲとはワインの新酒のことで、ミネラルウォーターより安いのだ。ぶどうジュースみたいだが、アルコール度は高い。
 これを昼にいただき、ベートーベンの歩いた道で霊感を得ようという作戦である。名物の「焼きソーセージ、ポテト、ザウアークラウト添え」と実によく合うのでいくらでも飲める。しかし、ベートーベンの散歩道は意外と山の上の方にあり、酔っぱらっての炎天下の坂道でめげた。仕方がないのでまた下におりて、マーラーの墓参りをすることにする。こういうのを臨機応変というのだ。

これがホイリゲ         ビッグな焼きソーセージ      マーラーの墓


8月22日、ザルツブルクへ飛ぶ 航空券はザルツブルク込みの値段で、事実上国内線はタダなのでお得である。とかく小さい飛行機なので怖いのだが、1時間足らずなのであまり苦にならない。
 しかし2年前、パリのシャルルドゴール空港へ着いて、ベルトのサインが消えるまえに「ただいまコンコルドの離陸がごらんになれます」というアナウンスで窓を見たら、すごい炎を出してこちらへむかって直角にコンコルドが離陸してきた。「コンコルドってロケットエンジンだったっけ?」と不思議に思っていたら、反対側で炎上していた。エールフランスのアテンダントたちが真っ青になっていた。さらに自分の荷物はなぜかロンドンへ行ってしまったというアクシデントがあり、着替えがなくて困った。
 横道にそれた。ザルツブルクは山に囲まれていて標高もあるので多少は涼しいのでは、という期待はみごとに裏切られた。曇りがちのウィーンの方がまだましで、ずーっとピーカンだった。ニースより暑い。
 シーズン中は、街の中心部のホテルはバカ高いので、バスに乗らなくては行けない、少し不便な場所のホテルを選んだ。といっても2停留所間であるが。
 バス停の名前は横切る通りの名前そのままなのでわかりやすい。ところがバス停の位置が必ずしもその交差点にはない。早速迷ってしまう。やっとフォーゲルヴァイダーシュトラッセという通りを見つけて宿を探していたら、道の反対側をチェロの「堤剛」先生が歩いていくではないか。太っていて、暑そうで、チェロケースを持った日本人なので間違いようがない。「堤さんですかー」と叫ぶと、わざわざこちらまで横断してきてくれた。別に知り合いでも何でもないので恐縮してしまったが、お会いできて光栄ですとさっそく積極的にお話をしてしまう。これからレッスンだという。場所はモーツァルテウムだと聞いていますが?というと「あそこは狭いので、ここから歩いて10分ほどの分校でやっています」とのこと。堤剛チェロレッスン、テンプラゲットである。日程では明日がセミナー最終日のはずなので、さっそくテンプラすることにした。幸運を呼ぶのも実力なのだ。一応モーツァルテウムにいくと、レッスンの聴講は自由でタダ。学生の発表会は5ユーロだそうだ。あいにくグラーフ氏のフルート講座は終了していたが、何でもいいのだ。むしろ他の楽器の方が音楽的な収穫は大きい。
 ホテルの窓から山が見える。いかにも頂上でジュリー・アンドリュースが歌っていそうなロケーションである。


最も人気のある音楽家は、 ウィーン、ザルツブルクを問わず、オーストリアで最も人気の高い音楽家は誰か?実感したのだが、それはモーツァルトでもマーラーでもウィーンフィルでも小澤でもない。疑いもなくヘルベルト・フォン・カラヤンである。ウィーンにはカラヤンセンターというCDからDVD、ポスターまでそろっているカラヤンショップがあり、人が絶えない。ザルツブルクのカラヤンの家も人気だ。音楽祭会場の祝祭大劇場にはカラヤンの頭像があるし、サントリーがパクったカラヤン広場もある。向かいのザルツブルク大学にはカラヤン フォーエバーというどでかいポスターがはってある。
 少年時代からずっとひいきしていたベームは跡形もない。ここでは「ベームは息を引き取った翌日死んだ」という言葉がある。すっかり忘れ去られている。カラヤン、生きているうちに何回か聞く機会があったのだが、今思うと残念である。ドイツ的、ウィーン的なものを嫌っていたのでしょうがないのだが・・・。
 大聖堂前のレジデンツ広場ではジーメンス社の巨大スクリーンとすごいPAが用意されていて、毎晩音楽祭のアーカイブを放映する(もちろん無料)。音だけの時もあるが、遅くまでみんな聞いている。今日は去年のゲルギエフの『春祭』。

ウィーンフィル事務所前のカラヤン☆ 祝祭劇場のカラヤン頭像    巨大スクリーンとPA


ブーレーズ、マーラーへの旅立ち、『海』と『海』からの脱出 自分のクラシック音楽への目覚めは、小学生の時のショパンやビゼーなどのロマン派から始まる。そして中学生でジャズに興奮しだすのと時を同じくして、それまで全く理解不能だったドビュッシー(とくに『月の光』に狂った)を発見した。そしてそれは『La Mer・海』で最高潮に達した。ちなみに当時のLPの演奏はミュンシューボストン響であった。それからラヴェル、ストラヴィンスキー、近現代のフランス作曲家(フルートの作品を中心とする)〜武満徹〜オリヴィエ・メシアン〜ジョン・ケージへとまっしぐらに進化してきた。
 特にストラヴィンスキーではピエール・ブーレーズという人の演奏解釈には心惹かれていた。そのブーレーズの『海』の新録音(クリーブランド管)が何年か前に発売され、それを聞いたとき、今後、これ以上の『海』はないと思った。同時に海を卒業するときが来たのを感じた。そしてそのCDにはおまけCDが付いていたのだが、それが『ブーレーズ、ドビュッシー・ウェーベルン・マーラーを語る』という演奏を交えての解説であった。彼はドビュッシーから、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンを見いだし、それを逆にたどることによってマーラーを発見したというのである。
 いままでマーラーの7番は少し聞いていた、それから5番の「アダージェット」はベジャール〜ジョルグ・ドンのバレエと『ヴェニスに死す』で知っている程度であった。そのおまけCDには6番のクライマックスが部分収録されていた。いままで禍々しく誇大妄想的な音楽として忌避してきた筆頭であったのだが、妙に興味をそそられた。ブーレーズの言葉があったからだと思う。ベルク、ウェーベルンはちょっと硬質だが、フランス近代の延長としてある程度は楽しめてはいた。そこへ持ってきて今年4月にグスタフマーラーユーゲントオーケストラがブーレーズの指揮で来日という情報が飛び込んできた。
 年齢制限26歳、毎年秋に募集入団試験、倍率約1000倍、ウィーンを中心とする東欧諸国からの生え抜きの若者で構成され、超一流の指導者が養成にあたり、将来、BPOやWPOへの最短の登竜門となっている楽団である。
 それから、昨年のシエナにおけるパユのマスタークラスで、オーケストラスタディーに秀でたウィーン出身の女性の生徒がいて、知己となっていたのであるが、自分は彼女が今年のそのGMJOに参加していることを妙に確信していたのである。
 プログラムはベルク・ウェーベルン・マーラー#6である。さっそくマーラー#6をインバル版で予習して聴きに行ったのであるが、果たしてそのフルートの女性ビルギットちゃんは1番を吹いていた。演奏は異常なテンションとエネルギーを発散するすごいものであった。こうして自分のウィーン楽派・新ウィーン楽派への傾倒は決定的となったのである。そのNHKによって撮影されたVTRに自分の顔がブーレーズの右手のあたりに常時写っているのにも因縁を感じてしまった。そして今回の棚ぼた的ザルツブルク音楽祭のブーレーズのマーラー#4のチケット入手である。このような複雑な因縁が絡み合って、今自分は、ブーレーズ、マーラー教というような宗教があったなら迷わず入信という状態になっているのである。長くてごめん。


ザルツブルク・ウィーンの歩き方 

・飲料水が海外ではとても重要であり、生活はともかく、観光で歩き回るには水の補給が欠かせない。特に今年の暑さである。ペットボトル入りのミネラルウォーターを買い、持ち歩くことになる。しかし途中で気がついたのだが、オーストリアの水道水はアルプスの湧水なのである。しばらく出しっぱなしにすると非常に美味な冷たいガブのみ可能な水が得られる。これをボトルに詰めて持ち歩けばよいことに気がついたのは旅の終わりの頃であった。日本も少し前には水道でおいしい水を飲むことができたのであったなあ。

・治安は他のヨーロッパ諸国では最もよい方である。タクシーはどこで拾っても大丈夫。スリのたぐいも少ないようである。しかし、最近隣国の元共産圏のチェコやスロバキアなどからニセ警察官の制服を着た泥棒による被害が増えていると教えてもらった。夏はイタリア人の観光客が多く(オ−ストリア人はイタリアに行っているらしい)、警官らしい人にドイツ語で話しかけられると、パスポートでも何でも見せてしまう、その間に相棒が財布の中身をいただくという技らしい。もちろん我がポンニチ諸君も多く被害に遭っている。対策としては、ドイツ語や英語で応対しないで「私日本語しか話さない。言ってることわからない」とかたくなにコミュニケーションを避けると、相手はあきらめるようである。本物だったら困るけど。 

・言葉 ここのところ、夏に行きそうな国の言葉を4月からNHKのテレビ講座で勉強するというパターンであったが、今年のドイツ語講座は全く役に立たない。何しろ火星人がドイツにやってきてめがねを食べたりするスキットばかりで、当座の旅行に便利なことを何もやらない。結局、高校と大学で2年間やったドイツ語の実力のみで行くことになった。もちろん挨拶と1から10までの数字くらいしか言えないのだが、ドイツ語を読んで発音することはできた。ウムラウトと連続した母音の発音さえわかっていればあとはローマ字である。
 しかし、一番コミュニケーションがとれるのは英語である。お互いに半端な英語での会話が最も成立しやすいのは、英語圏意外の国に共通している。あと、最近のオーストリアでは英語が分かるのはちょっとインテリっぽいらしく喜ばれる、しかもドイツイングリッシュとジャパングリッシュは発音が似ているので楽しい会話ができます。

・フリーパス 日本でも、やっと外国人のみに通用する交通機関および博物館、美術館のフリーパス販売が実現しそうである。
 ここオーストリアでは交通機関ははっきり言ってただ乗り可能である。住民は定期だし、観光客はフリーパスカードを持っていることになっているし、改札はないし、実際検札に来ることはない。徹底的に無人駅なのだ。でも滅多にない検札に会うと罰金50ユーロだそうである。まあこのシステムに敬意を表して律儀にチケットは買った。中でもザルツブルクカードは、モーツァルトの生家から博物館、ケーブルカーまでコミコミなので買いである。24時間18ユーロ。

・おみやげ はっきり言ってない。名物の酒も、農産物もない。モーツァルトチョコレートくらい。生のケーキでは持たないし。でもウィーンの「Doplinger」というCD・楽譜の店には、ウィーンものに関しては強力な品揃えである。あんなにウェーベルンのCDが豊富に並んでいるのは日本でも見たことはない。それから骨董楽譜コーナーはものすごい古い楽譜が図書館のように並べてあるのだが、ここで楽譜を物色してショッピングするのは一日かかる。とんでもないものが発掘されそうだったが、後ろ髪をひかれるように店を出た。

地下鉄は深夜まで3分おきにきっかり来る。どこでも行けちゃう。


サウンドオブミュージックとモーツアルト が音楽祭以外でのザルツブルクの見物であるが、所詮ブロードウェイミュージカルとハリウッドの国策的産物なので、ロケ地がめちゃくちゃ。修道院もトラップ大佐の家も、結婚式をあげた教会もえらく離れている。ツアーもあるがこれではあまり行く意味がない。
 でも郊外はイングランドの湖水地方に似て美しいので、ちょっと出かけた。大小の湖は、ものすごい透明度で、暑かったせいもあり水泳している人が多かった。一年分の太陽を一気に浴びようと、女性はみんなビキニである。しかも水着は黒い色が多く、真っ白い肌で、ブロンドで、わははは。
 あとは町中がモーツアルトである。公園の像から、橋の名前、チョコレートも何もかもモーツアルトでした。モーツアルトの生家や住居を見学した。子供の頃は結構裕福そうな家に住んでいたようだ。

美しい湖水            マリアが結婚した教会(映画で) モーツァルトの生家


8月24日、ついにウィーンフィル公演の日が来た まるで天の声のようにブーレーズとウィーンフィルが呼ぶ声を、私はずいぶん前から聞いていた。
 『イン・リハーサル』というNHK・BSの番組を見れば、ブーレーズが楽友協会で『オーケストラのための3つの小品:ベルク』をウィーンフィルと稽古をしながら解説をしている。ファーストトランペットの若くてハンサムな青年が、音程が悪いとか、音が汚いとか、リズムが間違っているとか、さんざんな目にあってキレているシーンや、フルーリーを含むフルートセクションが3回もやり直しをさせられていて、実におもしろい番組だった。
 春からずっとブーレーズとウィーンフィルのことが頭から離れなかったのである。そこに降って湧いたようにザルツブルクのチケットが手に入ったものだから、迷わずオーストリアに飛んできてしまった。発作的な旅のようだが、これは歴史的必然なのである。さういふ事が私には5年に一度くらい起こるのだ。更に追い討ちをかけるようにNHK・FMで、この演奏が生中継されるということも成田を発つ数日前にわかった。エアチェックは家人に頼んだ。現地午前11時からの演奏が、生中継で日本では午後6時というのが母親には実に不思議に思えたようであった。午前11時のマチネーというのも変だと思うけど、コンサートの後、たっぷりブランチ?で飲むのだろう。

 この日はスーツとネクタイを着用した。どうもジーンズではまずいという情報があったのだ。
 開演30分前、本当に祝祭大劇場前には紳士・淑女がわらわらといるのであった。あとで近くにいたポンニチの人に撮ってもらった自分の写真をみると、いかにもアジアの年齢不詳とっちゃんぼうやという感じで全く様になっていない。
 日本の習慣ですぐ会場に入るのだが、だーれも座席に座っていない。こりゃいかんと思って、ロビーに戻って、あたりを探索した。
 この世界一のホールは、外見がシンプルなだけでなく、中もとてもわかりやすく、楽屋口とかが観客にすぐ行けるような場所にある。チェックして団員を片っ端から捕まえ、あわよくばサインに写真というミーハーな作戦が即座に立てられた。ブーレーズもここを通るのだろうか。

きまらない。なさけない私。   開演前のステージ       5分前だが、だーれもいない客席

 開演の1ベルが鳴ってから客はようやく席に座る。それまではシャンパンを飲みながら社交を楽しんでいるようだ。気合いを入れてコーフンしているのは自分だけのようである。隣に座った女性は渋いグレーのドレスで、いかにも貴族の末裔のような大きな体の八等身のマリア・テレジア風の美人で、どうも居心地が悪い。俺ってこんなに西洋コンプレックスがあったのか。

 2ベルが鳴る、ベルは本当にジリジリというベルで、日本のようにおかしな電子音はならさない。音楽施設は斯くあるべきだと思う。団員が入場する。1番フルートはフルーリーであった。ウェーベルンだから予想どおり。

 まずはチューニングであるが、ウィーンフィルはチューニングをしない!人たちなのである。フツーはオーボエがAを出すでしょ。この人たちはいきなりコンマスがAを出すのだが(ご存じ445Hz)だーれもAなんか合わせない。勝手気ままに好きな音を出している。これで合うのだからやっぱりスペシャルなオケなのだ。ボストンではキーボードでチューニングしていた小澤君はどーするんだろう。
 1曲目はウェーベルン:『パッサカリア Op.1』この曲は彼の2番目のフルオーケストラの為の作品で、作品番号はなぜか1なのは、彼はその前作の『夏の風』は習作扱いしているらしい。ドイツ語の解説によるとまだトーナリティーが明確で、d-mollなのだそうだ。「そんじゃードリアン一発じゃん」とドンバの輩は短絡するのだが、あたらずも遠からず、美しく聴きやすい曲であった。
 ハープのイントロに導かれてフルーリーの月光に照らされた白刃のようなソロがホールに響き渡る。ゾクっと身震いしてしまった。このとき舞台裏でガッシャーンと何かが倒れる音がしたのだが、それも効果音のように聞こえるほどのスリリングな出だし。でもあとでエアチェックを聴くとやっぱりじゃまな音だった。この曲はよかった。1曲目から大喝采である。しかし君たちにとってウェーベルンはそんなに身近な音楽なのかい?日本で武満がこんなに喝采をうけるだろうか。
 2曲目、3曲目は後期のウェーベルンらしい非常に短い『5つの小品』と『6つの小品』でこれは自分には結構なじみの曲であるが、数人が、曲数が数えられなくて、まだ終わってないのに拍手しちゃって、ブーレーズが「まだまだ」というように後ろ手で客席に合図をするというシーンがあった。馬脚を現したなヨーロッパ人め。でも帰国してエアチェックを聴くと、この拍手は消されていた。生中継なのにどうやって消したのだろう???。
 ここで休憩。会場は見事に空っぽになる。座って余韻を楽しもうと思ったのだが、ほんとにだーれもいなくなってしまうのである。自分も外に出てみると、そこいら中でシャンパンである。チケットの半券も何もなく、日光浴するように気ままに遠くまで行ってしまう。自分が座るまで演奏は再開しないと確信しているごとく悠然としている。自分も一杯くらいと思うのだが、何せ酒に弱いので、眠くなったら困ると思いやめる。自分はどうも西洋の社交界では、やって行けそうもない。ワルツも踊れないし。ノーベル賞をもらっても「羽織袴」だな、などといらぬ心配をする。

外を闊歩する紳士、淑女

 そして第二部、悠然と観客は戻り、絶妙なタイミングで団員も入場する。いよいよマーラーの4番だ。
 フルートは、と見ると、シュルツではないか。やっぱりザルツとなると2人とも乗っちゃうのか。と感心していると、4番にフルーリーがいる。どーいうシステムになっておるのじゃ。ピッコロも吹いちゃうの?吹いちゃうのであった。
 幸福の絶頂を曲にした4番だが、すごいすごい。CDではウィーンフィル:マゼールのを聴いていたのだが、どこかに吹っ飛んでしまった。あの無機質なブーレーズの指揮でどうしてこれほどまでにウィーンフィルは歌ってしまうのだろう。これは言葉にはできない感動であった。4楽章のソプラノはミーア・ペションという人だったが(予告ではジュリアン・バンスだった)、いつも聴いているカスリーン・バトルより軽い声で、この曲にはマッチしていたと思う。ブラヴォー鳴りやまず。この演奏のすごさは、帰ってからのFMエアチェックでも十分再現されていた。

 終演後、偵察していた楽屋出口には客が殺到かと思いきや、自分だけであった。みんなさっさと帰ってしまう。フルーリーとシュルツをゲットした。シュルツの腹は思った以上に出ていた。フルーリーもスリムなのだが、巨人のようだった。握手をしてもらったのだが、2人ともすごい手の大きさだった。あとトランペットの青年もゲット。さすがに「あなたブーレーズ嫌いでしょ」とは訊けなかった。
 ブーレーズはついに出てこなかった。きっと地下駐車場からVIP扱いで帰っちゃったんだろうと思ったのだが、あとで日本でエアチェックしたFMで聞く所によると、ブーレーズの楽屋前はサインを求めるファンが列をなしていたというではないか。ここでもセコい考えのポンニチは落ち込んでしまった。堂々と楽屋に行けばよかったのである。いいのだ今度日本に来たら逃がさないもんね。

というわけでウィーンフィル初体験をザルツブルク音楽祭でやってしまうという偉業は達成された。秋にサバリッシュと来るのなんかぜったい聴きに行かないのだ。(高いし)
テンプラの話がウィーンフィルで終わってしまったが、これは次なるテンプラの序奏に過ぎない。シュルツかフルーリーにコネができたということで、種入りのある事をしてやる。

この後ウィーンに戻り、一泊してから暑い暑いヨーロッパを後にしたのであるが。日本は正常な夏に戻っていてさらにクレイジーな暑さであった。社会復帰に困難を極めたのは言うまでもない。でも当分この余韻で生きていけるだろう。        

気さくなフルーリー氏

長々とありがとうございました。おまけのアルバムをよかったらご覧ください。