がんばれ!重吉さん

「カバを訪ねて」はこちら!


 このページは、名古屋東山動物園のカバ・重吉の健康を祈ると共に日本の動物園の健やかな発展を願うものです。

おからをたべる重吉さんと土鳩

(「カバKIBOKO」より)

 重吉は1952年、アフリカから東山動物園に連れて来られたカバで日本のカバのゴッドファーザー。福子が嫁入りし57年以来、夫婦で計19頭の子を産みカバの出産数の日本記録(世界第2位)を達成しました。現在国内にいるカバ54頭のうち、6割が福子の子孫だそうです。「東山動物園のきんさん・ぎんさん」とよばれ人気を呼んでいましたが、残念なことに97年夏 福子が急逝しました。

 動物園に行くのは好きでカバも大好きだったのですが、偶然読んだ「日本カバ物語」でカバが日本の動物園界の抱える問題のまさに縮図であることを知り、目からウロコが落ちました。

 うー。がんばれ、重吉!!がんがん応援するぞ。スタッフとファンの愛情のもと、なんとか幸せに暮らしてくれー。

 ということで、ニック・パークの短編アニメではないですが、現在の動物園の抱える諸問題の一部について理解するためにオススメの3冊!!

  • 日本カバ物語 宮崎康彦著 情報センター出版局

重吉・福子の血縁をはじめとした日本のカバ100余頭を7年かけて訪ね歩いた渾身のルポ。「カバへ、人へ」と始めた旅は、「動物園」「観客」「野生」「動物」「人間」の意義について再考を迫るものでした。その取材のパワーと思索の深遠さには敬服するばかりです。勉強になりました。付録もたのしい。カバファン必読。

 

  • カバKIBOKO 宮崎康彦著 情報センター出版局

上書の姉妹書的内容。野生・飼育下のカバをレポートし、それぞれの生息環境を切り口として潜在する問題を示します。写真も素晴らしい。

 

  • 水族館への招待 鈴木克美 丸善ライブラリー

こちらは水族館。水族館の歴史概説、日本人の自然・日本社会を述べるが、今後の水族館のスタイルについては、動物園とシンクロする点も多いです。平易な文章でおまけに楽しく読めます。


97年8月15日のカバの福子鬼籍入りに関する新聞記事

朝日新聞記事データベース/G−Search より

 

福子(「カバKIBOKO」より)


◆000266 (T970816M22--18)

子宝カバの福子、大往生 名古屋・東山動物園

97.08.16 朝刊 22頁 2社 写図有 (全223字)

 名古屋市千種区の東山動物園で飼われていた、メスのカバ「福子」=写真、名古屋市提供=が十五日早朝、老衰のため死亡した。推定年齢は四十七歳で、人間なら百歳を超える長寿。健在の夫「重吉」とともに、「東山動物園のきんさん・ぎんさん」とあだ名がつくほどの人気者だった。

 福子は一九五四年、ドイツの動物園から来園した。重吉と「結婚」後、五七年以来、計十九頭の子を産み、カバの出産数の日本記録をつくった。現在国内にいるカバ五十四頭のうち、六割が福子の子孫だ。

朝日新聞社

Back


◆000267 (N970817MAI1-14)

東山動物園のカバ・福子の死悼み、花や手紙次々 /愛知

97.08.17 朝刊 愛知版 写図無 (全214字)

 千種区の東山動物園に十六日、長寿と子だくさんで知られた雌カバ福子の死を知った市民から花束や手紙が寄せられた。園側はカバ舎前に掲示を出して、動物園の人気者の死を惜しんでいる。

 手紙は昼前に園入り口に届けられた。「体調を崩したことを心配していましたが、亡くなってとても残念です。でも幸せな一生だったと信じています。やすらかに。動物の友人より」と書いてあった。また、カバ舎前には入園者が次々と手向けた菊やカーネーションが飾られた。

  朝日新聞社

Back


◆000268 (N970919MAI1-10)

カバの福子と24日「お別れ」 名古屋の東山動物園で追悼 /愛知

97.09.19 朝刊 愛知版 写図無 (全211字)

 千種区の東山動物園の中央休憩所で二十四日午前十時から、この夏に亡くなったカバの「福子」とアジアゾウの「アイ」を追悼する動物園葬がある。稲熊興助園長や県獣医会などの関係者が追悼の辞を述べて黙とうし、花をたむける。一般の入場者も参

列や献花ができる。

 福子は八月十五日、老衰のため死んだ。子だくさんで、国内のカバ五十四頭のうち六割は福子の子孫だ。アイは八月三十一日に肺炎のため死亡した。三月にマレーシアから来て、人気者だった。

朝日新聞社

Back


◆000269 (N970921MAI1-06)

福子よ、よくやったね(風) /愛知

97.09.21 朝刊 愛知版 写図無 (全1079字)

 守山区村合町の鬼頭忠さん(七四)に「カバの福子が死んだ」と、電話があったのは八月十五日の早朝だった。

 「福子が逝っちゃったよ」

 「悪いとは聞いとったけど、そうか……」

 ものの一分とかからぬ、やりとりだった。

 東山動物園の元飼育係。三十二年勤務したが、そのうち半分は福子を担当した。五十八歳で退職したとき、福子は人間なら八十歳以上の年になっていた。享年は推定四十七歳。老衰だった。

 福子が重吉の花嫁としてドイツの動物園からやってきたのは一九五四年。鬼頭さんが飼育係になって四年後のことで、電気洗濯機、冷蔵庫、掃除機が「三種の神器」と呼ばれ珍しがられていた時代だった。

 鬼頭さんは戦争で捕虜になり、戦後、シベリアで四年間、抑留生活を送った。零下四九度という極寒に耐え帰国して見つけたのが飼育係だった。動物が特に好きだったわけではない。仕事がなく食うためだった。

 飼育係は持ち場が順番に代わる。そのうちカバ夫婦の担当になった。福子はずいぶん気が強いな、と思った。えさを与えようとすると、おり越しに体当たりしようする。普通のカバなら、そんなことはしない。

 元気なころの福子は、一年か二年おきに赤ちゃんをポンポン産んだ。生涯で十九頭産んだが、鬼頭さんはそのうち八頭のお産に立ち会った。福子は、陸でも水中でも、子どものそばにぴったり寄り添って離れようとしなかった。

 動物園といえば、東京の上野と名古屋の東山が有名だった。「上野の飼育係は学者。東山のは職人の集まり」といわれた。鬼頭さんも、その職人の一人だった。同じ動物でも個体差がある。それを見抜くのは知識ではなく、勘(かん)と経験だ。福子が子宝に恵まれたのも、職人たちが愛情を注いで育てたからだ。

 鬼頭さんは振り返る。

 思えば、わが戦後は動物とともにあった。老後の今は、草花の手入れや夫婦でたまに旅行している。一線を去って余裕ができたが、現役のころは、お産や動物の体調が悪いと、宿舎で寝泊まりし、何日も家に帰らなかったものだ。自分は、戦争やシベリア、戦後の混乱、仕事から解放された。けれど、福子たちは、あのカバ舎で、どこにも行かず、そこから、じっと戦後を見つめ続けてきたのだ。はじめ気が強いと思っていた福子だが、逆に憶病で、人間を恐れていたのかも知れない。だって、せっかく子どもを産んでも、人間どもに奪われ、よその動物園に連れて行かれてしまうのだから。そう思うと、多産記録がどうのこうのということは、今ではどうでもいい気がする。それより、ひとこと言ってやりたい。「お前も長い間、よくやったね」と。(小沢俊夫)

朝日新聞社

Back


◆000270 (N970922E06--02)

カバの重吉さんへ 日本カバ物語(あの人にこの一冊) 【名古屋】

97.09.22 夕刊 6頁 名古屋タイム1 写図有 (全874字)

 東山動物園の重吉さんへ 夕刊編集部から

      *

 《重吉様

 福子さんが八月十五日に亡くなったと聞き、名古屋市の東山動物園を訪れました。四十三年間連れ添った妻に先立たれたあなたが、一人きりのカバ舎で黙々と干し草をはむ姿は、やはり寂しげでした。一緒に思い出を語り合えればと、あなた方ご夫婦と十九頭もの子どもたちを追った、この物語を読んでみました》

 重吉は一九五二年、アフリカから東山に連れて来られた。二年後、ドイツの動物園で生まれた福子を嫁にもらう。重吉、推定六歳。福子は四歳。三台のトラックを連ねた嫁入り行列が広小路、栄、大須の繁華街を行進したという。

 三年後、福子は娘を産んだ。それから九〇年十一月まで、出産を繰り返した。十九頭の子どもたちは国内外に散り、子や孫をもうけた。いま、国内にいるカバのうち、六割が重吉・福子の血縁だという。

 この一族には、そろって脚に白い斑紋(はんもん)がある。「俺(おれ)たちと同じ時代を生きたカバが名古屋にいる」と聞いた五一年生まれの著者は、白い斑紋を追って日本全国、さらには韓国や中国、アフリカに足を延ばした。

 だが「カバへ、人へ」と始めた旅で見たものは、幸せな光景ばかりではなかった。「結婚」当時に比べ、カバの珍しさは格段に落ちた。血統管理は不十分で「あるものは近親交配に悩み、あるものは強いられる夫婦別居に身もだえし、生まれた子は知らない土地へ消えていく」。野生ではあり得ない子殺しさえ、繰り返される。

 カバの池に映った動物園の現状は、「肯定する理由が先細っていく」ものだ。

 しかし、著者はこうも書いている。「きっと次の日曜日も十年後も、子どもたちの声は重吉と初めて対面した一九五二年の子どもらと変わらないだろう」

 《重吉様。この本の刊行は九一年です。著者はあとがきで、数年後の改訂版を期して筆をおくと書いています。新しい版で、あなたの一族の明るい未来が報告される日まで、一日も長く元気で暮らしてください》

 (今田幸伸)

      *

 宮嶋康彦著。情報センター出版局刊。326ページ。本体価格1800円。

 

朝日新聞社

 Back


◆000271 (N970925MAI1-01)

19頭の子を産み逝ったカバ、福子よ永遠に 東山動植物園 /愛知

97.09.25 朝刊 愛知版 写図有 (全1522字)

 さようなら、日本一の子だくさんのカバ、福子。千種区の東山動植物園で二十四日、アジアゾウのアイちゃん(八月三十一日死亡)とともに福子を追悼する動物園葬があった。十九頭の子どもを産んだ福子。重たい体でゆっくり歩き、大きな口を開けて愛きょうを振りまいた四十七年間だった。子や孫は日本だけでなく中国や台湾にも渡っている。子ども思いだった福子の心は、いまも各地で生き続けている。

 日本中のカバは、どこかで福子とつながっている。いま、日本にいるカバ六十一頭のうち、半分以上の三十四頭が福子と血縁関係がある。

 福子がドイツの動物園から名古屋に来たのは一九五四年七月、四歳のときだった。その二年前、アフリカから来た夫の重吉とはすぐに気があったようだが、カカア天下だった。福子の方が気性が荒い。だが野性味の残っている動物ほど子育ては上手だという。子どもがプールからあがれないと、鼻でおしりを押してやっていた。

 子どもを他の動物園に移すために、子別れをさせるのが大変だった。すきを見て子どもをオリに入れると、福子はプールから一気に飛び出して突進した。子別れの夜に福子が暴れ、犬歯を折ったこともあった。

 福子が産んだ子どもは十九頭。中国のカバ夫婦に次いで、世界で二番目の多産だ。子どもたちは旭川から沖縄まで全国の動物園に散らばっている。福子の子孫はひと目でわかる。なぜか必ず、足に白いまだらの模様が出るからだ。今は五代目となる玄孫までいる。

 だが、子孫が増えたことは必ずしも喜ばしいこととは言えない。日本の動物園は血統管理にあまり関心がないところも多く、近親交配が起きている。

 カバが珍しい動物ではなくなり、パンダやコアラなどの「スター」が生まれると福子の子孫の行き先もなくなってきた。十七頭目から十九頭目の子どもの三頭は中国へ旅立った。

 福子と重吉の子孫たちを追いかけた「日本カバ物語」を出版した宮嶋康彦さんは言う。「福子は動物園のオリの中から野生とは何かを教えてくれた。子孫が幸せに暮らすためには、野生の動物と人間のかかわり方をしっかりと考え直さなければならない」

 

 ○「子育て上手、愛され幸せ」 東山動植物園、追悼し園葬

 福子が亡くなったのは八月十五日の早朝だった。見回りの飼育係が乾いた背中を水面に出して浮いていたのを見つけた。昨年六月ごろ体調を崩し、約二五〇〇キロあった体重は一五〇〇キロまで落ち込んだ。それでも秋には食欲も戻って飼育係らをほっとさせた。

 しかし、四十七歳という年齢は人間で言うと百歳。次第に衰弱し、おからやリンゴなどのえさもあまり食べなくなった。川村浩飼育研究主幹は「大往生だった。子育てがうまく、みんなに愛されて幸せな生涯だったと思う」と話した。

 福子の写真が飾られた祭壇を前に、野村昇三・東山総合公園事務局長は「玄孫(孫の孫)までいて日本の動物園のゴッドマザーだった。夢と希望だけでなく、種の保存にも大きな役割を果たした。本当に長い間よく頑張ってくれた。ご苦労様」と追悼の言葉を贈った。

 宮嶋康彦さんは「カバという動物を日本中の人に知らせた。私たちはもっとカバを理解し、カバが地球から滅びないように努力したい。福子の魂は使命を果たして、いま、アフリカの草原へ帰っていくだろう」とあいさつした。

 夫の重吉はこの日、プールにも入らずじっと物思いにふけっている様子だった。福子がいたころは、いつも二頭で寄り添っていた。空っぽになったオリを見つめながら、加藤和成飼育係(五五)は「重吉が物を言えるなら、さみしいよって嘆きたいだろうな」と、つぶやいた。

 

朝日新聞社

Back


◆000276 (T971009E03--03)

カバの福子(惜別)

97.10.09 夕刊 3頁 らうんじ 写図有 (全919字)

 8月15日死去、9月24日動物園葬

 子は19頭、日本のカバのゴッドマザーだった

 夫の重吉が鳴かなくなった。福子が元気だった時は、昼はぴたりと寄り添って、夜になって別々のおりに入れられると、互いの姿を確認するために、よく鳴きあった。それぐらい仲のいい夫婦だった。19頭の子に恵まれ、中国にいるカバ夫婦に次ぐ世界2位の子だくさんといわれる。47年の生涯だった。

 重吉がアフリカから名古屋市の東山動物園に来て2年たった1954年7月、福子はドイツの動物園からやって来た。

 大きな口を開けてえさを食べる福子と重吉は、カバを見たことがなかった子どもたちの人気者になった。次々と子どもが生まれた。今度はマスコミにもてはやされた。

 同動物園の川村浩飼育研究主幹は「次はいつですかって、プレッシャーをかけられました。世界記録に迫った時なんて、毎日のように記者が来た」と振り返った。

 産んだ子どもと一緒に暮らせるのは、産まれて1、2年だけだ。動物園には、大きなカバを3頭飼えるスペースはなかった。「子別れ」は大変だった。福子の目を盗んで、子どもをおりに入れる。すると、福子はプールから飛び出して、おりに突進した。暴れて犬歯が折れた。

 子どもは全国に散り、ひ孫の子も生まれた。国内には現在、61頭いるが、そのうち34頭が福子の子孫だ。足に白いまだらの模様がある。

 福子は、人間でいえば100歳。長生きの秘けつは、近所の豆腐屋が無料で配達したおからだった。毎朝おからを届けた土屋森弘さん(53)は「日本のカバのゴッドマザーだった」と言った。

 福子の子孫が増えたことで、新たな問題も生まれた。当時、日本の動物園は、血統管理に関心が乏しかった。近親交配の結果、生まれてすぐ死んだひ孫もいた。そのうち、パンダやコアラといった新しいスターが登場するとともに、福子の子孫の引き取り先がなくなった。こうして17−19番目の子どもたちは、中国へ旅立った。

 福子の子孫を追い続けて「日本カバ物語」を書いた宮嶋康彦さん(46)は「福子は幸せだったかなあ。カバを日本人に知らせ、たくさんの子どもを残した福子は、十分に使命を果たした」。祈るように言った。

 (社会部 平岡妙子)

朝日新聞社

Back


札幌円山動物園のカバ(「カバKIBOKO」より)