Chapter 3 〜 一角獣の角


(64p〜65p)ジブラルタルに戻った艦隊。スティーブンとジェイコブは重傷者を病院に運び、手術をする。その後、艦隊司令官に呼ばれて艦隊に戻ると、ポモーヌ号がヤードを傾け、帆をだらりと下げ、奇妙に物悲しい姿になっている。サプライズに戻ると、ジャックからポンフリット艦長がピストルの掃除をしていて暴発事故で死んだと聞かされる。

艦隊は急いでいるので、ジャックはポンフリットの葬式をキース卿に任せ、すぐに最初の寄港地ポート・マオンへ向かって出航する。


当時は自殺って事になると葬式も出してもらえないので(<今は、実際には、そんなこともないです。教会にもよるんでしょうが)、表向き「事故」ってことになっているけど、ピストルを装填したまま掃除していてうっかり頭を吹っ飛ばすなんてこと、まず考えられないような…

自殺だとすれば、ガレー船の奴隷についての罪の意識なのかなあ。まあ、それがきっかけであるにしても、いろいろストレスが重なって抑うつ状態だったのだろうと思います。気の毒なポンフリットさん。どうも、この巻には死が多くていやだなあ。

ヤードが傾いて、帆がたれ下っているのは、艦が喪に服しているしるし。これですね→パトリック・オブライアンの喪に服するサプライズ号。これは、帆はたらしていないけど…

縁起かつぎの水兵たちの間では、もちろん自殺と言うのは最悪に縁起が悪いことの一つなので(特に、艦長のような重要人物の場合)、ポンフリットのことで、この艦隊はしょっぱなからツイてねえ、という人もいます。しかし、誰よりも縁起かつぎの激しいキリックは、違う見解を持っているようです。

さて、当時の軍艦は燃えやすいもので一杯なので、もちろん火気厳禁、禁煙です。唯一喫煙が許されているのはギャレー(厨房)の近く。ギャレーはどのみち火の気があるので、まとめてしまおうということなのでしょうが…食事を作るところが喫煙所と一緒かあ。ま、日本でもわりと最近まで、普通の飲食店の厨房で平気でタバコ吸ってる人、けっこういましたけどね。

当時の水兵にはタバコを「吸う」人は少数派でした。と言っても、いつだったか「タバコと酒が切れると暴動が起こる」という話があったように、ニコチン中毒患者が少なかったわけではありません。当時は「噛みタバコ」にする人の方が多かっただけで。映画に出てきた水兵で、歯が真っ黒の人が多かったのはそのせいですね。

サプライズ号のタバコ吸いたちは、毎日夕方になるとギャレーに集まって四方山話をするのが常でした。タバコを吸う人でも、新米水兵やシャイで話が苦手な人たちは入れてもらえないので、このスモーキング・サークルのメンバーは、少数精鋭(?)でしたが、中にはキリックと、意外にも(でもないか)ロブロリー・ボーイのポルとマギーも含まれていました。二人の女性はパイプをふかし、オバサンの貫禄を漂わせ、汚い言葉を使った水兵を叱り飛ばしたりしています。さすがだなあ。

(p66〜p68)喫煙所の仲間が話をしている。ポンフリットの自殺でこの艦隊は悪運がついたという水兵に、キリックはちゃんと葬式をしたから自殺じゃないし、サプライズ号は幸運を保証するものを載せているから大丈夫だと主張する。それはドクターが持っている「一角獣の角」と「栄光の手」だ。

縁起かつぎに関してはオーソリティのキリック。スティーブンのことを、「艦隊の幸運を保証する紳士」とか言ってます。どうも、持っているものもさることながら、スティーブン自身が幸運のお守り扱いされているような気がする…「ラッキー・ジャック・オーブリー」と並んで、縁起モノコンビ(笑)。

「一角獣の角」というのはもちろん、ジャックが2巻でスティーブンにプレゼントしたイッカク(イッカククジラ)の牙のことです。

「栄光の手」の方は、ジェイコブが持ってきた珍しい症例の手の標本のこと。キリックが言うには、泥棒だの人殺しだのが絞首刑になった時、その悪事をした手を切り落としたものは、この上ない幸運のお守りになるそうです。うーん…グロいなあ。なんかちょっと、かえって悪運がつきそうな気がするのですが…縁起かつぎの心理はわからないものです。

スティーブンたちが熱心に解剖している手が、絞首刑になった人のものだとは誰も言っていないのですが、キリックたちはそう思い込んでいるみたいですね。

(p69〜p76)艦隊、ポート・マオンに到着する。ジャックがスペインの当局と港湾司令官(マオンはスペイン領だが、実際は変わらず英国海軍の軍港として機能している)に会っている間、スティーブンは現地の諜報員コルヴィンと話す。コルヴィンはナポレオンの軍艦を建造中のアドリア海沿岸の工廠の状況を話す。

現地の銀行家とのコネを駆使して、それらの小さい工廠から資金を引き上げさせたので、次の給料日には職人に給料を払えないだろう。働いているのはイタリア人の独立職人で、カルボナリやフリーメーソンに所属している人が多い。ツテを通じて彼らを扇動すれば、給料日に支払いがなければ、艦に火を点けさせることができるかもしれない。


カルボナリというのは、当時できたばかりのイタリアの急進的共和主義者のグループです。→またウィキペディアですが。イタリア史的には、かなり重要な党ですねえ。私は全然知らなかったのですが。ヨーロッパ全体に関わる事柄じゃないと、世界史ではあまり習わないし、観光的興味で調べるイタリア史だと、もっと古い時代が多いんですよね。ルネッサンスとか。

ところで、カルボナリと聞いて私が真っ先に思ったのは、「カルボナーラ(スパゲティ)とは関係あるのかしら…」でした。(すみません、脳がそういう方向に配線されているものですから…)両方「炭焼き」という意味なんですね。カルボナーラは黒コショウを炭のかけらに見立てていて、カルボナリは自らの結社を、当時卑しい職業とされていた炭焼き職人のギルドになぞらえていたそうです。カルボナリの人々がスパゲッティ・カルボナーラを食べたかどうかは不明。

陰謀説好きの人に人気(?)のフリーメーソンについては、詳しくは説明しませんので(だって私もようわからん)、まあこちらを。

(p76〜p80)コルヴィンと別れた後、スティーブンは高名な技師のジェームズ・ライト氏に会いに行く。最初、借金取りと間違われるが、スティーブンが以前に会食したロイヤル・ソサエティの仲間と知ったライト氏は彼を歓迎する。スティーブンは、イッカクの牙について意見を伺いたくて来たと言い、説明する。ライト氏はクリスティーン・ウッドの従兄で、彼女が手紙の中にドクター・マチュリンのことを書いていたのを思い出す。

ライト氏は牙を実際に見たいと言い、スティーブンは彼を艦上のディナーに招待する。


スティーブンはこの時、提督に会うのだからとジャックに懇願されて珍しく軍医の正式な制服を着ていたのですが、それが破産執行官の部下の制服に見えたのですね。それで借金取りと間違われたと。ライトさんはもう相当なお年の、世界的に有名なエンジニアなんですが、それでもなぜか借金があるらしい。事情は不明ですが。クリスティーンとは、ずいぶん年の離れたイトコですね。まあ、英語ではイトコの子とかイトコの孫でもまとめて「cousin」と言うので、本当は「親戚」と訳した方がいいのかもしれません。

イッカクについてはこちらを→またまたウィキペディア。

ご覧のように、この牙には根元からスクリューみたいな凹凸がスパイラル状についています。スティーブンは、このウネウネが何のためについているのか、前々から疑問に思っていたらしく、今回ポート・マオンを訪れるチャンスに、当地に住む高名な技師、スクリューの構造や水流の力学に詳しいライト氏に意見を聞きたいと思って、わざわざリードに牙を持って来てもらったのでした。

この牙はオスにしかついていなくて、その用途は今でもはっきりしていないそうですが、スティーブンはこのスパイラルが牙を補強する効果があるのか、それとも、海の中を泳ぐ時に都合のよい水流を作りだす効果があるのか…と推測していて、そのへんの意見をライト氏に聞きたいらしい。

そうか、当時のロイヤル・ソサエティの社交活動って、こういうふうに専門分野の壁を越えた学問交流に役立ったのですね。こういう疑問とか行動とか、なんとなくスティーブンらしいです。

(p80〜p85)スティーブンはクラウン亭でジャックと落ち合うが、ジャックはやけに機嫌がよかった。「どこかの若い人(女性のこと)と出会ったのではないだろうな」と聞くと、ジャックは「おれは海軍でも『堅物オーブリー』で通っているんだ」と、とんでもない冗談を言う。彼が出会ったのは、若い人は若い人でも男。サプライズ号で不足していた優秀な航海士を見つけたので、彼は機嫌がよかったのだ。彼はジョン・ダニエルという優秀な若者だが、艦にあぶれて一文なしだったので、まともな服がない。小柄でやせっぽちの彼とサイズが同じなのはスティーブンだけなので、服を貸してやってくれないか?とジャックは頼む。

自称「Aubrey the chaste」のジャック(笑)。いったいいつ誰がそう呼んだというのでしょう。

「彼は栄養不良で、情けないほどひねこびていて、この艦の大人でサイズが同じなのは君だけなんだ。」と言ってスティーブンの服を借りるジャック。ひどい言いようですが、スティーブンは別に気にしていないようです。

あ、ところで、ポート・マオンのクラウン亭といえば、あの可愛いメルセデスが女将になっているはずなのに、今回はなぜか全然話に出てきません。残念。経営者変わったのかなあ。

それと、スティーブンがコルヴィンとの会見を切り上げる時に「艦隊司令官をお待たせするわけにはいきませんから…」と、ジャックが港湾司令官に暇を乞う時には「医者を怒らせると恐いですからね」と、お互いを言い訳にしていたのがかわいかったです。

(p85〜p90)サプライズ号で、ライト氏を招いたディナーが行われる。食後、スティーブンはキリックにイッカクの牙を持ってくるように言う。

不運にも、その日出されたワインが美味しかったので、キリックも給仕助手も手伝いの少年水兵も盛大に盗み飲みをし、特にまだ小さい少年水兵は泥酔していた。キリックが牙を持って来た時、限界に達した少年がワインを吐きながらキリックに倒れかかる。キリックは牙を持ったままばったりと倒れた。

ジャックはすぐに人を呼んで掃除をさせるが、牙は割れてしまっていた。ライトは破片を調べ、これなら修理できる、以前にクリスティーンの骨格標本を何度も修理したことがあるから、と言う。


幸運のお守りだと自分がさかんに宣伝した「一角獣の角」を、自分で壊してしまったキリック。当然、この話はすぐに艦隊じゅうに広まり、彼は「幸運を台無しにした男」として、どこへ行っても冷たい目で見られるようになるのでした。

いくらライト氏が修理してくれるにしても、いったん壊れてしまった角にはその価値は戻らない、とみんな思っています。なぜなら、一角獣の幸運というのは、処女性と結びつけて考えられているものだからです。このへん、昔の性や女性に対する価値観をビミョーに反映してますねえ。

一角獣は「清らかな乙女にだけなつく」そうで…→今回ウィキペディアばかりですみません。

以下まったくの余談:「ハリー・ポッター」原作の3巻だったか、ホグワーツ学校の「魔法生物飼育学」の先生が一角獣の授業をするシーンがあって、「男の子にはなつかないから、女の子だけ集まって」と言っていたのですが…読みながら「処女じゃない娘がいたらどうするんだろう」とか考えてしまった私って…そうです、汚れた心で児童書を読んでおります(笑)