「西方の狼」ジュチ=ウルス〜モンゴル西方帝国の興亡〜



「ゼイフン河の方からこの国の境界線は−−−ホレズム、サガナク、サイラム、ヤルケンド、ジェンド、サライ、マジャル市、アザク、アクチャ、ケルメン、カファ、スダク、サクシン、ウケク、ブルガル、シベリア地方、イビル、バシギルド及びチュリマンなり。」


                              アラブ人史家・アル=オマリ(『金帳汗國史』より)

「ジュチ=ウルス」とは何か。広大なユーラシア大陸の大半を征したモンゴル帝国において、もっとも長く栄えしウルス。世界征服者チンギスハンの長子ジュチをその祖と仰ぎ、その子バトゥはロシアと東欧を蹂躙し、やがて長く世界史を揺さぶる一つの勢力として、現南ロシア地方ウクライナ平原(キプチャク平原)を征した。ウルスは帝国本土から遠く離れた地に本拠を構えたが、政治的な重要性は大きかった。帝国とは一体であった。

当時の世界は、その凄まじい力に恐怖した。ブルガリア帝国は服従の意志を表し、西欧はただ祈りに明け暮れ、ハンガリー王は、ただただ恐るべきバトゥ・ハンの侵攻を避けるために奔走した。欧州方面だけではない。カフカフの諸王、中東のムスリム諸政権も、恐るべきモンゴル軍の噂に震え上がった。キプチャクの諸族も決死の抵抗を試みたが、勇戦むなしく破られた。激しい戦いの末に、モンゴル軍は他を圧して、この地方に統治者として君臨したのである。

やがて帝国の再編が、ハーン達の闘争によって引き起こされた。カイドゥの争乱が中央アジアに突風のごとく荒れ狂い、偉大なるテングリの下、諸皇子達はそれぞれの野心と名誉をかけて争奪戦に明け暮れた。ジュチ=ウルスはこの闘争で積極的な役割を演じた訳ではなかったが、無関係であるはずもなく、その地位にふさわしい役割を果たした。そして争乱は、やがて終結したのである。

だが、その頃から変化が起こりつつあった。ジュチ=ウルス内部において、近親間の闘争は危険な状態になりつつあった。そして暗躍するハラチュの者達・・・征服された者が、征服者たちを脅かしてゆく。バトゥの弟ベルケの兄嫁殺しに始まったジュチ=ウルスの深い闇の果て・・・・それは、どこに通じていたのだろう。

やがて偉大なる草原の民は知ることとなった・・・とるに足らない世界の隅っこにあった小さな町が、北方の大帝国を建設し、恐るべき支配者として彼らの上に君臨するのを。服従を旨として、つねにハーンの威光にひれ伏してきた町モスクワ・・・なにが彼らを、このとるに足らない町を、世界史にその名を刻みつける町にまでしたのだろう。

地中海・ロードス島の浜辺で、クリミアの最後のハーンの首が断ち切られたとき、チンギスハンの世界征服の遺産は地上より消え去った・・・誇り高き西方の狼の牙は、砕け散った。

ただ・・・・・すべてが消え去ったのではない。ジュチの子らの記憶は、いまだに人々に生き続けている。偉大なる世界征服者の伝説とともに・・・。


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