パンダはもういいよ
中国の一番偉い人が日本にやってきて晩御飯を食べるときに、上野の動物園にパンダを「有償レンタルしてあげる」とおっしゃったそうで、よくわからないですが日本国は、うれしいみたいです。
「上野の動物園にパンダがいなくなったことは、パンダ飼育をはじめてから初めてのこと」、とニュースでしきりに言っています。大変なことのように聞こえますが、のんびりした関西ではパンダは繁殖に成功したりしていて、現在、南紀白浜と神戸にあわせて8頭だかいるそうです。
べつに上野にいなくってもねー、8頭もいるし(1年1億円のレンタルかもしれないけど)。パンダも上野にいるより南紀にいるほうが幸せじゃないかな。僕だったら南紀のほうが温泉もあるしミカンも取れるしダイビングもできるから、雑然として寒々い上野より楽しく生活できる気がする。
東京の都心の狭く落ち着かないところで動物をたくさん飼うのは、もうやめたほうがいいんじゃない。
上野は、”陛下に賜った動物園だから”とか言い出したらキリがないしね。
上野は、この写真のヤツでいいって大熊猫も言うと思うよ。レンタル料をシロクマ舎の改築とか生息地の保全とか、別のことに使ったらいいね。
にゃー
潟rルドアップ、着ぐるみ「パンダ」レンタル事業
http://www.buildup.com/suits/index.html
2008/05/07(Wed)
買物的休日
家人のリクエストでバスで左京区に行き、美人の知人とランチを食べる。
帰りに四条に寄って本屋と山屋で買い物する。
先日、方位磁石がダイナミックに狂った際、何人かの野外調査プロに直し方を尋ねたのだが不明であった。そんなわけで狂った方位磁石を捨ててしまったので、新しく買い直した。
磁石の説明書を読むと、狂った場合の直し方が書いてあった。
ちぇっ。
↑「せいぎくん」
やる気あるのか無いのか。
2008/05/06(Tue)
暁斎展
家人の強いリクエストで国立博物館で開催の暁斎展を見に行くことになりました。
雨が上がった国立博物館、入り口になにかがのぞくのが見えます。
にゃー
にゃーにゃー
あぁ、こいつでした。図録がお買い得です。
有名な放屁合戦や風神が鷹に追われる絵など、茶目っ気のある絵が楽しい。
いやー、天才の休み無い仕業が炸裂です。
「天才ですら休んでいるヒマがないのであれば、凡人であるワタシは、はたしてどれだけ頑張らなければならないのか、それはもう頑張らないわけにはいかないだろう(反語的表現)」、などと20代くらいまで考えていたのですが、だいたい20代も終盤を迎える頃になるともう、「はなから基本設計が違うから、無理だよ」というような塩梅になったものです、ごめんなさい。
ところで、今日の暁斎展で思ったこと。
1)展示の解説は、概ね大したことが書いてない。幽霊や妖怪、神仏の絵の解説に「リアルに描いた」が多用してあるが、リアルって何よ?
2)鑑賞中に声を出して会話する人たちの会話の内容は、ほとんど意味がない。
3)外人は概ね整列を守らない。
4)国立博物館のスタッフは、あいかわらず立ってるだけ。
****************************************************
かっこいい絵と人混みを満喫したら空腹になったので、七条の橋の所にあるカフェみたいなお店に入って、ビールとオリジナルタコライスというのを頼むのですが、タコライスが来て絶句。
ごはんに切ったウィンナーとピザ用チーズと温泉卵が載っている珍妙なドンブリ物がきました。全然タコライスじゃないじゃん。しかも味も脱力もの。
あのさ、一人暮らし学生のアイデア料理じゃないんだから。
もうちょっとさ、もうちょっときちんとしようよ、大人なんだから。
2008/05/05
No Title
2008/05/05(Mon)
書籍「昭和のロケット屋さん」
ささやかな電子工作。
パーツ屋で以前から購入していた秋月電気のキットが半年あまり入荷無いことがわかり、同等で価格は半額程度の中国産キットを購入するが、説明書は中国語だし、おまけに回路図に載っているパーツが無い。単純なパーツ入れ忘れか?と思ったが、キットのパーツ一覧にそのパーツは含まれておらず、そのパーツは、はなから含まないようである。
うーん、謎ですね、中国製品。
夜、家人に髪を切ってもらう。
*****************************
書籍「昭和のロケット屋さん」を読む。
日本の宇宙開発の揺籃期を独力で切り開いた東大チームの当時の回想と裏側、この本が無茶苦茶面白い。今年読んだ中でもピカイチ!
日本の宇宙開発は、東大の研究者達がある時からジャンジャカとロケットを打ち上げはじめたことによってはじまった。ロケット技術は武器技術につながることから、アメリカはじめ諸外国、その意を汲んだ政府の牽制の下、東大の研究者達が常識はずれのスピードで開発を行い、日本は、自主技術でソ連米仏に次ぐ4番目の人工衛星保有国になった。その開発の側面と裏側を紹介したロフトプラスワンでの座談会をまとめたもの。
とにかく開発の現場が面白い。
天才糸川英夫(あの「ヒデオの法則」)のもと、火の玉のような勢いで突き進む東大チーム、もうデタラメで爆笑、そして涙の開発史&黒歴史(笑)。
『打ち上げ実験で、ロケットがあさっての方向に飛んでいってしまい、仕方ないのでみんなで宿で御飯を食べていたら、「うちの田んぼになんだか分からないものが落ちている」という話が伝わり、夜中こっそり馬車で回収に行って隠した』
とか、
『点火実験の際、点火のセルモーターが堅くてまわらなかったので、こっそりエンジンに手を突っ込んで手で回して起動した』
とか
『夜行列車に乗って実験ロケットの推進剤を運んだ。東大って書いたジュラルミンのケースに入れて網棚に載せて。「なんですか?」って聞かれたら、いえいえ、たいしたものじゃありませんって答えて』
とか。
『念力で落とした』
とか。
俺のロケット、俺たちのロケット、もっと大きく、もっと高くというほとばしる情熱。読んで楽しいが、ロケットの中にモノづくりの精神、現場を見る大切さ、プロジェクトと組織論、システム論が交差し、いろいろと含蓄深い言葉があちこちに出てくる。
日本の宇宙開発は、東大と国が作った宇宙開発事業団が行ったのだが、後者はアメリカの圧力で技術供与を受ける道を選ぶ。
備考:宇宙開発事業団
http://ja.wikipedia.org/wiki/
宇宙開発事業団
日本の宇宙開発は東京大学によって始められ、固体燃料のカッパロケットによる大気観測で大きな成果を収めていたが、実用人工衛星を打ち上げるには一大学の事業というわけにはいかず、また東大はカッパロケットは海外への輸出に成功していたが、外国による軍事転用の可能性を米国に咎められた。このため、宇宙開発を国家管理する機構として、科学技術庁内に1964年(昭和39年)、「宇宙開発事業本部」を設置した。20名ほどで出発したが、ロケットや宇宙に関わった経験がある人間は一人もいなかった。
(中略)
独自に人工衛星を打ち上げようとする東大に対しても自粛を求め、この間に東大は科学衛星だけを打ち上げる事、また将来にわたって大型ロケットの製造をしないとする協定を結び、両者が並立することとなった。
(中略)
東大は1969年にロケット打ち上げを再開し、さらに一度の失敗を経て1970年(昭和45年)2月におおすみの打ち上げに成功した。しかし、事業団の実用液体ロケットエンジンの開発も遅れ、予定までに人工衛星を打ち上げられない可能性も出てきた。一方で、米国は東大のロケット輸出以来、日本のロケット開発に介入する機会をうかがっており、日本へのロケット技術供与の可能性が示唆され、日米の折衝によって、平和利用と輸出禁止を条件に技術が供与されることとなった。技術格差から日本側に不利な条件での協定となったが、おおすみの成功によって自力での衛星打ち上げが可能であることを証明したため、米国もかなり譲歩することとなった。
この協定によって事業団は独自開発を諦め、米国の技術供与とライセンス生産によって技術を習得することになった
2008/05/04(Sun)
□
Search
□
Master
□
HomePage
□
-
無料日記帳レンタルhuua.COM
-
日記帳検索エンジン
-
-
この日記帳内容に問題がある場合はこちらからお知らせください
-