Chapter 1-1 〜 訃報


1815年早春、ジブラルタル−

ナポレオンがエルバ島を脱出し、パリに凱旋したのを受け、英国海軍は一刻も早く戦時体勢を整えようと躍起になっていた。地中海艦隊総司令官キース卿は、チリに向かう途中でマデイラ島で家族と休暇中だったジャック・オーブリーをぎりぎりで呼び戻すことに成功した。ジャックはマデイラにいた英国艦をにわか仕立ての艦隊にして、フリゲート艦ポモーヌ号に艦隊司令官旗を揚げ、艦隊とともにジブラルタルに到着した。

(1p〜6p)ジブラルタル在住の半給海軍士官が二人、ジャックの艦隊が入港するのを眺めながら噂話をしている。その内容は、最近の海軍広報に載っていた3つの訃報についてだった。

ひとつは提督のストランラー卿−心臓病にて死亡。士官たちは「医者が毒を盛ったらしい」などと噂している。(<実際は前巻の最後に出てきたように、ジギタリスを勝手に飲みすぎたせいと思われる。)

もう一人はシエラレオネ総督、ジェームズ・ウッド艦長、病死。彼と彼の若い妻(クリスティーン)は「仮面夫婦」だったと言うのがもっぱらの噂だ。

もう一人は、海軍軍医ドクター・マチュリンの妻、ダイアナ。

マデイラの家族旅行から帰国して間もなく、彼女は馬車を走らせていて、ウールハンプトンの近くのメイデン・オスコット橋から馬車ごと川に転落した。馬車にはオーブリー艦長の義理の母ウィリアムズ夫人、彼女の友人モリス夫人、それにダイアナの友人チャムリー大佐が同乗していて、全員助からなかった。


ああ、ついにここに来てしまったか…という感じです。

実は、ダイアナが亡くなることは、私はこの巻を初めて読むだいぶん前から知っていました。(Norton社の掲示板をネタバレを避けながら読んでいたのに、投稿の題名に「マチュリンの妻が死ぬのはどの巻だった?」と書きやがった大馬鹿者のおかげで。その時点ではまだ私、スティーブンが結婚するところまでも行っていなかったのに。)

なので、ここを読んだ時は、死んだことそのものより、そのあまりにあっさりした−客観的な−冷たい書き方に、ショックを受けたものです。この大ニュースを初めて読者に明かすというのに、ダイアナを直接知りもしない通りすがりの士官が、「そういえば、ドクターマチュリンって知ってる?彼の奥さん死んだらしいよ。うちの妻は嫌いだったみたいだけど、美人だったらしいね」みたいな、このあまりにマター・オブ・ファクトな書き方は…

まあこの…善意(?)に解釈すれば、直接的具体的に、感情をこめて書いたりするのは、悲しすぎて忍びないから、こういう遠回しな書き方になっているともとれるのですけど…オブさんの場合、それはどうも違うような気がする。かと言って、ダイアナの死がどうでもいい小さな出来事だから、こういうさりげない書き方になっているのかというと、それも全然違う。重大なことほど、さらっと書く…とにかく、それが彼の書き方なんでしょう。

それともう一つ。彼女の死を知った上で読んでいると、どうも、だいぶん前から彼女を殺すことを計画していたフシがあります、犯人…いや作者は。

前巻にもなると、ダイアナの馬車とメイデン・オスコットの危険な橋についてのジャックとのやりとりや、スティーブンがダイアナにブリジッドを馬車に乗せないように頼むシーン、その後スティーブンが出航する時に、彼とダイアナが「恋人同士のように、不思議と別れ難く」感じるシーンなど、すでに分かりやすい予兆に満ちていますが…私が最初に予兆として感じたのは、実は13巻に遡ります。ダイアナと同じ名前の艦「ディアンヌ号」が座礁し、嵐で海の藻屑と消えるシーンです。

この時オブライアンは、時を同じくしてダイアナが死んでいた、というストーリーにするつもりだったのではないか…という意見をガンルームで読んだのですが、私もちょっとそう思いました。まあ、今となっては何とも分かりませんけど。

結局、オブライアンは気を変えたのか、それとも最初からそんな気はなかったのか、ダイアナは死なず、ブリジッドを産んで、彼女のことで悩んで、家を出てアイルランドへ行くことになったのですが…

もし、私の勘ぐりが正しかったとすると、オブライアンさんはだいぶん長いこと、ダイアナをいつどんな風に死なせるか、ああでもない、こうでもないと迷っていたことになります。だから、いざ殺す段になると、もう長々と詳しく書く気にもなれなかったのかなあ…なんてことも思っていたりします、実は。

なんか、こんな風に書くと、ものすごく冷酷な人のように思えますね、オブライアンさん。まあでも、それは作者である以上しょうがないと思います(笑)。

私はもちろん、何度も書いているようにダイアナびいきなので、もちろん彼女が死んだのは悲しいのですが…そんなわけで、ずっと前から覚悟していたので、彼女の死そのもののショックは少なかったのでした。その代わり、若くして急死することがわかっていたので、彼女の悪口を言われるとよけいにムッとしたりとかあって…いや、理不尽なのは分かっておりますが。

あ、それと…これは書いておかなければいけないような気がするので書きますが…ダイアナがチャムリーと浮気していたという噂ですが、(ガンルームで何て言われていようと)私はまったく信じていませんので、と断言しておきます。

ここで噂している半給士官たちはチャムリー大佐との情事が「もっぱらの噂」と言っていますが、まあ、「ストランラー提督はドクターマチュリンが毒を盛って殺した」なんつういい加減なことを言っているのと同じ人たちですから…

それに、マデイラに行く前、スティーブンとダイアナは一年近くずっと一緒にいたわけですし、馬車事故はマデイラから帰って本当にすぐ起こったらしいし、時間的にも(少なくとも、この期間は)浮気している暇もなかったのでは?だいたい、もしチャムリーが愛人だったら、ウィリアムズ夫人と同じ馬車には乗せないのでは…というのが私の意見です。

ああ、そうそう、ウィリアムズ夫人も同じ馬車事故で死んだのですよね。彼女の死に至っては、ダイアナ以上にさらっとした扱いで、この後ほとんど話に出てくることもなかったりする。でも、ソフィーは母親の死でめいっぱいで、スティーブンを慰める余裕はなかっただろうな…と、その点だけが私の気になったところでした。(<あくまでスティーブン中心)

(p7〜p10)艦隊を率いてジブラルタルに到着したジャック、早速キース卿の旗艦「ロイヤル・ソブリン号」へ出頭する。彼を迎えたのはキース卿の妻、ジャックの7歳年上の幼馴染クイーニーだった。

相変わらず美しい彼女はジャックを優しく迎え、妻を失ったばかりのドクター・マチュリンの様子を訊ねる。ジャックはマチュリンが葬儀を執り行なうために英国に帰っていたが、もう艦に戻っていること、しっかりしているものの急に年をとったように見え、食欲を失っていて、艦に戻った時はジャックが片手で持ち上げられるほど痩せてしまっていたこと、今はナポレオンを再び倒す情熱だけが彼を支えていることを話す。クイーニーは彼が食べていないと聞いて心配し、二人をディナーに招待する。


この巻では地中海艦隊総司令官(コマンダー・イン・チーフ)のキース卿がジャックの上官になるので、懐かしやクイーニーが1巻以来の大々的な登場。彼女がジャックとどのぐらい年が離れているのか、ここまではっきりしなかったのですが、ここで「7歳年上」と書いてありました。彼女は幼いジャックが怖い夢を見ると、自分のベッドに入れて一緒に寝かせてあげた、とも…(かわいい。)しかし、ジャックが世界中の厳しい自然環境にさらされている間、彼女はお肌のお手入れ怠りなかったようで、「今やジャックより若く見える」そうです。うらやましい。

ここで、ジャックがマデイラで艦隊の準備をしている間、スティーブンが一人で取り急ぎ英国に帰って、葬儀だの何だのの手配をしていたことが分かります。義理の母親が死んだっていうのに、ジャックは帰国もできないのね。まあ、戦争再開しているからしょうがないか…

そうそう、ブリジッドが馬車に同乗していたかどうか、最初のところでははっきり書いてなくて、まさか一緒に死んだのでは…と一瞬とても心配しましたが、ここで「ブリジッドはパディーンと一緒に家に残っていた」とジャックが言ったのでほっとしました。ブリジッドちゃんは母親を失ってしまったわけですが、ジャックは「ソフィーとミセス・オークスになついているから大丈夫」と言っています。…実際のところは、むしろパディーンに…でしょうけど。