タ ー ボ ル 戦 記
〜 フ ス 戦 争 の 記 録 〜



そこは何であったのだろう
人々は、何を求めそこにやってきたのか
信仰の自由か 正しい信仰か
盗賊や野心家のうろつく街に「神」は存在したのか
いや
「異端者」とされた人々が
処刑台に消えた時代
彼らはこの世の脅威であった
教会は恐怖し、カトリック諸侯は震え上がり
ひたすらに「神」の助けを祈った

しかし 彼らは、希望のようにも思われた

フランスで 一人の乙女が燃え上がったとき
彼らは遠い東の地で
   「十字架をつけた狂犬達」を撃ち破った
「兄弟達」と争わなければ
聖杯の旗は地の果てまで進んだろう

だが、滅びた
戦争の狂気の中に
「無敵」と呼ばれた街(ターボル)の人々は
チェコの大地に 永久に眠る


 「フス戦争」とは、1419年から1436年の17年間、チェコのフス派教徒が起こした反乱である。
ヤン=フスが1415年、コンスタンツで処刑されたことを契機としてチェコに宗教改革の嵐が起こり、1419年のヤン=ジェリフスキーの「プラハ市庁舎での窓外抛擲事件」がきっかけとなって騒動が勃発。国王ヴァーツラフ4世がこの事件に衝撃を受けて死ぬと、故王の異母弟であり、王位後継者でもあったルクセンブルク家のジギスムントに対する反感(ヤン=フスを処刑させた神聖ローマ皇帝でもある)から、政治問題も絡んで一気に事は重大になった。
 ジギスムントはローマ教皇マルティヌス5世の勅書を得てフス派討伐に乗り出すが、タボル派のリーダーであるヤン=ジシュカがフス派全軍を率いてこれを迎撃。1420年7月、「ジシュコフ」と後に呼ばれるようになる丘の上で、皇帝率いる「異端撲滅十字軍」を粉砕した。

 その後、フス派はドイツから押し寄せる十字軍(異端撲滅十字軍)をすべて撃破し、逆に神聖ローマ帝国領土内に大侵攻をはじめた。帝国の大方の都市は彼らの襲撃を受け、その猛攻に屈服し、和平を乞うしかなかったという。ドイツ人達は彼らを「無敵」と呼び恐れ、ついには戦わずして逃走するほどであった。
 しかし1434年、フス派内の分裂は決定的となり、急進派であるタボル派は、プラハ東方のリパニの地で穏健派フス派軍と戦い破れた。いわゆる「フス戦争」は、この後1436年のバーゼル公会議の時点で終結したと考えられる。ただし「フス派」全体としての敗北は、さらに後の時代のこととなる。

しかし、ターボル派は消えてしまったわけではなかった。それは姿を変え、生き延びたのである。
たとえ、それがもとの理想とは遠くかけ離れたものだとしても。





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