Chapter 2 〜 ロブロリー・ガールズ


(36p〜44p)ジャック、サプライズ号に旗艦を移し、艦隊の砲撃訓練をする。ポモーヌ号は人手不足のせいか成績が思わしくない。ジャックは若いポンフリット艦長に、インド貿易船の航路にボートを出し、まだ開戦のニュースを知らない商船から強制徴募してくるよう命じる。

パディーンが艦を降りて以来、サプライズ号にはロブロリー・ボーイ(看護師)がいなかったが、ジャックが代わりを見つけてくる。それがポル・スキーピングマギー・チールという女性だったのでスティーブンは驚く。


「ロブロリー・ボーイ(loblolly boy)」というのは、艦のシックバースで病人のお世話をする、専門知識のない看護師のようなお仕事です。(もちろん、フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)以前は、専門知識のある看護婦・看護師というのはそもそも存在しなかったわけですが。)「ロブロリー」というのは、当時の病人に出すオカユのようなものらしい。それを患者に食べさせてあげる役、ということですね。

「それでは、ロブロリー・ガールになるのか。」と驚くスティーブンに、ジャックは「60歳以上の老人だってロブロリー・ボーイと呼ぶじゃないか。ただの海軍用語だよ。」と言っています。

軍艦では、怪我や老齢などで重労働のできなくなった水兵がなることが多かったようですが、今回は女性。(二人とも「ミセス」と呼ばれているから未亡人なのでしょう。)ポルはジャックの昔のシップメイト、ベテランでとても有能で、しかも患者に優しいので、スティーブンはすっかり気に入ったようです。

ジャックは普段、女性が軍艦に乗ることをとても嫌っていて、スティーブンがジャックの推薦に驚いたのはそのためなのですが…ジャックは「いわゆる女性」と、「性別は女だけどシップメイト」を、まるで別の生物として区別しているようです。彼は「ポルは中年だし砲弾みたいに丸い体型だし、水兵たちの恋愛感情をかき立てるとは思えない」と言っているけれど…もしかしたら、体型や年齢の問題ではなく、水兵たちの方にもそういう心理的区別が存在するのかもしれません。

当時、もちろん圧倒的少数ですが、そういう風に軍艦で働く女性も、いないわけではなかったようです。陸の生活でよっぽど追い詰められたか、水兵にとことん惚れてしまった女性が男のフリをして入隊し、もう引き返せないところへ来るまでバレなかったので、後はもう普通に水兵として生きていっているとか。男並に肉体労働をこなし、声もすっかりダミ声になっているので、男と区別がつかなかったりする人もいるそうです。

そこまで極端な状況でなくても、下士官や准士官の妻(あるいはその姉妹)という縁で乗り組んだ女性が、夫の死以降も乗り続けることはよくあるそうで。ポルの場合は、脚の切断手術を受けた海軍艦長の世話を陸でしていて、その艦長が海に戻った時に奥さんに頼まれて長期航海について行ったのがきっかけだそうです。

いずれにしても、「女性がなぜこんなに厳しい生活を?」と言っても、その人にとっては陸の生活がそれ以上に厳しい−というのは、男性と同様にありうることなんでしょう。ポルも「とにかく、食事が出ますし」と言っています。そのへん、男と同じですね。

とにかく、今回は女性の部下を持つことになったスティーブンです。有能なベテラン看護婦が二人加わり、おまけにジェイコブが乗ったために、軍医助手まで「ドクター」。(当時の軍艦では、そもそも軍医からして専門知識はロクにないことも珍しくないのに。)医療スタッフはやたらに贅沢な、今回のサプライズ号でした。

さて…今までスティーブンは、心が落ち込むとアヘンチンキや、後にはコカの葉に頼るのを常としていたので、今回悲しいことがあって、またジャンキーになるのでは?とちょっと心配したのですが…(まあ、コカの葉を噛むのは、精製したコカインを吸入するのと違ってさほどの習慣性はないと教えてもらいましたが、それでも)

彼もさすがに数々の苦い経験から学んだか、今回の落ち込みは今までとはちょっと種類が違うせいか、はたまた父親になった責任感か、なんと今はアヘンやコカどころか、タバコも酒(食事時のワイン以外)さえも一切やめているそうです。偉いぞ、スティーブン!

そんな彼が自分に許している唯一の「依存症」が、キリックの淹れた熱くて濃いコーヒー…うーん、わかるなあ。

スティーブンの「健全な」楽しみと言えば鳥の観察と音楽。その後のジブラルタルは嵐が続き、鳥の方はお預けになってしまったので、彼はジェイコブが持ち込んだ珍しい症例の手の標本の解剖と、作曲に精を出していました。

(p44〜p49)スティーブンの作曲したサラバンドを弾いてみたジャックは、思わず「ひどく悲しい曲だ」と言い、言ったとたんに後悔する。スティーブンは「楽しい音楽なんて知っているか?ぼくは知らない。(Do you know any happy music? I do not.)」と答える。

気まずい空気が流れるが、ちょうどその時、リングル号が到着したと知らせがある。豪雨の中をずぶ濡れでサプライズに出頭したリードは、ウールコムのみんなは元気だと伝えて手紙を渡すのもそこそこに、緊急の報告をする。

徴募のために商船を待ち伏せしていたポモーヌ号のボートが、小型の海賊船に襲われていたところを運良くリングル号が通りかかり助けた。リードは曳航を申し出たが、ボートを指揮していたポモーヌ号の副長は断り、「それよりすぐ旗艦に行って、六隻の海賊船が英国のインド貿易船団を待ち伏せしていると報告してほしい」と言う。

ジャックはすぐにキース卿に報告して出航命令を取り、艦隊は貿易船団を救うために緊急出動する。


この巻のどこを読んでも、「ジャックがスティーブンを慰めている」というシーンは特にありません。

でも、気遣いを感じることはあるのですよね。たとえば、ジャックが彼らしくきちんと分類して積み上げてた艦隊の書類を、スティーブンが勝手に動かして楽譜を広げてしまった時、ジャックが内心の動揺を隠して「全然かまわないよ!」とにっこりするところとか…

ほんと、繊細なんですよね、ジャックって。慰めたくても、どう言ったらわからなくて、いつも通りに接しているけど、内心はオロオロしていたりして。慰め方の下手なところが、かえってスティーブンには慰めになっているような気がします。

スティーブンって、既存の曲をバイオリンとチェロ用にアレンジするだけじゃなくて、作曲もするのですね。15巻のはじめでは、「娘の誕生を祝って自ら作曲したとても陽気な曲」を弾いていましたっけ。

よく、ジャックは口下手なので、喋るよりバイオリンを弾いた方が気持ちをうまく表現できると書かれています。その点、スティーブンは言葉の表現が上手で、言いたい事は言えるはずなんですが…

でも本当は、彼の心にもジャックと同じぐらい言葉にならない感情があって、ジャックと同じように、それが音楽にはけ口を求めているのかもしれません…

(p50〜p61)ジャックとスティーブン、リングル号が持ってきた家の手紙を読む。ソフィーの手紙には涙のあとがあり、母親の墓石の手配のことが書いてある。ブリジッドの手紙にはパディーンの伝言が書いてあるが、アイルランド語を発音そのままに書いてあるので意味がわからない。スティーブンはぶつぶつ声に出して読んでみる。

現場に着くと、インド貿易船団と海賊たち(ガレー船とゼベック)はすでに海戦になっていて、貿易船の一隻が炎上している。艦隊の各艦はそれぞれ海賊船と交戦する。ポモーヌ号は大活躍で、ガレー船を次々に沈める。

残りの海賊船たちは形勢不利と見て逃げて行く。追っても拿捕賞金は出ないので、艦隊は炎上している貿易船の消火活動に専念する。艦隊の戦死者は少なく、被害は軽微だった。

貿易船の火が消え、応急の修理が済むと、ジャックは船団の船長たちをサプライズ号に招待する。ジャックは艦隊が人手不足であることを話し、志願者を募る。船長たちは艦隊に恩があり、ジャックがその気になれば強制徴募できるのに礼儀正しく頼んでいることを分かっているので、すすんで志願者を差し出す。ジャック、船団の護衛にドーバー号をつけて別れる。


この海戦の戦闘準備をしている時、救護室でスティーブンとドクター・ジェイコブが器具を研ぐ腕を競っているシーンがありました。メスだのナタだのを、どれだけ鋭く研げたか見せびらかすために、自分の前腕の毛を剃るのですね。戦闘準備のたんびにこれをやっていたら、スティーブンの前腕はいつもつるんつるんに違いない(笑)。ま、手術する時により清潔でいいかも。

ソフィーは母の墓碑銘を何にするか頭を悩ましているようです。ウィリアムズ夫人の墓碑銘…うーん、何だろう。彼女の業績を称えて「金銭感覚なき義理の息子より、娘の財産を立派に守れり。」…すみません、不謹慎な冗談でした…

(p61〜p63)その後、艦隊の艦長たちを集めてディナーが行われる。ディナーの後、スティーブンはポモーヌ号のポンフリット艦長に相談される。

ポモーヌ号はガレー船3隻を次々に沈めたのだが、その時、沈み行く船の甲板で鎖に繋がれたキリスト教徒の奴隷たちを見た。ポンフリットは、彼らの恐怖に満ちた、哀れみを請うような目が忘れられないと言う。

「これは正しいことでしょうか?あの顔が頭に浮かんで眠れないのです。私は職業の選択を誤ったでしょうか?」 「そうは思いません。あなたの悩みには共感します。戦争を正当化するのは難しいものです。たとえ、独裁者と戦う戦争でも。しかし、戦わなければならないのなら、少なくとも片方の側では、戦争において可能な限りの人間性をもって戦われた方がいい。あなたような士官によってです。睡眠薬をお出ししますので、ぐっすり眠った後にまだ私の話をお聞きになりたければ、それまでに考えをまとめておきます。」


ムーア人(北アフリカのイスラム教徒)の海賊船でガレーの漕ぎ手にされている「キリスト教徒の奴隷」というのは、彼らが襲ったヨーロッパの船から捕まった人々。海賊船と戦って沈めたら、彼らももろともに溺死してしまう。なんとも気の毒ですが、どうにもできないですね…助けようにも、鎖に繋がれているからあっという間に沈んでしまうし。

ポンフリットはスティーブンに相談していますが、スティーブンは精神科医じゃないからなあ。軍艦にはカウンセラーが必要ですね、絶対。(もちろん、現代はいるのでしょうが。)