わん公の開いた本 2003
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2003/12/28
■「戦争ではよくあること」イシュメール・リード
            (「昴」2004/新年号/河出書房)

二十時間 残骸をほりおこして 
腐った肉の欠片を わたしらはやっと見つけた
子供だとわかったのは 肋骨の大きさからで
わたしの息子だとわかったのは 
赤いナイキのスニーカーを履いていたからだった
あんたらは言った 探しているのは自爆の実行犯だ
この子は三歳だったんだぞ
あんたらは言った 戦争なんだ
戦争ではよくあること

「あの生き物たちはどうなった
おれたちを気まぐれに撃ち殺しては
われわれの背中の毛皮を女房どもに着せてたやつらは
おれたちの子供を怯えさせて われわれの家をどんどん切っていたやつらは」
「あいつらは戦争をしてたんだ」と狼はいった
「そういうことは 戦争ではよくあること」

リードはアフリカ系であることを意識の中心に置いている、
アフリカ系アメリカ人の詩人。劇作家、ポストモダン作家。
上記の詩は青山のジャズクラブで自作の日本語にて朗読された一部。
著書「Mambo Jumbo」はニューオーリンズで発生した感染すると熱狂的に踊り出して
しまうという精神の伝染病“jes grew”=“just grow”が蔓延していくのを推進させ
ようとする人々と、それを食い止めようとする人々の攻防を描いた話。
人類の歴史の中での多神教(jes grewを広めようとするもの)と一神教(食い止めようと
するもの)の争いに置き換えられ、キリスト教徒中心とした規律や合理主義に基づいた世界
の歴史は、歌や踊りを積極的に受け入れる多神教への迫害として諷刺化している。
アラン・トゥーサン、タジ・マハルなどが参加したCDも出している。
関連記事
http://subaru.shueisha.co.jp/html/lost/l17_4_txt.html


2003/12/26
■『物語の構造』 F.シュタンツェル著 (岩波書店)
カメラアイに初めて人間学ならび心理学的な意味機能を付与したのはヌーヴォーロマ
ンのイデオロギーであった。深みを持たぬ形姿としての人間を表現する技法として、
カメラアイは内心の無言を言葉で明示するのに、ことのほか適しているのである。
----- 物音が過去のうちに遠ざかるにつれて、その真実性も減少していく。いまでは
全く何事も起こらなかったみたいだ。ブラインドの隙間から、すこし時が経てば、何
かを見分けれる事は事実不可能だ。もはや、ひとかたまりの細い桟を操る縦の細い棒
を操作して、ブラインドを閉める他はない。(ロブ=グリエ「嫉妬」)
ロブ=グリエにおいてはカメラアイ技法は、現実の知覚と描写を物化し非人格化する
ことに役立てられる。サミエル・ベケットにおいては、カメラが撮影を行なっている
場所に居ると目されるはずの意識の担い手の人格を、生存のわずか二、三の機能に引
き下げるために行使される。そうした機能のうちのひとつは、ある出来事の経過にお
いて、その連続性と因果関係を知覚する能力であるように思われる。
(本書第VI章図式と機能-3「私」の語る物語状況から作中人物に反映する物語状況へより抜粋)


2003/12/25
■『来るべきロートレアモン』 ル・クレジオ(朝日出版社)
この原始的な作品は唯一無比のものである。文学の中にこれと比べ得るものは何一つ
ない。もろもろの類似を求める為には、非常に遠いところ、他処の世界に探しに行か
ねばならない。例えば口承文藝のカオスとか、イメージがまだ書き言葉によって定着
されていない歌の野獣めいた波動とかの中に。悪魔払い、呪詛、罵詈、祈りのなかに。
「神よ、願わくば読者がはげまされ、しばしこの読みものとおなじように獰猛果敢に
なって、毒にみちみちた陰惨な頁の荒涼たる沼地をのっきり、路に迷わず、険しい未
開の路を見いださんことを。読むにさいして、厳密な論理と、少なくとも疑心に応じ
る精神の緊張とを持たなければ、水が砂糖を浸すように、この書物の致命的放射能が
魂に滲みこんでしまうからだ」
ロートレアモン伯爵イジドール・デュカスすなわち解放された詩の予言者、文学がい
まだに人間その総体において表現することを試み得ることを示した者。既成の秩序
「牢獄言語」に対する叫びの象徴。それが自らの太陽であると同時に惑星系であり、
始めも終わりもなく、テーマも例証もなく、壮大かつ恐るべき自律的であり、恒久的
な精髄の、不可解かつ力強い宣言であるからだ。
世界の地図として考えられた記述からはるか遠く、認識の器官の本からはるか遠くに。
「人は驚くべきことを言おうと努めたりしないときには、しっかりとしたことを言う
ものだ。真実なるものの何一つとしてまちがっていない、まちがっているものの何一
つとして真実ではない。すべては夢(ソンジユ)の、嘘(マンソンジユ)の反対物である」


2003/12/23
■『パウンド詩集』城戸朱理:訳編 (思潮社海外詩文庫)
時は 加速度的に深刻化するイメージを要求している
今という舞台にそぐうような事物の現象を
手間のかからぬ型どおりのオブジェやら散文的な映画であり
アラバスターや韻律深い彫刻ではない
天体の音楽を奏でた多弦琴が、ピアノ鍵盤の譜面にとりかわり
さらに筆がキーボードやマウスへ持ちかえられた
ディオニソスの後にエホバの代理がつづき
やがて豊饒の恵みは痩身処方に道をゆずるように
多言語のキャリバンは、小妖精エリエールを追い出す(註)
万物は流転すると、賢者ヘラクレートスはいうが
額面だけの安物は、われらの時代の後も更に生きつづけるだろう
割礼のかわりに選挙権があり、法律の前に人は平等となる
城主や暴君たちからは自由になって、悪党や宦官を選んで投票するのだ
おお美の神よ、英雄たちの冠を何処におけばいいのか
( 加速度的解釈:仔犬の改竄訳詩)

「詩とは霊感をうけた一種の算術だ。抽象的な数や三角や球などの方程式ではなく、
人間感情の方程式を与えるものである。詩は意味を充電した言語である。言葉と言葉
との間の知性の舞踏である」( エズラ・パウンド)
(註)シエークスピアの「テンペスト」 関連文献
http://www.cafecreole.net/archipelago/Americas/index.html
http://www.gpwu.ac.jp/door/todokoro/works/tp.html
http://www.inscript.co.jp/tempest/yanagihara.htm


2003/12/7
■「生者へ(自伝)」丸山健二(新潮社)
その文体を駆使した作品を発表してもおかしくない段階まで持ってゆくには
かなりの努力と歳月を要する。
ひとつひとつの言葉が持つ効果と、それを組み合わせたときの効果をしっかり把握し、
完全に見に付けることは人間の平均的な寿命と一般的な頭脳ではとても足りないであろう。
新しい文体の開発の前にしておかなければならないことがあった。
当面の目標としては散文を限界に近いところまで高めることだった。
極端に抑制を効かせた乾いた文体のみにたよっていたのでは、
結局その文体にふさわしい世界しかかけない。
私が描きたいと思っている世界に必要なのは、もっと柔軟でありながら強靱でもある、
もっと重厚でありながら軽快でもある、散文も韻文も超越した、
喚起力に満ち満ちた文体でなければならなかった。
それこそが圧倒的な文学の構築に必要不可欠な最強の武器にほかならなかった。(本書より抜粋)

脆弱な文体の破棄という発想は、美を求めるられるジャンルにあてはまる。
科学、哲学、宗教、教育、政治、犯罪、映画、演劇、音楽、武道、料理など、極める
といういう行為にはそれぞれに。


2003/11/28
■『オーレリア』 ネルヴァル(思潮社)
地上の出来事は超克世界のそれと一致するに違いない。
私であるとともに、私の外にもいる精霊はとは何か?
伝説の「分身」なのだろうか。
あるいはオリエントの人々がフェルエール(祖霊原型)と呼ぶ神秘的な兄弟なのか。(中略)
人の身体もまた、見ればわかるとおり、どの構成体もふたつのペアとなる部分から成り
立っている。どんな人間のなかにも観客と俳優がいる。話すものと答えるものがいるのだ。
オリエントの人々はそこに、二人の敵、善霊と悪霊を見た。
物質的な親和力によって同じ肉体に結び付けられているとはいえ、
一方は栄光と幸福に拘束され、他方は無か永遠に等しい苦しみに約束されてはいないか。
魂のふたつの部分が別れてしまい、一方は情愛深く信頼に溢れているのに、
他方は私に対して死んだも同然になっていた。(中略)
物体の磁性に他ならない電磁力も、法則に従って制御されるものなら、ましてや、
悪の暴君たる精霊たちが知性を屈服させて、それらの力を分断して、
支配のために利用することも大いにありうるだろう。
古代の神々が敗れて、新たな神々に屈服したのも同じ事だ。(中略)
死ですら人間を解放することはない、祖父祖母の中に生きていたように、
われわれは子孫の中にも蘇って行くからだ。
われらの敵の冷酷な知恵は、どこへ行ってもわれわれを見つけだす。
誕生の時刻、産み落とされる地点、最初の仕草、名前、部屋、定められている儀式。
それら全てが未来があげて関わっている連鎖を構成する。(中略)
宇宙の中では何ものも無関係ではなく、何ものも無力ではない。
原子ひとつで全てを解体することもできるし、原子ひとつで全てを救うこともできる。
(本文より抜粋)


2003/11/24
■『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 マラルメ (思潮社)
Elbehnon =ヘブル語で神 El のもつ創造的な力を表すエロヒム Elohim の息子を意味する。
マラルメの詩学成立にとってのコントの役割をもった本書は、言語の反映を極限まで
押し進めたテクストである。
開く意志なき者には、純潔にそそり立つ城の扉は開かれる事はない。
あらゆる妥協を排した詩人マラルメは、理解しやすいことすらその産物の一つとして退けて、
詩の聖域に行き着いた。詩句の音楽性を求め、「すべてに存在する諸関係の統合」
というハーモニーにこだわった。
言葉のなかに純粋なイディアの放射を求め、純粋詩をめざした。


2003/11/18

■『イエ−ツ詩集 海外詩文庫』 ウィリアム・バトラ−・イェ−ツ (思潮社)
旧き螺旋階段に呼びかける。
全精神を集中せよ、嶮しい上昇へ、壊れ崩れかけた胸壁へ、
息を呑む星空へ、眼には見えない極のしるしのあの星へと。
彷徨う想いをすべて、あらゆる憶いの尽きる境域に固定せよ。
誰が闇と魂とを区別できよう。

その境域の大全は、心の盥(たらい)に溺れ落ち、聾、唖、盲となる。
知性はもはや、存在と当為の知るものと知られるものとの区別を知らず、
一言で尽くせば、天に昇る。
死者のみが許される。
しかし、それを想えば、舌は石となる。
(「自我と魂との対話」より)


2003/11/16
■ミュージカルファンタジー『1日240時間』
---物体としての人類に関する感傷的方程式---「安部公房全集」023 (新潮社) 収録
映画「1日240時間」は正面に3っ天井に1っ計4面のスクリーンの映像システムで構成。
監督の勅使河原宏による特殊技術や色彩技術を駆使して、Expo70自動車館パビリオン
において「リズムをテーマ」に公開。
安部公房によるシナリオは、すでに4面モンタージュの形式がとられていた。
自然現象にリズムがあるように、生命にもリズムがある。
人間社会も、複雑で精妙なリズムの組合わせで構成されている。
激しいスピードで変貌をとげる社会構造、拡大される時間と縮少される空間。
神経反応加速剤がまき起す、喜劇悲劇を国籍や年令をこえたファンタジーとして
描かれた。
1970年の夏、(安部公房の戯曲全集は読んで)万国博会場へ一番目に入った。
シュールリアリスティクなビジョン、一切台詞もなくて、明確なストリィ−に加速して
ゆく、マルチ画面にマジカルな世界へと包まれた記憶がある。
安部公房の映画のなかで、最もSFチックな作品だが、その後に公開されてはいないのが
残念である。このようなインターラクティブなビジョンは、DVDメディアとして再現
できないものであろうか。

映画「1日240時間」スチール再現のページ  
http://expo70-web.hp.infoseek.co.jp/jidoushakan4.html
当時の会場画面を私が撮影した写真の数々は、超現実的画像の雰囲気である。
こちらの所有する写真とは随分違う映像だ。
勅使河原宏さんの公式ページ( http://teshigaharahiroshi.com/)にも、
この映画については他の作品のような記録画像がない。
モノクロであるが綺麗に撮影された写真を寄贈するべきか。


2003/11/14
■『幻想文学論序説』 ツヴェタン・トドロフ(東京創元社)
幻想とは、なんらかの怪奇な出来事の本性について、読者が抱く「ためらい」に由来する。
このためらいは当の出来事を現実界に属するものと認めるか、想像力の結実ないし
幻覚の所産とみなすか、いずれかに決することができれば解消する。
現実か非現実かについて「ためらい」を持つ、そういった意識の運動そのものが幻想であり、
それを扱うテキストを幻想文学としている。
「ためらい」が問題の解決によって何らかの形で終わった時、
ファンタジーも同時に終わるという。


2003/11/5
■『ぼくらの鉱石ラジオ』小林健二 (筑摩書房)
鉱石ラジオは、回路に鉱物の結晶を用いた受信機だ。
原理的には電池などの電源を必要としないという不思議な特徴があり、空間に満ちて
いる電波エネルギーを感じとって作動する。かつては、大気や真空中、重力による高
密度な世界にまで、非物質的で超高透明なエーテルがあまねく広がっていて、光や電
波はそれを振るわせながら伝わっていくと考えられてた。その理論にもとづいて初期
の無線電信電話は発達したといわれる。 そして今秋のオーロラ異常発生による電磁
波の報道を知って、鉱物界への影響と波動が気になる。
著者は美術家として、鉱石オブジェの数々、音の聞こえる鉱物作品の実現している。
その世界はアトランティスの科学を観るような形状が描かれ未来への郷愁もさそう。
宇宙空間にも生体内部の世界にも磁気の脈動が満ちて、われわれ生物にとっての磁場
環境は、外的なる環境でもあるし内的なる環境でもあり、生命(いのち)そのものと密
接な関わりあるかもしれない鉱石の形と機能を表すかのようだ。

銀河通信社/小林健二通信局長の頁 http://www.aoiginga.com/
K e n j i K o b a y a s h i 公式ページ http://www.kenji-kobayashi.com/


2003/11/3
■「死刑確定直前獄中日記」永山則夫 (河出書房新社)
十八歳の少年はピストルに弾丸を込め、公園で引き金を引いた。
その瞬間から、受動的だった孤独は能動性を帯び、体に取りついていた死は、銃器の
メカニカルな仕掛けを通じて、生きる力の極端な集約点へと変換された。
自ら犯した罪は認めつつも、獄中での創作活動を通じて自己の犯罪を検証しようと試
みた死刑囚は、日本の犯罪史上、例がない。

広域重要108号事件 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/nagayama.htm
ある遺言の行方発刊 http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/67/nagayama.html


2003/10/26
■「知覚と運動のシナジー」(NTT出版『InterCommunication』No.45)
感覚のインタラクション/物質と生命の関係/知覚ロボットの現在/
運動の協応構造/武道と文学と哲学は生死のあわいで響きあう/
甲野善紀さんの追求している古武道の体感と考察は、
先端科学には欠かせないファジィ−メカニズムの要素に対するヒントがあるようだ。
二足歩行形の知覚をどこまでも、ファジィ−でヒトに近く工業化するというならば、
ロボティスクは自動車テクノロジィの未来型と寸分かわらない地点で合流すると思う。
今年開催のTOKOYモーターショーを見に行って、そのように感じられる方もいるだろう。


2003/10/18
■ 「ヘリオガバルス 〜または載冠せるアナ−キスト」
アントナン・アルトー/ 多田智満子 訳 (白水社)

彼のしぐさの一つ一つが両刃の剣といわれた。バール信仰をひととき復活させた、
ローマの美少年たる皇帝ヘリオガバルスは神官の家系にあった。
『ヘリオガバルスはスピノザであり、スピノザは蘇ったヘリオガバルス』『アナーキー
と統一性は同じこと』『一からなる統一性ではなく、多についてのみ言える奇妙な統一性』
ヘリオガバルスは薔薇で『にほひ』をつけた酒をのみ、薔薇水の風呂に入り、凡ての
食物に薔薇の『にほひ』をつけ、あまりに薔薇を楽しんだ揚句の果に病気になつた。
しかし病中その薬にも薔薇の香りをつけなければ承知しなかった。乱行と放蕩の末に
18才で殺された少年の皇帝は琥珀入りの空豆を好んで食べていたという。ピタゴラスが
禁じてもいた あの空豆を。


2003/10/10
■「真夜中のすべての光――サルバトーレ・ヌフロ・オレホン『エロrの物理学』と
リヴィア・バッシル『物理学の心理学』」マーク・Z・ダニエレブスキー/嶋田洋一 訳 (新潮)

フィクションの極北とでもいうべき物語の構造と仕掛けに富む製本の『紙葉の家』著者による
初短篇。哲学、科学、史学、建築、映画あらゆる眼差しをもつ、現代文学の前衛にある小説。
架空の議論と対話がなされる物語の構造が、『紙葉の家』におけるイリコダマの格子に
相似していると気ずけば、俄然すいすいと読みやすくなる。という仕掛けと実験的展開は、
SFに近い娯楽の分野に属する、といったほうが適切かも知れない。


2003/9/29
■「臥夢螺館」(上・下) 福山庸治 (講談社)
アパートの窓からパソコンの画面から自称「天使」たちが理不尽に出現する。
それらは現実と非現実を自由に行き来して、人の精神に易々と浸入できる存在であった。
現実と幻想の境界は天漏れのように崩れ始めている。
オフィス街、テレビ、山手線、そして病院へと「天使」たちは飽くなき増殖を繰り広げる。
スタイリッシュな錨線、ハイパーな映画のカメラアングル以上に考案されたカットワークと
構図、コミックには有り得なかった前衛的ストーリィ展開と主題。
1993年の連載開始から10年、いよいよ完全版として一挙刊行。
これで連載中の切抜きを、やっと手放すことが出来る。と思ったら、本書には渾身の
描き下ろしを加えられていたりして、骨董価値になってしまう連載32回分600頁の切抜かも。
巧過ぎるせいなのか、今は一般的人気がないというのも未来の骨董価格値を予測。
Webマガジン「臥夢螺館 」は無料サンプル版で立ち読みできます。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/e-manga/club/manga/gamurakan/index.html
Webコンテンツ収碌CD-ROMをカップリングされた「臥夢螺館 1」の続刊がなされなかった
こともあり、作者の見解も語られているページです。
http://www.yojira.com/diary/gmr0102.jpg

■「ヘル」 筒井康隆 (文藝春秋社)
ヘルの時間は定かではなくてヘルの三日が現世の十年、過去にも行ければ未来も見える。
「だって夢じゃないんでしょ。そして現実でもないんでしょ。じゃ、わたしは死んで
るんじゃありませんか。生きているんなら今のこのわたしはもうお婆ちゃんの筈よ」
「いいや、君は死んでいない。本当にお婆ちゃんになるまで生きるんだよ。死ぬのは
まだ先で、そして毎晩のようにこの夢を見るんだ。でも死んでからでもぼくに逢える
しご主人にも逢える。それどころかもっといろんな、思いがけない人にだって逢える
だろうさ」(本文より抜粋)
生と死の境界は連続していて、ごく自然な滑らかさで繋がって、それは現代に近づくほど
無意識的に通過できる境目になって、時には死の側から生の側へスムーズに還る流れも
存在するらしいのだ。
この物語を福山庸治さんが漫画化されたら、眼も眩む狂気乱舞する 脚色アートビジョンに
なるかと想像しながら読んだ。想像は無料でアクセスできる最強面白サイト。
壊れかけた心理描写の文体は、気のふれる寸前の具体描写のコマ運びへと変換もするし。
正常ちょっと狂気寸前というところの精緻な乖離、『臥夢螺館』でも巧い乖離描写が
天籠り、正確なパースや音律が消滅される快感走る。
ヘルメス的なる魔術的疾走の快感でもある。
現実の出版では、横尾忠則の装丁画により近日刊行予定。


2003/9/22
■「生命40億年全史」 リチャード・フォーティ/渡辺政隆 訳
 地球上の生命には、絶滅を含む転機が幾重にも繰り返されDNAにも刻まれて来た。
あらゆる存続に関わる試行や生き延びる選択が行われる生命の進化の道は今もつづいている。
 太陽系の中で生まれたのが46億年前という地球、そこへ生命が誕生したのは40億年前と
いわれる。ヒトが生命史に登場するのは10万年前。
そこから滅んでいった生物たちも数多く、適者生存の原理だけでは説けない謎がある。
ここが人間の培養装置プロジェクトと想うのは勝手であるが、
それは余りにヒト一人称的なる想念の一通方向の思考ではあるまいか。
 博物館のような眼差、図書館で閲覧されるに相応しき本書。
ベストセラーの定めとして、いずれ本書も100円コーナーへ平積みされるだろう。
娯楽本ゾッキ本の類いと、図書館に置かれるべき書籍との境界が怪しくなってます。
買うべき図書と、閲覧すべき図書は見定めるべき。


2003/9/12
■「食べる人類誌」―火の発見からファーストフードの蔓延まで
    フェリペ フェルナンデス=アルメスト著/小田切 勝子 訳 (早川書房)

 歴史上どんなときも、人間の行動を支えてきたのは食の営みであった。
 食こそが歴史を動かしたと言ってもいい。
 食する欲望グラビア溢れる出版界でも、この食べる本質命題は避けられてきた。
 本書では、人類の歴史に大きな影響を与えた「八つの食の革命」を解き明かしながら、
古今東西に語り継がれる数々の謎をてきぱきと分析する。
 調理の発明、食事の目的は生命維持のみではないという発見、動物の家畜化、農業、
食べ物が社会分化の手段として使われたこと、貿易と交流による変容効果、生態革命
に食べ物が占める位置、工業化と食べ物の関係にあるという「八つの食の章」。
 栄養学的にみるカニバリズムの意味。
 人種差別はテーブルマナーから生まれたという。
 電子レンジがもたらす文化の崩壊と新石器革命の最終段階とは。
 装画になっているブリューゲルの描いた、何げに食する人々が本書読後には異様なる
壮烈パノラマ絵巻の光景として映る。この世にヒトの口は幾つ存在したのかと想い浮かべ
つつ、それらの食する器官たちに食べられた存在は地球単位で換算すると何個分になるの
だろうかと。そして如何なる処へ逝ったのだろうと。
それらの齎した文化の艶姿七変化などなど。


2003/9/3
■「シュタイナー医学原論」 LFC.メース=著佐藤公俊=編訳平凡社
 7つの金属を比較する興味深い考察を、メース博士は編訳者へ手紙されています。
 「例えば、鉛と銀との対極。文字は鉛によって目に見えるようになる。生きている
世界が固定される。鉛はエックス線が貫通できない唯一の金属である。
 土星は鉛の惑星である。土星はまた、宇宙から惑星系を切り裂き、切り離す。
 銀はそれと何と違うのだろう! 銀は覆い隠さない、ところが実は銀は目に見えな
い。本物の銀を見る人は、自分自身を見ている。
 工芸分野で銀は鏡に使われる。なぜ人は鏡の自分自身をしげしげと見るのか? 問
いかけを持っているからだ。
 銀の特質は月の秘密と結び付けることができる。ルドルフ・シュタイナーは月を、
一個の秘密として、隠されたものとして、最も深く隠された叡知を持つ惑星として、
描いている。外的に言うと、月は太陽の光を反射している。太陽の金属である金の性
質は、輝き出る暖かさといえば、一番よく描くことができる。」
■シュタイナー関係のページ
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/etc/link.html


2003/8/12
■『老子』小川 環樹:翻訳 (中公文庫)
今世紀は情報ボーダーレス化が顕著で、電子情報が頻繁に国境線を越えて、
想像以上に影響を与えつづける。連綿と受け継がれてきた固有の伝統文化を
世界中にネットワーク発信することで、文化の融合さえ行われる。
そこから民族固有の文化が変貌され、新しい価値観、美意識を追求するエネルギーが生まれる。そして混沌、カオス、マトリックス状態になると、私たちが西洋から学んだ合理主義、
2×2が4という分析型の考え方のみでは収拾できなくなりつつある。
老子とか、日本の禅のように、漠然としていても、全体としてとらえる思考のほうが、コンピュータ社会に向いているといわれる。
陰陽タオイズムは二進法、易の卦は六十四。
コンピュータ容量64mbにジャスト収納される叡智データーの数値。
[易一覧表]
http://www.geocities.jp/mrhrnr/data/iching/ic.html
万物の根源には道」がある/相対的な違いにとらわれるな
/水のあり方に学べ/柔弱は剛強に勝つ
/功遂げて身退くは天の道なり/足るを知れば辱められず
/「小国寡民」こそ理想の社会/「無」があるから「有」がある
/世俗のなかにゆったりと立つ/曲なれば則ち全し
/奪おうとするならまず与えよ/減らしていって「無為」に至る
/その身を退けて身先んず/自ら知る者は明なり/赤ん坊こそ理想
/大道廃れて仁義あり/学を絶てば憂いなし/大巧は拙なるが如し
/戦いはこちらから仕掛けない/信言は美ならず
/正は邪となり善は悪となる/ etc
確かに古代自由思想の五千余言の言葉たちは、
適切なる解釈をもってバージョンアップされれば、
不朽の「お宝」となるのかも知れない。
更新された一言は、一冊分の質量を持つ。


2003/7/17
■『伝奇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス(岩波文庫)
 Jorge Luis Borges : Ficciones /鼓直訳
「長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開
するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書
物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ」(『八岐の園』)
ボルヘス図書館のなかにいるような気持ちにさせられる本書の醸す麻薬的な想像空想
の世界には堪らない底無し沼の危険地帯だ。
それもその筈、バタイユと同じく図書館勤務の人でもあった。
万巻の書物ある場所から、ミ−ムのようにオーガステックに受け継がれた物語たち。
「彼はべつの『ドン・キホーテ』を書くこと――これは容易である――を願わず、
『ドン・キホーテ』そのものを書こうとした。
いうまでもないが、彼は原本の機械的な転写を意図したのではなかった。
それを引き写そうとは思わなかった。
彼の素晴らしい野心は、ミゲル・デ=セルバンテスのそれと――単語と単語が、
行と行が――一致するようなページを産みだすことだった」
(『ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール』)
 ラテンという西洋文化から隔たりもあるブエノスアイレス風土だからこそ、
ヨーロッパの学問や知識などを自在に手玉パロディして、空想遊戯をも辛辣にできた
のだろうなと思うこともあります。タンゴという刹那速度の音楽を聞くたびに。
「ブエノスアイレスの夕暮れと夜がなかったらタンゴは生れないだろうし、その空には
タンゴのプラトン的なイデアが、その普遍的形体が我々アルゼンチン人を待ち受けている」
 というほど、タンゴやミロンガに強い愛着を抱いていた。
 ボルヘスの詩や小説にピアソラが曲をつけた『エル・タンゴ』は、その表題作がのちに
「タンゴ・アパシオナード」というタイトルで録音され、
 ウォン・カーワイ監督の映画『ブエノスアイレス』のテーマ音楽ともなつています。


2003/7/10
■『ヴードゥー・キャデラック』 原題:princess naughty and voodoo cadillac
  フレッド・ウィラード/黒原敏行[訳](文春文庫)

良識ある男なら、結構な金額の年金を慎んで受け取り、
保安が心配な裕福な連中のために
セキュリティコンサルタントを務めて余生を過しただろう。
しかし、彼は人生の黄昏れるラストワルツに別の曲を聞いていた。
手製拳銃と飛出しナイフで奏でる、ギャングの荒っぽいセレナーデ。

リストラされたCIA局員が企む資金詐取作戦。
死んでも誰も困らないオマヌケ奴らが次々と計画を阻む。
あまりにもアホな相手に、それに増して桁外れたノータリンが参加して、
次が読めないという疾走迷走爆走のハイパークラックノベル。
金の匂いに釣られた悪党と謎のお色気美女×2。
所謂、バカカップルだ。
二人の愛車は、呪いの掛かった高級車ヴードゥー・キャデラック。
どんな災いがバカカップルに掛かるのかと、
電車でワンワン笑って読んでいたら、駅をふたつも乗り過ごしてしまったわん。
マトモな人がただの一人も登場しない、タガの外れた低脳なる狂騒。
ここまで御馬鹿ぶりやれば、いっそすがすがしい。
金を手にするのは誰か?
タランティーノの新作観るような、気持ちよく壊れたスピードの展開にも、


2003/7/7
■『博士の愛した数式』小川洋子(新潮社) 
 28=1+2+4+7+14
「完全数だ。一番ちいさな完全数は6」
 6=1+2+3
「完全の意味を真に体現する、貴重な数字だよ。28の次は496。その次は8128。
数が大きくなればなるほど、完全数を見つけるのはどんどん難しくなる」
 496=1+2+3+4+5+7+8+9+10
 +11+12+13+14+15+16+17+19+20
 +21+22+23+24+25+25+26+27+28+29+30+31
「完全数以外は、約数の和がそれ自身より大きくなるか、ちいさくなるかだけだ。
大きいのが過剰数、小さいのが不足数」
 33550336 
 8589869056


2003/6/24
■『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』パトリック・オリアリー(ハヤカワ文庫)
小麦畑で寝転がっていた少年ふたり、空飛ぶ未確認飛行物体を目撃し、
ふと気がつくと、秋になっていた。
兄はコマーシャルディレクタ−に、弟は英文学教授になってゆく。
しかし、ふたりは死んでいるのに自覚していない。
死の世界という虚構の中で、ふたりは真実を掴めるか。
人は死ぬ時に、それまで生きて来た光景を、スライドショーのように見ると言う。
「死をなくしたら、すべてが意味を失うのだ。
 不思議だが、いまごろ漸く解った、人類最大の夢は、じつのところ悪夢だったのだ。
 地球上のあらゆる宗教が説く報酬とは、まやかしだったのだ」
この物語は死ぬ時に、過去を振り返るのではなく、
死んだ先の未来を体験するという構成を取って、
日常的な常識を疑い、逆転して着想されているフリップKデックのフリーク作者。


2003/6/6

■『破滅への二時間』 ピーター・ジョージ・ブライアント(早川書房)
映画「博士の異常な愛情」Dr.Strange love: or How I leamed to stop worrnying
and love the bombsの原作。
元空軍にいたという作者の話は、キューブリックのブラックユーモアの映画世界とは
違って、どこまでもシリアスでスリリングな隙間に触れている。
重いストレスかかえこむ将軍が、被害妄想いだいて、
核攻撃の戦略爆撃機軍を全機出動させる暗号を送信した。
優秀な空軍兵たちは重要な訓練のひとつと解釈して、目的地へ全機出動させてしまう。
政府首脳は地下司令室に集まり、事態の解決を目指して帰還させる作戦もとるが、
連絡システムの故障した、ただ一機の核攻撃は成功してしまい、
自動反撃システムからミサイルが発射され世界が破滅する。
このプロットを今の政治経済、風俗、国情へと脚色しながら、
テレビドラマの映像を描きながら読んだ。
TVディレクタ−になるとは憶ってもみなかった子供の頃、
同じ早川新書版コーナーにあった「気狂いピエロ」の原作本と一緒にあった。
どちらも、映画とは内容が違いすぎて、子供には読み砕くことが出来なかった。
しかし今、何故にしてわざわざ本物そっくりなセットを造って置きながら、
スラップステックの演出に切り替えていかねばならなかったのか、
その手段の意味と回避していった問題点の舞台裏など解ってしまいました。


2003/5/5
■『帝都東京・隠された地下網の秘密』秋庭俊(洋泉社)
地下鉄の謎はいろいろと多いけれども、
戦前の地下鉄工事と戦後の地下鉄工事の謎をクンクン。
国会議事堂前、霞ヶ関、永田町にまつわる地下鉄駅の不思議、
B1とB4B5しかない駅の不思議、
上下2段の乗り換え駅とホームが両側に別れたりまん中になったり、
新線の地下鉄駅が何故か古かったり等の原因を調査、
不文律になっている街路や下水改良の不思議まで。
国家から家の立ち退きを迫られたら陥没する前に早く移転をとは卓見。
追補増補版がwebやRomで展開されるのも期待したい。
「東京」という街は奥が深い、いやはや地下も深い訳だね。


2003/4/4
■『日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼』 種村季弘編 (国書刊行会)
弁士の声が聞こえてくるような綺堂の文章で語られる怪異奇潭。
青空文庫では百編以上の綺堂作品が公開されている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1308.html
岡本綺堂を読む
http://members.at.infoseek.co.jp/kaiki/index.html


2003/3/3
■『オブジェを持った無産者』赤瀬川原平 (現代思潮社)
1960年代、高松次郎、中西夏之らとともに「ハイレッド・センター」を結成、町中での突然のハプニングやイヴェントを通じて、知覚と現実の間に一種のパニックをおこさせる『ミキサー計画』を展開、その他コラージュ作品、梱包作品などを制作し、前衛芸術の先駆的活動を行う1963 千円札の模写作品を発表 この作品が「通貨及証券模造取締法違反」に問われ、1965年東京地検より起訴され「千円札裁判」へと発展する。美術表現の理念を文章や言葉によって求められ、一冊の記録となるほど作者は陳述された。美術行為がこれだけ大量の文章集積として必要とされ、裁判所へオブジェ作品が陳列され、問われたのは前代未聞の空前絶後一大イベントだった。
「被告人赤瀬川は、昭和三八年一月ごろから、日常生活の中でもっとも普遍的な性質を持つ千円の日本銀行券(当時流通していた聖徳太子像のあるもの。以下千円札と略称することがある)に着目し、これを素材として作品を作ろうと考えた」

模型千円札裁判の記録ページへ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/JTPD/thesis/Soturon1.html
「ニセ物が本物の横腹をつつきはじめたのは何もいまにはじまったことではない。本物が単なる物であるだけでなく、本物であることを主張するために、ニセ物という物が出現するのであり、原理的にいって、つねにニセ物は本物に対して攻撃的なものであり、本物はそれに対してつねに自分を保守するという守勢にまわる」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/07/7123.html
絵描き共の変てこりんなあれこれ
http://www.asahi-net.or.jp/~EE1S-ARI/imaizumi1.html
模型千円札の発展型として製造された「零円札」
http://www.nomart.co.jp/~naide/gallery1box/akasegawa1.html
リトグラフ作品
http://www.nomart.co.jp/~naide/gallery1box/akasegawa3.html
模型千円札事件――芸術は裁かれうるのか
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/02/2200.html


2003/2/26
■『不合理ゆえに吾信ず』埴輪雄高(現代思潮社)
賓辞の魔力について苦しみ悩んだあげく、
私は、或る不思議へ近づいてゆく自身を仄かに感じた。
祝祭だ 秘かな魂の奥に囁かれたと思つた。
影のようなものの祝杯が私へあげられたような気がした。
すべて主張は偽りである。
或るものをその同一のものとしてなにか他のものから表白するのは正しいことではない。
ゴルギアスもまた忌まわしく思惟する網の裡に棲みながら彼自身の悪徳を味わつていた
そんな想念が、生き生きした姿をとつた。
属性の魔力について知りぬいていたばかりで
なく、そこに眩暈せしめるもののひそやかな
悪徳の裡に、私も耽つていたのである。
薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば俺はこれだけ。
私はしばしば想いなやむのであるが、
不快の裡に棲むものは論理と詩学のみであろうか。
翅よ、翅よ、誰がここから飛びたつであろう。(巻頭)

本書は「虚空」共に詩的エスキュースが圧縮されている 。
1939年頃に書かれていた思考体系の記録として二冊は、最先端の文学という以前に、政治的なエネルギーを、別の装置に変換させなくてはならない切迫した事情があった。眼の前にただ漠然とある壁をみつめて、哲学も到達出来なかった地平を想起させよう。


2003/1/1

■『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』(思潮社)
「地球創造説」
 両極アル蝉ハアフロディテノ縮レ髪ノ上ニ音ヲ出ス
 男モ動物モ凡テ海ノヨウニ静カニナル
 アフロディテノ夏ノ変化ハ
 細菌学的デアル
 (……)
 大魔術ハ空気ヲ要シナイ
 ジャスミンガドウシテモ姿ヲ見セヌ時
 アノ少女ハ簡単ニ想像シテ終ッタ
 金属ノジャスミンヲ
 終息セントスルアポロ神ノ呼吸ハ
 恐怖ト快活トガ混合シタ
 羊肉ノヨウナ薔薇ト同一デアル
 (……)
初期詩篇のアンソロジーに『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』というタイトルをつけるなど、言葉をオブジェとして捉えた美術的実験のアクチュアリティが見出されるだろう。
これらの詩編は美術家による透徹した眼差しであり、タブロウに変換されれば美術的なる空間が描かれている凹版のような表現である。

多摩美術大学附属図書館「瀧口修造文庫」
http://archive.tamabi.ac.jp/bunko/takiguchi/t-chronology.htm
[瀧口修造のデッサン]
http://www2a.biglobe.ne.jp/~yamaiku/honhon/lr/lr.nakajima.htm